新しい図画工作の創造へ
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ファクター(factor)うちがやらなきゃどこがやる!!
〜クマビが図画工作を指導する上で最も重要なこと〜
- 学校ではできない高度な造形教育を行う。
- 学校ではできない高度な実践課題を与える。
- 学校ではできない高度なアドバイスを行う。
- 実践によって成就したことについて言葉化(理論化)の指導を行う。
- 子供が興味を持つトリガー(trigger)となる。
- 日本に絵や工作を制作することの意味を普及させる。
- 日本に絵を飾ることの意味を普及させる。
- 図画工作をアートとして指導する。
- 学校の図画工作の問題点を明確に示し日本中に認知させる。
- 図画工作の具体的なメリット、将来性を教える。
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生徒の心得
- 先生に忖度しない。
- 先生にへりくだらない。
- 自分の意思でクマビに通う。
- 真面目にやる。
- 他の人の迷惑にならない。
- 他の人を冷やかさない。
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指導方針
- クマビがやらなければならないことをやる。
- 本当の自由にのびのびをさせる。
- 本物の上手にさせる。
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指導内容
- 興味がない子は持てるか試してみる。
- 興味が持てない子には無理に教えない。
- 興味がある子の対象を見極める。例 イラストが描きたい
- 興味のあることをさせる。
- 適正を判断して適切な指導をする。
- 自制心と気持ちのコントロールの仕方に合わせて課題を変える。
- 「上手」と「自由にのびのび」の違いを理解し上手く選べるようにする。
- 技芸を指導する。
- 感性を養う。
- 鑑賞力を養う。
- 家に絵を飾ることを教える。
- 巧緻性(手先の器用さ)を高める。
- 視認性を高める。
- 作業する力「手」を高める。
- 制作の場には制限があることを理解させる。
- 神経と筋肉(手)と脳(頭)をフィックスさせて体で覚えさせる。
- 手の実践で成就したことを理論化させる。
- 考え、感じたこと、思ったことなどを言葉でわかりやすく表現できるようにする。
- 情緒を安定させ続ける訓練を行う。
- 情緒が安定していなければ高度な技芸ができないことを理解させる。
- 自制心、欲求をコントロールさせる。
- 制限の中で伸びやかで自由な制作ができるようにさせる。
- 気分による感じ方、考え方、思い方の変化を理解させる。
- 全ての感情、恨みなども抱いているのであれば隠さず素直に表現させる。
- 表現をして良い場とそうでない場があることを理解させる。
- 表現の場には制約があることを理解させる。例 美術館など
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子供が図画工作を学ぶ上で最も重要なこと
- 褒賞を求めないこと。
- 評価の仕組みを理解すること。
- 全ての作品の良さを理解すること。
- 上手になりたいか?自由にのびのびしたいか?自分がどうしたいかよく考えること。
- 上手になりたい場合、高度な技芸を身につけること。
- 自由にのびのびしたい場合、制約を理解し変えられ力を身につけること。
- 自制心を身につけること。
- 自分の気持ちをコントロールすること。
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親御さんが図画工作を学ばせる上で最も重要なこと
- 褒賞を与えないこと。
- 評価の仕組みを理解すること。
- 全ての作品の良さを理解すること。
- 興味のあるものを見つける切欠を与えてあげること。
- 子供の意見を尊重し押し付けないこと。
- 自分が素敵だと思う絵画を子供が見ても素敵と思うと思わないこと。
- ピカソが素晴らしいから見なさいと絶対に言わないこと。
- 子供が下手だと思わないこと。
- 子供を冷やかさないこと。
- 競争させないこと。
- 読書感想画を読書させないで描かせないこと。
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手と頭と上手と自由にのびのび
アートの世界で良く言われるのは「手と頭のバランス」です。
「手」は手で作ることです。 専門的には網膜的な・・と言った難しい言い方もあります。
「頭」は頭で考えることです。脳神経的な・・などという表現もあります。
クマビでは「手」「頭」をバランス良く育てることを大切にしています。
そうしながらアートの世界の言う「手と頭」に偏り過ぎないように音や匂いや手触り、時には例えば目を瞑り味覚で色を判断したりするような五感を大切にしながら指導を行います。
絵で音を表現したり、伝える方法が絵よりも音の方が良ければ音で伝える方法を考えたりします。
クマビの子供の図画工作の指導の方針には2つあります。
「自由にのびのび」と「上手」です。
この2つの方針は図画工作には大きな力があることを表しています。
そしてこの2つは日本の図画工作がこれから大きく発展するために不可欠な重要なファクターです。
この2つは混同するとお互いの効果を相殺してしまう、とても取り扱いの難しいものです。
今の日本の図画工作は混同してお互いが相殺しています。
この2つは綺麗に棲み分ける必要があります。
その棲み分け方がわからなければ、この2つについて理解することは困難です。
わかりやすく言えば「自由にのびのび」を推奨しながらコンクールに出品する矛盾です。自由にのびのび描かれたものに乙をつけることは本来できないはずです。
最大限に自由にのびのびするために極限まで制約を緩くすることで情緒が不安定な子でも図画工作は受け入れることができます。 そしてそのまま大人にさせたとしてもその子が世界的なアーティストとして成就する可能性があります。 でもその取り扱いには細心の注意が必要です。つまり取り扱えない先生や親御さんがとても多い。 とても深刻なエラーが起きています。エラーとは具体的には生涯緩くさせ続けられる環境が与えられないことです。 先生や親御さんの多くはアートの世界が先生と親御さんのバトンを受け取ってくれると考えています。 しかし、そのようなことはありません。 よくあるのが芸大美大です。 芸大美大には学科と実技試験があり、これらは制約の塊です。 つまり制約を超えることを得意とする子たちでなければ上手く超えることは不可能なのです。 Fランク校は誰でも合格します。 でもそれは営利目的に学生を抱え込んでいるだけで学生たちのバトンを受け取り確実に次に繋げる感覚はありません。 その証明に学生たちが次に繋がる事実がありません。 芸大美大が先生と親御さんのバトンを受け取ることはありません。
コンクールには評価があります。 極限にまで制限を緩くした場合にはコンクールと芸大美大に向かわせるべきではありません。 向かわせてしまえば本人は寝耳に水の厳しい制約にさらされて混乱するだけです。
極限にまで制約を緩くしてコンクールや芸大美大を迂回して切り開かれる道があることも事実です。 但しそれを目指すのはどのような困難をも乗り越える覚悟が必要です。
本来アートで成功するにはどのようなことでも乗り越える覚悟は欲しいです。
そこまでの覚悟がない人が全般的に芸大美大に行きます。
難関校に行って頑張れば大手優良企業に就職できます。 つまり保険のようなものなのです。
そこまで覚悟がなくても真面目にやれば道が切り開かれる世界でもありますし、覚悟が必要な場合もあります。 そのようなことが分からずにこの道に入る子が多いので、クマビでは受講の前に十分にお話しさせて頂き、「適正審査」(面接)をさせて頂きます。 -
適正審査
適正審査は面接によって行います。
面接で一番重要な点は子供の「希望」です。
※これは親御さんがどのように希望されてもクマビとして曲げることはできません。何卒ご理解ください。
「適性審査の項目」
第一に子供の「希望」です。
第二に「情緒」です。情緒によって子供の期待に添えない場合があります。
項目は次の通りです。
- 1 自分で習いたいと思ったか?
- 2 上手になりたいか?
- 3 自由にのびのびが良いか?
- 4 わからない時は質問できるか?
- 5 自分が描けるようになるといいなと思う絵はありますか?(作品の画像があれば見せてください)
- 6 どのようなものを綺麗、かっこいいと思うか?
- 7 自分がいいなと思う絵はありますか?
- 8 線を描いて頂きます(上手下手は審査基準ではありません)(向き不向きを判断します)
- 9 地図を見て質問に答えて頂きます。
- 10 ものづくりに興味があるか確認します。
- 11 趣味趣向を確認します。
- 12 審査の間、落ち着きを見ます。
- 13 質問に対する答え方を見ます。(自由に答えてください。)
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子供に「上手」と「自由に伸び伸び」を選択してもらいます
クマビでは子供のやる気を一番に考えています。
そして多くの子供が望むのは「上手」です。
「自由にのびのび」は本質としてはとても大切なことです。 でもそれを正しく理解するのは少し子供には難しいことです。 でも子供によってはそれを理解して貫けるかもしれない。 つまり、「自由にのびのび」とはとても勇気がいることなのです。
例えば受験生の大半は「心配」を口にしません。 やるべきことをやることに集中します。 でも中には稀に「心配」を口にする子がいます。 「心配」な時は自由にのびのびではありません。 「自由にのびのび」とはとても強い心が必要なのです。
美術教育の中には一部「上手」を目指すことを否定しているものもあるようですが、基本的に「上手」を望む子供には上手になるための技芸をどんどん指導してしまって構いません。 決して変質的な英才教育をするわけではないのですから、技芸の指導によって弊害が起こるわけではありません。 この際に必要な指導は子供の望む目標を確実に達成できる技芸の指導です。 適切な指導をしなければなりません。
子供の望む目標は、例えば、イラストレーター、漫画家、画家などです。
この時に同じ指導を受けるなら確実に第一線で活躍できるまでの技芸を高められる指導ができる先生を選ぶべきです。 先生の指導力によって雲泥の差があります。
学校の図画工作の指導内容は指導要領に沿って誰でも平等に同じ内容が学べるように組み立てられたものです。 そこに高度な技芸の指導は含まれていません。 教育系の大学で指導を受ける大学生が無理なく習得できるレベルの内容です。 -
子供が上手になりたいと望む時は技芸を指導し、望まなければしません。
クマビは子供が「上手になりたい」と望む場合、子供に「上手になるための技芸」を指導します。 一方で子供が「上手」を望まない場合、技芸は指導しません。理由は無理をして出来るようになるものではないからです。 理由は上達するかどうかは気持ちの問題だからです。
子供達が上手だと思う技芸は基本的に色をはみ出さないように塗ったり、正しい位置に形を描くものです。 つまり、線からはみ出ている所に筆が来ている時に筆を降ろさない。 形が違う所に筆がある時に筆を降ろさない。 これはやる気のない人にはできません。 はみ出さないように塗る、正しい位置に描くことにコツは入りません。 下描き線があって線の上をなぞる。 線からはみ出さないように塗るのは伸びきったゴムのようにだらんとした気持ちになっている時にはできません。 これは才能でもコツでもないのです。 逆に凛としていればどんなに手先が器用でない子でもできます。
技芸の指導に才能が必要というわけではありません。 コツを教えれば出来るようになるというわけでもありません。 絵を上手に描くことは長時間文字を写し続ける写経に似ています。 長時間となると気持ちを乗せて出来るというものでもありません。 やる気がでない子はスパルタで強制的にやらせない限り、子供は途中で嫌になって投げ出してしまいます。 投げ出した時にさらにやらせる時は激昂しない限りはやらせることは無理です。 クマビはスパルタ指導は一切致しません。 強すぎるストレスのかかる長時間の仕事を子供にやらせるには日頃から気持ちを落ち着かせるトレーニングをしていなければ急にやっても無理です。 つまり図画工作の時間だけ都合よくやろうとしてもできません。
それと、子供は本当はやりたくないのに、他の習い事が嫌だから無理してやりたいと言っている場合や、ご褒美目当てで実はやる気がない場合は指導は上手くいきません。 -
クマビでは静かに集中して制作して頂きます。
クマビでは静かに集中して制作して頂きます。 他社様では子供同士おしゃべりしながら制作したり、殆どおしゃべりになってしまったり、それでも少しずつ興味を持って絵を描き始めて、乗せ続けた効果が出てくるということがあり実際に期待できると思います。 でも、クマビの場合は生徒全員が完全に静かに集中して制作している雰囲気が出来上がってしまっているので集中して本気で制作出来る子でなければお預かりすることができません。 -
親御さんが上手に描くための技芸の指導をお子さんが受けることを望まれて、お子さんが望まない場合があります。
子供が技芸の指導を望まない場合に、無理矢理それをさせてしまうと、とても強いストレスを感じると同時に強い拒絶反応が起きてしまいます。 自分の中に押し込める子供は顔に出しませんが、抑えられない子は泣き出したり、仕事はぐちゃぐちゃになったりします。 つまり、技芸のレベルが高くなればなるほどそれに比例して、やりたくない時にかかるストレスは尋常ではない強さになります。 それを無理に超えられる子は少ないです。
子供や親御さんが上手な技芸に憧れる場合、どのような作品のことを言っているのかお話を聞くとその多くは強い精神力を支えにして初めて可能な技芸を要する作品です。 強靭な精神力は小さな子供でも持ち得ます。 例えばペルシャ絨毯は小さな女の子が作っています。 あまりに細かすぎる作業を長時間行うので彼女たちの中には失明する子が出て来るほどです。 勿論普通はそこまでは必要ありませんが、だらしない感じでもコツさえ教えてもらえれば出来ると考えている親御さんは多いですが、強い精神力を持っている子にしかできません。
無理にさせた場合、大抵の子供が放心状態になり、子供は口でやる気があると言っても、実際は死んだ魚のような目になりただボーッとなるだけで、授業時間だけがとにかく過ぎるように、やり過ごし始めてしまいます。 クマビは子供に恫喝したり、強制的に制作させたりはしません。 そのため子供の意思を第一に尊重し、やりたくない時にはやらせません。 お子さんがご褒美を目当てにしている場合はやる気がなくても駆け引きのためにやる気があるという場合があります。 -
自由にのびのびを希望される場合
子供が「自由にのびのび」を望む場合、クマビは子供に「自由にのびのび」を指導します。
自由に伸び伸びで指導?と疑問に思われる方は多いかもしれません。
でもアートは制約とどのように向かい合うかを考えることが大切なのです。
制約の中で、絵の具を撒き散らしたり、真っ暗な中で絵を描いたり、伸びやかに制作する方法を子供と一緒に模索します。
「自由に伸び伸び」と言っても制約を設けないことは不可能です。
自分で物事を考えて由(よし)という答えを引き出すことが大切です。
伸びやかにできる状況を作り出し、伸びやかに制作したり、表現したり、過ごしたりすることで伸びやかに生きるために必要な力を養います。
作って良い場所で秘密基地を作ったり、いじめられていたりすればそれをひたすら隠すのではなく、制約やタブーを上手く乗り越えて、信頼できる大人に伝えられるようにする力養うのもアートの役割です。 -
コンクールと学校の宿題の問題
クマビでは子供の能力を育てることに重点を置いているので基本的にコンクールや宿題の対策は行いません。 但し、希望があれば行います。
コンクールや学校の宿題は自分の力で考えたり、想像したりして努力して取り組むべきものです。
つまり、課題の本来の意味を考えれば、クマビに来て制作させる間は完成するまで指導ができなくなるのです。
指導ができないのでそれならばご自宅で描かせた方が良いです。
後は、宿題やコンクールの作品を想像したりするのは基本を教わらないとできないから教えて欲しいとの要望を頂くことがありますが、すでに宿題を出されていて提出が近い段階で基礎的なことを教えるとすると、教えるだけで制作する時間が終わってしまいます。 そして教えてもらって後は自宅で制作させるからとの要望を頂くこともありますが、一人にそれだけまとまった指導時間を避けられないことの方が多いです。 他にも生徒がいたり、並行して行う仕事もあるので難しいです。 このような場合、親御さんの中には先生に代わりに描いてもらうことを期待されていたりしますが、クマビでは子供の代わりにコンクールや宿題を制作することは致しません。 後は想像画をどう描けばいいか教えるということは本人は自分で想像するのではなく、先生の描いたものを写しているだけになってしまいます。これも申し訳ございませんができません。 -
他社様の読書感想画対策
他社様では読書感想画の宿題を制作する時に読書をさせないでお手本を写させる所があります。 クマビではそのようなことは一切行いません。
他社様がお手本を写させる理由は、子供の多くは本を読むのを嫌がります。 読書感想画の出題の意図の1つは子供に読書をさせることが大切なので読書させることです。 多くの子供は本を読むことに馴染みがないので、少しでも本を読むように指導することは大切です。 しかし、それは裏を返せば、殆どの子供が本を読まないことを意味します。 クマビでもかつてあったことですが、絵画教室に親御さんが宿題を持ち込む時は危険信号が灯った時です。 つまり、提出が間近で描かなければならないので持ち込む。 中には読書をしていない状態で持って来られることが当たり前といった表情でお持ちになる親御さんもおられます。 それほど子供は皆本を読みません。 本が嫌いだから絵を習うことを選ぶということもあるでしょう。 それに対処するために読書感想画のお手本を用意している他社様もおられます。 お手本を写させても、読書をしていなくても、提出するだけでもハードルは1つ超えていると評価して良いと思います。 なのでお手本を写させること自体をそれほど責められるものではないと思いますが、クマビでは行いません。 それをすることで本当に本を読んで感想を色と形にする機会を失ってしまうからです。 これは物凄く大事なことなのです。 -
子供の望みは大抵「上手」です。でも「自由にのびのび」は天才を生む可能性があります。
子供は皆「上手」を望みます。 そして子供の多くはアートの意図する本当の所の「自由にのびのび」を理解していません。 同様に親御さんも、そして学校の先生方の多くもそうです。
実は「自由にのびのび」は貫けばアートの世界の天才になることができる。 それほど素晴らしい考えです。 でも、それだけ現実との齟齬をきたしている物事でもあります。 元々の考えは本来とても素敵なことで、アートや学校やクマビのような教室が大切にしなければならないものです。 でもあまりに現実とかけ離れています。
この場合の天才とは例えば、篠原有司男さん、大竹伸朗さんがわかりやすいかもしれません。 彼らは生まれ持った力で制作しています。 私のように処世術で生き抜いた人間ではない。 そしてそんな生き方ができるかどうか?という自問自答が、人間皆にとって本当に「大切なこと」です。 彼らの生き方については下で説明します。
その「大切なこと」はアートにこそできる特別な価値でもあります。 子供のようにのびのび生きることが許されるのはアート以外にはありません。 -
自由にのびのびすれば技芸が身につくわけではない
アートにこそできる特別な価値には、心の病の治療になる点がありますし、予防になります。
豊かな感性をじっくりとたくさん育むことができる。 ここで1つ誤解を避けたいのですが、豊かな感性を育めば絵が上手になると言うことではありません。 上手になるのは技芸を身につけなければなりません。 -
篠原有司男と大竹伸朗
「自由にのびのび」そうすることで篠原有司男さん、大竹伸朗さんのような絵を描くことができます。
彼らの作品はいわゆる綺麗で上手な写実と言う価値観で鑑賞するためのものではありません。 描く際に脊髄反射的に描く行為によって心の病の治療になったり、感性を育むために描きます。 元気に伸び伸び描かれた作品は、その伸びやかな絵の具の表情を鑑賞することはできます。 でも、それは研鑽を積んで技芸を「上手」と評価するものではありません。
多くの子供はそのような作品を継続して作り続けることに価値を見いだすことはできません。 そのため飽きたり、描き続けることを強要すればやがてストレスを伴い、嫌いなものとなってしまいます。
篠原有司男さん、大竹伸朗さんのように活躍するアーティストになって欲しいと願う親御さんはおられます。 そして子供の中にもいます。 でも彼らのように大学を中退したり、50歳を過ぎるまで食うや食わずの生活を送りながら働かずに制作を続けていた話を聞くと子供全員がそれを目指しません。 彼らのようになりたいと思い目指そうとするのは大学生くらいに成長して物事がわかった青年の話です。 子供でそれを受け入れる子はいません。 もしいれば当然ですが喜んで指導します。 -
自由にのびのびから天才へ
「自由にのびのび」は貫けばアートの世界の天才になることができます。
素晴らしい理想の実現のために学校では「自由にのびのび」の概念が導入され教育が実践されてきました。 但し、教員の中に「自由にのびのび」を理解できている人はいません。 理想は素晴らしいです。 但し篠原有司男さんや大竹伸朗さんのような生き方を皆さんできますか?できたとして、しますか?しませんね?
「自由に伸び伸び」は中途半端では真価を発揮できません。 中途半端は「自由に伸び伸び」ではないからです。
学校教育、所謂美術教育では「自由にのびのび」が導入され推奨されます。
そして、おそらく、これは私の勝手な推測ですが、篠原有司男さんと大竹伸朗さんはそれを貫いた。
でも、ここに美術教育の大きな問題、矛盾、齟齬があります。
彼らはその姿勢を貫いた結果、東京藝術大学と相反することになるのです。
篠原有司男さんは東京藝術大学を中退しました。大竹伸朗さんは東京藝術大学に合格することはできませんでした。 当然です、彼らの作品は評価や成績をつけるような作品ではないからです。 素晴らしい作品です。 でも誰にでも作れますし、誰にでも作れるので入試で合格させるわけにはいきませんし、成績も付けられません。 素直すぎて進級もさせられません。 誰にでもできるので当然です。 でもアートとしては非常に価値のあるものなのです。 実は、成績などに関係なく人間皆がそのような制作をした方がいいものです。 そのことは社会に正しく認知されていません。 特に日本では日本人とアートは疎遠です。 豊かな生き方を伝えるために彼らのようなアーティストの活動は世の中には不可欠です。
彼らのように「自由にのびのび」制作することは子供でも大人でもした方がいいのです。 でもそれを今はまだ導入できていない。
クマビでは、その導入を上手くするためにスクリブルハウスというものの設置を計画しています。
完全に制約がない訳ではありませんが、絵の具を撒き散らそうが、大声でシャウトしようが平気な完全防音で、どれだけ汚しても水で洗い流せる設備です。
導入をしっかり行って、大人にも子供にもスクリブルハウスで遊んで頂きます。 -
人間の中の野生
人間の中には野生の部分があります。そこに豊かな感性はあります。
「自由にのびのび」で抑え込まれた豊かな感性の部分は解放することは可能です。
通常、常識として抑えている野生の部分を外に解放するツールはアートです。
普段隠していることでもアートが成功すれば公に解放することができます。
それを垣間見た時が、皆さんがアートの真価を垣間見た時だと思います。
皆さん当たり前で何とも思われないと思いますが、駅前や公共の場によく裸の女性や男性の彫刻が設置してありますね。 それもその真価の一つです。
野生は、人としてカテゴライズされていない野生の部分。ロゴスの介入しない部分。
言葉を覚える前の、生まれてすぐの、頭蓋骨が硬くなる前の、脳が未熟な頃の、脳の大事な部分です。
人間は人として生きるために野生を押し殺して生きています。それによる弊害は大きい。 押し殺しは人を窮屈にします。 その押し殺しから解放して豊かにできるのが「自由にのびのび」のアートなのです。 -
褒賞を得るとは?
褒賞を得るとはどう言うことでしょうか?
あなたは褒賞を得られると、人よりも優位に立っていると言う感じがしますか?
それとも今までの自分が超えられない壁を超えられたと感じますか?
壁を越え続けると伸び伸びしてきますか?
それはきっと窮屈なことの連続なのだと思います。
私は褒賞には反対です。
褒賞を越えるたびに窮屈になる。
褒賞を受けることは自由に伸び伸びではない。
褒賞とは違う次元に自由に伸び伸びはある。
アートはすでにそれを超えているはずです。
でも、日本では皆さんに上手くそれが伝わっていない。
だから篠原有司男はかつて東京藝術大学を退学しなければならなくなりました。
そして、東京藝術大学であっても、高校であっても、中学であっても、小学校も幼稚園も正しいアートの教育ができる先生がいません。
先生の中に知識をお持ちの方は沢山いらっしゃいます。 でもそれが機能しないのは忖度があるからです。
ピカソは子供の頃に普通の子供のような伸び伸びとした落書きを描くことができませんでした。 それを一生をかけて描けるように苦労してできるようになった。 「自由に伸び伸び」が皆に必要な本質がここにあります。 ピカソは幼い頃から上手に描かなければならない環境にいました。 所謂英才教育です。 英才教育にはその弊害があります。 伸びやかな心や感性の成長を妨げるのです。 ピカソは野生を完全に封じ込めることで可能な技芸を持っていました。
英才教育にはその弊害があります。伸びやかな心や感性の成長を妨げるのです。
そのため伸びやかな心や感性の成長を期待するのであれば褒賞を与え技芸を磨くことを煽ってはいけません。 そして、論外ですが、自由に伸び伸びに褒賞を与える行為は絶対にしてはなりません。
そもそも野生を解放し、自由に伸び伸びで描かれた作品に優劣は一切ないのですから。
せっかく解放した自由に伸び伸びを窮屈なものにしては絶対になりません。 -
自由に伸び伸びで描かれた作品に優劣は一切ない
コンクールの大罪があります。
「アートの特別な力」を殆どの学校が生かせていません。
そして子供達はその力を享受していません。
そのアートの力は簡単に消えてしまいます。
その力を消してしまうのは、褒賞、冷やかし、上手、下手、成績です。
そして大事なのは「自由にのびのび」
そのために学んだり、考えなければならないのは「制約」とどのように向かい合うか?
です。
「制約」との向かい合い方を学ぶことはアーティストとしての基礎を学ぶことになります。
基礎を学ぶには歴史を学び、作品を学び、鑑賞の仕方を学ぶ必要が出てきます。
そのような教育が日本の学校では行われていますか?
実は日本では「無い」のです。 -
子供たちの理想に従うべきです。
子供達が憧れたり、描けるようになりたい、描きたいとイメージしているのはどのような作品でしょうか?
篠原有司男さんですか?大竹伸朗ですか?それともピカソのゲルニカのような作品ですか?
ズバリ「違いますよね?」
一言で言うと「上手」な絵やイラストや漫画ですよね?
「アート」が「自由にのびのび」を推奨するのはなぜでしょう?
それはあらゆる制約から自由を獲得するためです。
「上手」になるためには様々な訓練をしなければなりません。
皆さんよく考えてください。
「子供が本当に自由にのびのびを望んでいますか?」
クマビでは本当に「自由にのびのび」を望んでいる子には「自由にのびのび」を指導します。
でも、実際はアートの本質を理解して「自由にのびのび」の良さを理解して納得して制作できる子供は現状ではいないのです。
大抵が「自由にのびのび」しながら意味がわからなくなり、だるくなって、飽きます。
そうするとクマビの授業は成り立たないのです。
子供達皆がすぐにやめてしまえばクマビの運営は成り立ちません。
子供が望むのは「上手」になることです。
クマビはそれに従います。