モラトリアムハザード2
多くの人が美術とデザインの世界で「才能」があると思い、プライドを持ってこの世界に足を踏み入れます。踏み入れたとしても、全員が最初の壁を越えることができません。美術とデザインの世界が社会に隠している7不思議の一つです。
「自由にのびのび」は子供達と親御さんと教育系の先生を懐柔しておいて、一人でも多くの学生を芸大美大、特に東京藝術大学へと呼び込む巨大な大仕掛けです。
私が懸念するのは、世の中に、最初の壁が認識されていないので、難関校を目指す学生の全員が打ち崩され、Fランクの芸大美大を受験する多くの学生は壁を隠され「自由にのびのび」と言われ騙され続けることです。
私の知る限り、美術とデザインの世界で活躍している本当に「才能」の発揮している人の全員が最初の壁を超えています。壁を越えるかどうかは学校に行くかどうかとは関係ありません。
つまり、美術とデザインの世界が事実を認めて公言しなければならないのは必ず努力で超えなければならない高い壁があることです。 そして改めなければならないのは「才能」によってさも楽に生きていける世界のように見せかけて、世の中の学生を懐柔し、垂らしこみ、学生を勧誘することです。
努力すれば壁を超えられることは間違いのないことです。
つまり、この世界は道を誤らず徹底的に努力をすれば誰でも食べていくことができます。
それが社会に認識されれば美術とデザインの世界は大きく生まれ変わることができます。今は美術とデザインの世界は「才能」がなければ生きていけないと考えられています。 「才能」という言葉が生む空気は美術とデザインの世界に関わる学生も含めた人間を気持ちよくさせてくれます。でもこの気持ちのいい高揚は全く意味のないものです。 つまり、魔やかし以外の何者でもなく、美術とデザインの人離れを生む根本的な原因になっていることです。訳のわからない世界に足を踏み入れないのは当然です。 美術とデザインの世界は奇人変人の集まりでも、「才能」の集まりでも、「天才」の集まりでもなんでもありません。
ある東京芸大の教授が私に言ったことがあります。「小平、美術は人だ」と。確かに「美術が人」ということは間違っていません。彼は制作に没頭する私を諭したかったのだと思います。 それと多少コミニケーションの取り方が下手な仏頂面の伏し目がちな私にもっと周りの人間とのコミニケーションを大切にするようにとも諭したかったのではないかと思います。 「美術」は「人」が作っている世界です。つまり「美術」の正体は「人」なのです。日本では美術の正体は「東京藝術大学」と見てとれると私は考えています。 その「東京藝術大学」は人の集まりであり、「美術」は「人」なのです。これは私の見方ですが、東京藝術大学の「人」の繋がりは「手の届く範囲の人」の繋がりを大切にしています。考えようによっては当然ですね・・。 つまり「手の届かない距離にいる人」には目が行き届きません。私が在学中に東京藝術大学の中の人を人間観察して見えてきたことはそれぞれの先生が自分の身近な人をとても大切にしているということです。 先生たちをよく見ているとその先生が退官した後に誰が後を継ぐのかが手に取るように見えてきます。 そのような状況の中で私が思ったのは、距離の近い人間関係の中でお互いの信頼関係を強く築いていくことは、私のような毎晩寝ないでアルバイトをしている生活が不安定な、ど貧乏なクズには難しいな・・。 と思いました。 「美術は人」という言葉はとても素敵な言葉です。その中に私は現実的に入ることはできませんが、私なりに微力ですが美術に役立つことはできます。 それは美術が身近な人間関係を大切にしている以上、少し距離の離れた場所にいる人とのコミニケーションが希薄になります。つまり離れた場所にいる人材を開拓するパフォーマンスが今の美術には足りないのです。 離れた場所にいる人材を発掘することが私にできる仕事です。
先生の側に現実的に居続けることが可能な人は陽が当たり続けますが、先生はどうしても少し離れた所にいる生徒に陽を当てることは全くできません。 無力です。事実私は東京藝術大学の先生の世話になったことは一切ありません。先生と距離を取らざるを得ない人は私のようにゼロベースでサバイバルをすることを余儀なくされます。 そうすると実は東京藝術大学の中に残る人の中にはゼロベースで叩き上げた人はいません。「美術」である東京藝術大学に叩き上げるための情報がない以上、「日陰」の側の人は大学を出た後にどのように生き抜いていけば良いかという情報は得られません。 てんいくでは「日陰」の側にいる人のために大学を出た後どのように生きていけば良いのか情報を得られるように、これまでの卒業生を対象に徹底的にリサーチを行います。 てんいくの活動は陽の当たる側にいる人には参考になりませんし、おそらく意味のないものです。 でも、「美術」にとってこれは大きな意味があります。つまり今の「美術の人」は先生たちの身近な人間たちのみで構成された人の集まりなのです。 そこに、先生たちから距離の離れた人も東京藝術大学の中に入れなくとも外で生き抜きながら「美術の人」として認知され、美術の中に入れる。先生の身近な人たちの中からは強い反発を受けると思います。 でも、これはやらなければならないのです。実は東京藝術大学の卒業生の多くが日陰の側の人なのでその中にある巨大な可能性に触れることは「美術」にとって大切なことです。 もしその中に「天才」を見つけることができれば私は「彼」を全身全霊をかけてサルベージします。 今は日陰の側の人はいわゆる「美術は人」の中の人には含まれません。かつて芸大の教授が私を心配して諭して頂いたように、実際に私は「美術」の中に入ることはできませんでした。 つまり私は芸大が良くいう「行方不明」の一人です。ひょこっと顔を出せば「生きていたのか」と言われるのが決まり文句です。 東京藝術大学のパフォーマンスは身近な人間関係の中でよく発揮します。つまり、少し距離の離れた所にいる人へのアプローチが苦手です。
東京藝術大学の実技試験は多くの各学科で1つの美術予備校が半数程度の合格者を出す状況が何十年も続いています。 私は高校生の時に九州のど田舎にいましたが、高校1年生で東京藝術大学を第一志望にして実技試験の対策を始めるも何の情報もなく、ただただ苦悩する日々を送りました。 地方の受験生のその状況は今も変わりません。つまり、日向と日陰の問題は芸大受験だけでなく様々ありますが、一例を出すために受験の状況を言えば、芸大の学科の定員の半数以上を合格させる美術予備校の近郊にすむ高校生にしか陽は当たらないのです。 陽が当たるようになるには陽の当たる場所に行って絶対服従するしかない。そのような認識が容易にもてます。それによって芸大に都合の良い構図が暗黙の了解で生まれます。 この時に芸大生の中に芽生える不可解なモヤモヤした意識は芸大の絶対的な権力の根幹を作っています。つまり、芸大にはこの理不尽を黙って受け入れた人間しか合格することがないのです。 この理不尽を受け入れた芸大生は権力者からすればそれこそ都合の良い人間です。仕掛けたモヤに絡められた人間は不可解なことがあっても騒ぎ立てることはありません。
「自由にのびのび」は子供達と親御さんと教育系の先生を懐柔しておいて、一人でも多くの学生を芸大美大、特に東京藝術大学へと呼び込む巨大な大仕掛けです。
私が懸念するのは、世の中に、最初の壁が認識されていないので、難関校を目指す学生の全員が打ち崩され、Fランクの芸大美大を受験する多くの学生は壁を隠され「自由にのびのび」と言われ騙され続けることです。
私の知る限り、美術とデザインの世界で活躍している本当に「才能」の発揮している人の全員が最初の壁を超えています。壁を越えるかどうかは学校に行くかどうかとは関係ありません。
つまり、美術とデザインの世界が事実を認めて公言しなければならないのは必ず努力で超えなければならない高い壁があることです。 そして改めなければならないのは「才能」によってさも楽に生きていける世界のように見せかけて、世の中の学生を懐柔し、垂らしこみ、学生を勧誘することです。
努力すれば壁を超えられることは間違いのないことです。
つまり、この世界は道を誤らず徹底的に努力をすれば誰でも食べていくことができます。
それが社会に認識されれば美術とデザインの世界は大きく生まれ変わることができます。今は美術とデザインの世界は「才能」がなければ生きていけないと考えられています。 「才能」という言葉が生む空気は美術とデザインの世界に関わる学生も含めた人間を気持ちよくさせてくれます。でもこの気持ちのいい高揚は全く意味のないものです。 つまり、魔やかし以外の何者でもなく、美術とデザインの人離れを生む根本的な原因になっていることです。訳のわからない世界に足を踏み入れないのは当然です。 美術とデザインの世界は奇人変人の集まりでも、「才能」の集まりでも、「天才」の集まりでもなんでもありません。
ある東京芸大の教授が私に言ったことがあります。「小平、美術は人だ」と。確かに「美術が人」ということは間違っていません。彼は制作に没頭する私を諭したかったのだと思います。 それと多少コミニケーションの取り方が下手な仏頂面の伏し目がちな私にもっと周りの人間とのコミニケーションを大切にするようにとも諭したかったのではないかと思います。 「美術」は「人」が作っている世界です。つまり「美術」の正体は「人」なのです。日本では美術の正体は「東京藝術大学」と見てとれると私は考えています。 その「東京藝術大学」は人の集まりであり、「美術」は「人」なのです。これは私の見方ですが、東京藝術大学の「人」の繋がりは「手の届く範囲の人」の繋がりを大切にしています。考えようによっては当然ですね・・。 つまり「手の届かない距離にいる人」には目が行き届きません。私が在学中に東京藝術大学の中の人を人間観察して見えてきたことはそれぞれの先生が自分の身近な人をとても大切にしているということです。 先生たちをよく見ているとその先生が退官した後に誰が後を継ぐのかが手に取るように見えてきます。 そのような状況の中で私が思ったのは、距離の近い人間関係の中でお互いの信頼関係を強く築いていくことは、私のような毎晩寝ないでアルバイトをしている生活が不安定な、ど貧乏なクズには難しいな・・。 と思いました。 「美術は人」という言葉はとても素敵な言葉です。その中に私は現実的に入ることはできませんが、私なりに微力ですが美術に役立つことはできます。 それは美術が身近な人間関係を大切にしている以上、少し距離の離れた場所にいる人とのコミニケーションが希薄になります。つまり離れた場所にいる人材を開拓するパフォーマンスが今の美術には足りないのです。 離れた場所にいる人材を発掘することが私にできる仕事です。
先生の側に現実的に居続けることが可能な人は陽が当たり続けますが、先生はどうしても少し離れた所にいる生徒に陽を当てることは全くできません。 無力です。事実私は東京藝術大学の先生の世話になったことは一切ありません。先生と距離を取らざるを得ない人は私のようにゼロベースでサバイバルをすることを余儀なくされます。 そうすると実は東京藝術大学の中に残る人の中にはゼロベースで叩き上げた人はいません。「美術」である東京藝術大学に叩き上げるための情報がない以上、「日陰」の側の人は大学を出た後にどのように生き抜いていけば良いかという情報は得られません。 てんいくでは「日陰」の側にいる人のために大学を出た後どのように生きていけば良いのか情報を得られるように、これまでの卒業生を対象に徹底的にリサーチを行います。 てんいくの活動は陽の当たる側にいる人には参考になりませんし、おそらく意味のないものです。 でも、「美術」にとってこれは大きな意味があります。つまり今の「美術の人」は先生たちの身近な人間たちのみで構成された人の集まりなのです。 そこに、先生たちから距離の離れた人も東京藝術大学の中に入れなくとも外で生き抜きながら「美術の人」として認知され、美術の中に入れる。先生の身近な人たちの中からは強い反発を受けると思います。 でも、これはやらなければならないのです。実は東京藝術大学の卒業生の多くが日陰の側の人なのでその中にある巨大な可能性に触れることは「美術」にとって大切なことです。 もしその中に「天才」を見つけることができれば私は「彼」を全身全霊をかけてサルベージします。 今は日陰の側の人はいわゆる「美術は人」の中の人には含まれません。かつて芸大の教授が私を心配して諭して頂いたように、実際に私は「美術」の中に入ることはできませんでした。 つまり私は芸大が良くいう「行方不明」の一人です。ひょこっと顔を出せば「生きていたのか」と言われるのが決まり文句です。 東京藝術大学のパフォーマンスは身近な人間関係の中でよく発揮します。つまり、少し距離の離れた所にいる人へのアプローチが苦手です。
東京藝術大学の実技試験は多くの各学科で1つの美術予備校が半数程度の合格者を出す状況が何十年も続いています。 私は高校生の時に九州のど田舎にいましたが、高校1年生で東京藝術大学を第一志望にして実技試験の対策を始めるも何の情報もなく、ただただ苦悩する日々を送りました。 地方の受験生のその状況は今も変わりません。つまり、日向と日陰の問題は芸大受験だけでなく様々ありますが、一例を出すために受験の状況を言えば、芸大の学科の定員の半数以上を合格させる美術予備校の近郊にすむ高校生にしか陽は当たらないのです。 陽が当たるようになるには陽の当たる場所に行って絶対服従するしかない。そのような認識が容易にもてます。それによって芸大に都合の良い構図が暗黙の了解で生まれます。 この時に芸大生の中に芽生える不可解なモヤモヤした意識は芸大の絶対的な権力の根幹を作っています。つまり、芸大にはこの理不尽を黙って受け入れた人間しか合格することがないのです。 この理不尽を受け入れた芸大生は権力者からすればそれこそ都合の良い人間です。仕掛けたモヤに絡められた人間は不可解なことがあっても騒ぎ立てることはありません。