ハンディーキャップを抱える学生に最も大切なもの
ハンディーキャップを抱える学生に最も大切なもの。それは「鉄の意志」です。「鉄の意志」などというとこれを読んだ学生や親御さんの多くはクマビに来ることを辞めてしまわれると思いますが、この呼びかけに応じるわずかな可能性にかけて、呼びかけに応じた成功する少数のためにあえて一縷の望みをかけて言います。ハンディーを乗り越えるには本人の「鉄の意志」が最も大切です。このことを最初に口にするのは、ハンディーを抱えた学生の中から成功する可能性がある学生を取りこぼすことなく、1人残らず掘り起こしたいからです。掘り起こしたい理由は、人道的にハンディーを抱えた生徒を救う理由がひとつ。ハンディーを抱えた生徒が普通の人の越えることのないあらゆる困難を乗り越えた場合、その中から「天才」が現れる可能性があることが理由の2つ目です。3つ目の理由としては今後必ずスポットの当たる「美術系の学校に多いディスレクシアの生徒」が美術の道でしっかりと生きていけるように支援し、交通整理することが教育の側面から「美術の社会的な価値」を見い出し、斜陽にある美術全体の大きな助けとなると考えられるからです。
ハンディーを抱えた美術系の学生の成功例は稀少です。ただ稀少な話しの詳細を覗きみると確実性の高い成功例であり、美術の道はハンディーを抱えている人がより良い人生を歩む上での確実な手立てになることがわかります。但し、美術の道がハンディーを抱える人にとっても確実な道になることを公に正しく認識してもらうには個人の詳細な事情を公開しなければなりません。現状ではハンディーを抱えて成功した生徒の事情を詳細に公開することはできません。なので今回はあくまでクマビの持っている実例の中から公表しても問題のない講師の実体験を話します。
話は変わりますがハンディーを抱えた生徒が成功するかどうかの差はただ1つ「途中で絶対にあきらめずに最後まで自分の意思を貫き抜き通すこと」です。今の所成功例は100人いればほんの数人かもしれません。主な理由は、殆どの人がハンディーを抱えていない人ほど頑張っていないからです。美術の学校が全般的にハンディーを抱える学生を大事に擁護することに徹します。殆どのハンディーを抱える学生がそこに甘えて努力を怠っているからです。ハンディーを抱えている人はハンディーを抱えていない人以上に努力をする必要があります。たゆまぬ努力をした人は時間をかけて成功しています。ハンディーを抱えた人に言いたいのは「本当に成功したいなら擁護してくれる周りに感謝しながら自分に徹底的に厳しくなって欲しい」ということです。
「鉄の意志」を最初にお話しするのは様々な事情があります。それはハンディーを抱えた生徒自身に向けたものと、その周囲の人に対しての配慮を促さなければならない状況があるからです。ハンディーを抱えた学生が美術の道に入る場合、時として擁護する周りの人間に必要以上の大きな負担をかけ、それが徒労に終わることが多いからです。「鉄の意志」を貫けず、又、鉄の意志と言えるほど頑張れず、本人が挫折して諦めた場合は、その瞬間に全てが無駄に終わります。協力した人の中でも先生は仕事として報酬を得ているのでまだ良いかもしれませんが、家族はそういうわけにはいきません。実際に良くあるケースですが、本人は家族に甘えているだけで一向に本気になる気配はありません。甘えて一向に本気にならない子供に反して、御両親は際限なく無償の愛情を注ぎ疲弊していきます。そういった場合程、学生本人にまったく自覚がなく歯止めが利かない場合があります。こういったケースは成功することはありませんし事態は悪化していきます。御両親は子供に愛情の限りを尽くし、それをひとつの幸せと考えることも大切ですが、そうとは言い切れない歯切れの悪さを感じざる得ないのは、もし本人が眼ざめて頑張ったとしたら本当に本人が納得のいく結果が得られ、本人にとっての本当の幸せである「夢」を見るだけではなく、実現させることができるからです。
ハンディーを抱えた生徒の指導が上手くいかない失敗例には根深い問題があります。一番の問題はケーススタディーや参考例が少なく親御さんと先生ともに指導方法や細かい問題に対する手立てがわからないことです。誰もどうすればいいかわからず、現状を維持すること以外に手立てをこうじることができない状況は少なくありません。少しでも多くの参考例が必要です。全国の美術の学校の成功例を拾い集める機関や各々の学校が成功例を少しずつ公にしていくことが大切です。
鉄の意志を貫く為には
「鉄の意志」を持ってそれを貫くために必要なことがあります。それはハンディーを抱えた生徒自身が自分の頭で「美術以外に他に進む選択肢がない」と考えることです。言うなれば「逃げ道」がある人は度重なる困難を前にして途中で挫折します。ここで言いたいことは自分を美術以外に選択肢がない状況に追い込むということではありません。「美術以外に選択肢がない場合にそれに気付く」ことや「美術の道に微かに見える可能性に気付く」ことです。
美術以外に選択肢がない
美術以外に選択肢がない状況が実際にあります。非常に複雑な問題が交錯する話しなので抽象的な話しに陥っては具体的にどうすれば良いかわかりづらく、正しい答えに繋がりません。わかりづらいため具体例を上げて説明します。今回上げる例はクマビの講師小平の例です。本当は様々なケースを取り上げて説明した方が色んな違う状況に置かれた学生の参考になるので良いのですが、学生の具体例は今後1人ひとりから公開の許可を得て公開させて頂きます。今の所個人の経験をもとにした幅の狭い話しになりますので御了承ください。
「美術以外に選択肢がなかったケース・・・講師小平の場合」
小平が美術の道に入った一番決定的な事情や理由は高校1年生から発病したディスレクシアです。ディスレクシアは近年少しづつ認知度が上がり始めている学習障害の一種です。小平の場合は文章が音読できても黙読によって記憶することができなくなりました。当然学校の授業の成績はどんどん悪くなります。元々悪かった頭で必死に勉強していたので中の上程でしたが、半年程度で下の下まで下がりました。言うまでもなく勉強で進学する道は閉ざされました。
2番目は中学1年生で発病した舞踏アテト―ゼです。舞踏アテト―ゼはてんかんのような発作が起こる病気です。小平の場合、初期の頃は走りだそうとした瞬間や椅子から立ち上がろうとした瞬間に全身の筋肉の力が抜けで倒れてしまう発作がおきます。中学1年生の頃から発作の頻度が増し、高校生の頃には動こうとする度に発作が起こるようになりました。舞踏アテト―ゼによってスポーツは勿論、肉体労働系の世界に進む道を閉ざされました。
3番目は高校3年生の時の父の仕事の倒産です。これによって親が高校3年の1学期で失踪し、経済的な支援を受けられないばかりか自活しなければならなくなりました。
主にこの3つの決め手によって小平は美術の道に進む以外社会に出て仕事をして生計を立てる方法はなくなりました。
時系列で説明致します。
美術の道に進路を決定するまでの流れは次の通りです。
①高校1年生の1学期に東京芸術大学油絵科1本で大学受験することを決めました。この時点で当時の東京芸術大学の油絵科が入試で学科の成績を見ていないことを知りました。
東京芸術大学の油絵科は以前学科の点数は合否に影響していませんでしたが現在は影響があります。
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②高校1年生の2学期ごろからディスレクシアの症状が悪化しはじめました。文章を読んでも本格的に頭に入らなくなってきたので、ディスレクシアと共に自分が生きていく方法について考えました。
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③高校1年生の頃から父親の経営する事業の調子が悪くなる様子が察知できました。進学できない場合も踏まえ就職も視野に入れて高校卒業後のことを考えるようになりました。
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④高校2年生の頃、ディスレクシアの症状がさらに悪化し、高校を卒業して就職したとしてもまともに仕事を覚えることができないと判断しました。幸い自分の志望校の東京芸術大学油画科は当時学科の点数が合否に影響していません。又、舞踏アテト―ゼのため体を使った肉体労働関係の仕事もできないと判断しました。高校卒業と同時に就職できたとしても長く続けることができないと判断して、就職ではなく芸大を目指すことにしました。
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⑤高校ではディスレクシアのことは伏せて周囲には進学する姿勢を見せて就職を避けることにしました。
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⑥高校3年生の1学期に父親が事業に失敗して失踪しました。
以上が小平が美術の道以外に自分の進む道はないと考えた大まかな流れです。
ハンディのある人にも可能性は十分あります
このページでは、ハンディーを抱えた皆さんの事情や気分を考えずに随分と偉そうなことを言って本当に申し訳ないと思います。ただ、偉そうなことでも、強く言う理由はハンディのある学生も十分可能性があるということを伝えたいからです。美術の学校ではハンディを抱えた学生を営利目的で利用し、擁護するだけで結果的に何もならないまま卒業させる状況を眼にします。但し、中には本人が普通の人の想像を絶する努力をしてハンディーを乗り越えるケースがあります。なので努力をする覚悟のある学生や美術系の学校が可能性がないと誤解をして諦めてしまうことを避けるためにこのページを書きます。日本中の大小様々な美術系の学校が前向きに取り組めば必ず大きな力になります。埼玉やクマビに通える範囲の群馬/栃木でハンディーを本気で乗り越える気がある人はクマビに来て下さい。クマビにはハンディーを抱えた人を冷やかす先生はいません。厳しい時もあるかもしれませんが活路を見せます。