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美術予備校に通う意味がわからない人

小平 崇史

東京藝術大学絵画科油画専攻 卒業

  • お笑い芸人や漫画家や画家は低俗

    「絵を描く=勉強ではない」
     絵を描くことは勉強ではないという認識は高校の先生や親御さんにあることがあります。絵を描くことが低俗なものだと思われていることがあります。生徒の作品を見て浮浪者になる勉強をしてるといわれた親御さんもいました。本当にそのようにみえているようでした。そうなった場合絵に対するイメージをすぐに変えることは困難に思います。人を見下す見方をそう簡単に変えられるものではありません。不可能に近いでしょう。そうなった場合には突っぱねるしかない場合があります。こちらも生きていますからそれに共感しへりくだるわけにもいきません。
     かといって美術予備校として親を突っぱねることを高校生に勧めることはできません。つっぱねろとはいいませんが、こちらの世界は悪いわけではないので美術の世界の先輩としては親の反対を押し切ってでもこっちに来て欲しいとは思います。それでいつか親御さんに美術のことを理解してもらえる日が来ることを願います。

     ちなみに元々我々芸術家は下賎のものです。身分のいやしい人間です。それは認めます。親御さんのいうことも間違っているとも思いません。でも本音でいえば私はそのような差別をする人間が間違っていると考えます。それが人の親でも偉い高校の先生でもです。
     親御さんの中には絵の具まみれになっていたり、悩んでうずくまっている生徒を見て「ひやー」といってさげすむ方もおられますが、私は生徒に胸を張って生きて欲しいと思いますし、私も画家として生きていこうと思います。
     誰からも美しいと思われようとは思いません。人間の認識する美しさとは偏りのあるものです。問題は親子で子供の将来を判断するときに美しい、いやしいの軸が完全に相違しているときです。相違はいいとして親御さんが自分の価値観が絶対的に正しいと信じ込んでいて、子供を正い道にススメさせるために美術から引き剥がそうとする時です。

     美術の道自体が美学として許されない時があります。マンガを低俗なものとみなしたり、お笑い芸人や画家も低俗なものとみなされます。
     美学は教育によって植え付けられた思い込みやそれに対する共感です。例えば質素倹約を大事に労働を大事にし、生きていく上で華美である必要はない。お金も余計に必要なものではなく公務員で十分。公務員でなければ仕事ではないと思い込んでいる方もおられます。それぞれに理想の仕事があります。無理な進学をしないで高校を卒業して公務員になることは確かに美しさがあります。とても親孝行です。そこにスポットライトが当たっており共感が得られる人は多いでしょう。ただ私の認識は少し違います。

     人は美しさを美徳として目指してしまうと自分がスポットライトを当てている世界を尊敬できたり、陶酔できたりし、万能感や幸福感を得られたりします。その一方でスポットライトを当てていない日陰の正解は蔑んだり悪く捉えています。昨今のジェンダー問題もそこから出てきています。どうしてもライトを当てている世界はよく見えて共感するが、ライトの当てていない世界を悪く見て共感を得ることができません。美しさを美徳として生きることが本当に正しいのか?色んなところにスポットライトを当ててよく考えてみるといいと思います。美術にスポットを当てたことがない人はこれを機会に当ててみてください。捨てたものではありません。
  • 絵を描く=勉強ではない

     美術予備校入学を反対する高校生の親御さんの反対理由に多いのが「絵を描く=勉強ではない」という考えです。
     予備校に通う生徒と先生の意識は遊ぶ意識ではありません。あくまで生計を立てていく仕事ですから勉強です。美術予備校が遊ぶところだと誤解されている場合はその誤解を解かねばなりません。

     親御さんの子供に対する役割は「支える」か「守る」かです。概ね養護し守ることが先決で子供が大きくなるまで必死に守り抜かなければなりません。そうしなければ子供は生きていけません。問題は「支える」ことです。これは親御さんの手を離れて他の人に任せなければならない問題だと思います。美術の世界で成功するために陰日向で支えることは専門分野の人間に任せなければなりません。その際に親御さんの手は離れるものです。親御さんが美術系の進路に反対する原因がその子が真面目にやれないことだとするとしょうがないと思います。問題はそうではなく絵が遊びにしかみえておらず反対され、いつまでも守らされると誤解されている時です。その場合は誤解を解かなければなりません。

     子供が平然と親のすねをかじり、かじることに馴れ合いになってしまっている場合があります。半分いいようで、自立を考えれば問題です。子供が甘えるばかりで頑張れないのであればボタンの掛け違いが起きているのでよい関係を設計し直し築き直すべきです。太古の昔、半数の子供は大人になれずに死んでいったといいます。病気や事故に限らず自分の集団の中でのいさかいで死に追いやられることも多かったそうです。そうした中で生き残る生存本能が頭に組み込まれ、それが上手く機能すると甘えるだけで生きていける状況を作り上げられるようです。どれだけ怠けていても生きていける関係を親御さんと上手く作る。そういった子供も多いです。
  • 成功と挫折

     「人生は甘くない」ということは間違ってはないと思います。いつまでも家庭で甘やかしているのではなく、子供を社会に送り出してください。しかし、将来のイメージが大事です。挫折を前提とするか、成功を前提とするかでイメージは全く違います。私は問答無用で成功を前提とすることを選びます。挫折を前提として挑戦しない生き方を私は残念に思います。
     
     人生に成功している人間が高校生の将来を予測することと、人生に成功していない人間が将来を予測することにも差が生まれます。人生に成功していない場合、人の成功のビジョンを鮮明にイメージすることは経験的にできないものです。高校生にアドバイスするときに成功していない人間がアドバイスすることがどうなのかよく考える必要があると思います。私が高校生の時東京芸大の先輩に会いに行った際、芸大生から「芸大に来るの?絶対入れるよ」と全員にいわれました。その当時は違和感を感じ、現実的に芸大に入れる実感は持てませんでしたが、今はやはり努力しやり切れば絶対に入れることがわかります。これがビジョンの違いです。成功している人たちと関係を持ちスポットライトを浴びせてもらうことで自分でも成功の共感が得られます。人はそこで思いのほか大きく成長できるものです。

     親御さんが反対する場合、美術系の方向に行かせたくないことを口実にしている場合もありますが、本当に誤解されていることも多いです。そういった場合よく話せば理解が得られるものです。

     親御さんの話す対象が高校生だったり、高校の先生の面談の場合は絵が勉強ではないとの考えが通用することがありますが、美術予備校や芸大美大の先生には通用しません。もし高校の先生や親御さんで勉強ではないとの考えを変えられない人がおられたら芸大美大か美術予備校の先生とその話をするといいと思います。成功の意識が伝播するので話した瞬間に親御さんの考えは変わるはずです。普通の人は現実的に美術の世界で生計を立てている人を目の当たりにしたことがないので行き違いが起きるのは当然です。実際に会ってみれば現実になるので、これまで変わらなかったことはありません。話せば話はその先に進みます。
  • やる気があれば親御さんはたいてい許してくれます

     問題は本人のやる気です。やる気が伝われば許可がおりるものです。やる気がなければそもそも絵が仕事かどうかなんて普通は関係ありません。
     時として断固として許可が出ない場合があります。どうしてもという時は親御さんの反対を押し切る必要があります。本人がやる気で親御さんの反対を押し切って成功を掴み、成功した子供の姿を見て大喜びする親御さんと高校の先生の姿は何度も見てきました。これからも見ていくのだと思います。
  • 大きな挑戦ほど反対が大きいもの

     大きな挑戦というものは周りの人の反対が大きいものです。そしてそれを振り切らなければ大きな成功はありません。成功したければ挑戦者として周囲の反対を押し切ることぐらいは覚悟しましょう。

     親御さんと高校の先生の中には無難な道を勧め、大きなチャレンジをするというと激昂したり、猛反対する人もいます。その場合は間違いなく高校の先生の利益を害しています。でも気にせず前に進みましょう。私の高校の時の先生もそうでした。人生はそんなに簡単に測れるのか?と問いたくなります。答えは当然ですが測れません。無理だと断言する大人は全て測り間違えています。
     あくまで本人の努力次第です。高校生のあなた自身が努力を惜しまないのであれば前に進んでください。高校の先生や親御さんに激昂されて辞めてしまうのであればそれまでです。
  • 絵は仕事です

     絵を描くことは仕事です。少なくとも受験です。遊び感覚で合格できることは稀にありますがそれにはかなりクレバーな戦略が必要です。それでも顔を歪めて遊びだというイメージを変えられない親御さんが多いですが、親御さんご自身に一度石膏デッサンでも描いていただければどれだけ大変なことかよくご理解頂けるのにと思います。失礼ですが無難な道を勧める大人のほとんどが半端な石膏デッサンしか描けません。

     親御さんからすれば美術予備校に来て絵を描いていることは辛いことなど何もなく、ただ好きなことをして遊んでいるだけ。家でゲームをしている様子と変わらないような認識の人もいます。いうまでもなく趣味で絵を描くのと仕事として絵を描くのは全く別物です。また、ゲームをすることとゲームを作ることも全く違います。
     楽に上手くいくように見せかけて指導している場合がありますがそれは最悪です。楽しい絵やゲームの仕事ができていいね!と楽観的に進路指導される先生も多いですし、安易に専門学校に進学を勧められることは多いです。そこからは進路が未定だと困る先生の下心が透けて見えます。楽観的に進学した場合、就職した時点で大変な状況に初めて直面してすぐに辞めてしまう人は多いです。難関校を出た学生に仕事の厳しさを知らずに就職した後辛くてすぐに辞めてしまう人はいません。
  • 絵なんか描いてもお金にならない

     一般的には絵なんか描いてもお金にならないといった考えが普通だと思います。それはお金になる場所にいる場合は当てはまりません。その場所に行くために1つの方法として東京芸大を目指すのです。お金にならないと決めつけてしまうのは本当に誤解で、本当にお金にならないなら美術に関わる大人が全て稼いでいないことになります。
     稀に一部ヒモのような生活をしている人もいますが、ほとんどの人は良識があるのでヒモなどにはならず自分で稼いで自立しています。そしてその仕組みやビジネスが人知れず成り立っている。難関校ではそれを知ることになります。もしくは自分でビジネスモデルを設計して通用させています。その創造力とたくましさを養うのが美術予備校であり難関大学です。
     絵を描くことが仕事である以上、美術予備校で絵を描くのはたいていがとても辛く、きつく、頭をかなり使い、体力もかなりすり減り疲労困憊する大変なことです。元は遊びのようなことから端を発していることも多いですが、遊びを3000人の中で競い合ったらどうなるか想像してみてください。その競争の中では知力、体力、精神力、経験などなど全身全霊の力を振り絞りながら勝ち抜いていく熾烈なものとなります。
     このような美術の世界に興味関心を持っている人たちはいます。そして社会で残そうとしますし、機能させようとします。それが巨万の富を持っている人、例えばたいていがそのような方は投資家ですから、企業と同じく作家に無償の奉仕の精神で限りなく投資をしてくれています。そういった人が人を探しにくるのが東京芸大といった頂きです。末端にはわざわざ忙しいのにいけません。受験生は相手にされるように名刺がわりに難関校を目指すのです。東京芸術大学に関していえば普通の社会人が人生の中で経験することはないような熾烈な争いに勝ち抜かなければ合格できません。たいていの親御さんと高校の先生に耐えられる試練かといえば無理です。
     美術に限らずどのような世界でも中途半端にやらなければお金はかなり稼げます。だから受験では厳しい競争になり、夢を叶えれば普通の人では到底手にすることはできない巨万の富を手に入れます。少なくとも大きな収入につなげることができます。私も含め周りもお金の心配はしていません。今があるのは東京芸大に行ったからです。美術予備校に通うことは大きな意味があります。
  • どうせ勉強しないけど意味はあるかもしれない

     親御さんの中には美術予備校が悪いわけではなく、お子さんの問題としてどんな学校に通ってもサボるため学校に行かしてもどうせ遊んで、まともに勉強しないので、意味がないと考えられている場合があります。それは本人が本当にサボるだけで全く学習する意欲がない場合には親御さんの心配の通り学習として通わせる意味は全くないかもしれません。予備校は試験をして入学させるわけではないので、そのようなモチベーションの低い生徒も一定数います。
     ただ中には途中から心を入れ替える生徒もいます。ですから可能性に賭けて様子をじっくりと観察しながらやる気が起きるのを辛抱強く待ちます。当校に限るかもしれませんが場合によって生徒のためにホストにもなります。そういった生徒達は普通にコミュニケーションを取ることも困難だったりします。怖がったり、キレたり、わがまま放題だったり、しゃべれなかったりします。相手がホストでなければコミュニケーションが取れない子が多いです。ですからホストとなって色んな物事の緩衝材になりきり養護することは多いです。結果的に本当にお金をどぶに捨てるだけの生徒もいます。こちらの努力が全て水の泡だと思える時もあります。そういった生徒に限って全く感謝せずにケロッとしています。でも、そういった生徒は学校に行かずに働いていたとしても仕事は長続きしません。仕事を辞めた後、要領のいい子ならヒモになったり、夜の仕事で稼いだりして楽しくやっていたりします。最初からそのような生き方を知ってしまう環境だった場合、生き抜く処世術としてよく学習しています。勉強よりもそのイメージが強い人もいますから、よくはわかりませんがそれはそれでいいのかもしれません。親御さんがそのような生き方を見せたり、直接教えていたりすることもあります。親御さんが政治家をされていたりすると多いですね。
     後は家で引きこもる子もいます。それは家が安全基地なのですからそれもいいような気がします。家に引きこもったり、夜の仕事につく可能性を断つことを望むなら興味関心が少しでもある美術の世界に一度入れてみるのも一考だと思います。
  • 美術予備校に通う意味のわからない一般の学習塾の先生

     美術系ではない一般の塾や予備校の先生の中には美術予備校に通う意味がわからない方が一定数おられます。美術予備校にいかずに自分の予備校に通って受験した方がいいと美術系の受験生に勧誘したり、自分の予備校から流出しないように引き留めている先生が多い印象ですが、純粋に美術がわからずに、美術予備校のこともわからないため意味がわからないといわれる人もいます。普通生きていて美術と関わることなどないので、学校で授業を受けたっきり美術と疎遠な方々にわかるわけはないので仕方ありません。
     実際にクマビと一般の予備校とのダブルスクールで受験に失敗した生徒がいました。自分の予備校の生徒で看過できないので、受験後にその予備校にお話にいったことがあります。細かいところまで確認したので美術予備校にしっかりと毎日通って対策しなければ合格することが難しいと認識していただくことができました。一般の大手予備校になるとそこから美大芸大を受験する生徒が出てきます。美術予備校に通う必要ないほど実技のレベルの低いところや学力重視の大学や学部には合格しますが、実技の難関校になると合格は不可能です。東京芸術大学や多摩美術大学、武蔵野美術大学の難関校に受かることはありませんので注意してください。例外として芸術学部や建築学部などの学力優先の学部、それと実技が既にできている場合、加えて共通テストで満点くらい取れる場合は私立は実技が少しできれば合格することがあります。
  • 高校の先生は将来の道を切り開くスペシャリストではありません

     学ぶことによって将来の道が大きく開かれることがあります。予備校の勉強もその1つです。高校の先生は常識的なこと、普通のことは指導できても将来の可能性を大きく切り拓く指導は苦手です。美術でなくとも勉強でもそうです。高校の先生は高校の授業のスペシャリストであって受験のスペシャリストでも将来の夢を叶える進路指導のスペシャリストでもありません。美術予備校で言えば偏差値底辺の高校から東京芸術大学に現役合格させることができます。高校の先生には無理です。クマビではできます。
     世界的に活躍したり、日本を動かしたりする学生が育つのは難関大学が多いです。美術系の難関大学には美術予備校に通わなければ通用しません。東京芸術大学の全科、多摩美術大学と武蔵野美術大学の一部の科がそうです。これらの芸大美大が教育していることは高校ではカバーできない内容です。いうまでもなく高校は万能ではありません。高校が教育できないことがある以上美術には予備校が不可欠なのです。
  • 偏差値底辺からでも東京芸大は合格します

     芸大美大の難関校の半数は偏差値60ありません。芸術学部と建築学部がグッと偏差値を底上げしていますからそれを差し引くと実技重視の学部の生徒の3分の2は60もありません。3分の1は100点満点中3割程度しか取れません。
     問題は学力の低い高校からでも芸大美大の難関校を目指せるのに高校の進路指導の段階で釘を刺されて他の進路、例えば就職や専門学校に誘導されてしまいます。もちろん高校の指導が正解になる場合があり予備校に来たはいいけれども本気になれずにグダグダで終わる高校生もいます。グダグダで終わった生徒を振り返って高校の先生が正しかったと思い返すこともあります。高校の先生の勘が正しいこともありますので高校の先生のいうことを無視することもできません。予備校は成功する生徒の方が多い場所です。ほとんどが夢を叶えます。高校とは違います。そのため予備校では頭に浮かぶ勘は成功の方に傾く傾向はあります。難関校の受験を勧めることをやめるイメージには到底なりませんし、実際難関校受験を勧めないわけにはいきません。
     偏差値の低い高校から東京藝術大学に合格する生徒が出てきます。私もそうでしたし、教え子にも大勢います。最近でも工業高校から東京芸大に合格しました。人生の大逆転だと思います。そうするのがクマビです。予備校で人生の大逆転を起こすことができます。高校では難しいことです。
     偏差値底辺の高校から今まで何人も東京藝術大学に合格させてきました。自慢ではないですが造作もないことです。でもここで働いたものは勘です。辞めさせた高校の先生も予備校の先生も勘です。
     大抵の予備校は誰でも受け入れます。クマビの場合は無理だと言い切れる生徒は受け入れません。そして可能性がある生徒は受け入れます。本人が頑張れば合格できます。頑張って精神面から何から何まで養って合格させます。偏差値の低い高校生は何から何まで養っていかなければならないことがほとんどです。あらゆる面で最初は普通より劣ります。で、一番大変なのは本人です。その本人がどんなことでもやるつもりで予備校に来ているのです。それを断ることはできません。
     偏差値の低い高校生は表面では何もできないように見えるかもしれませんが、誰にも負けない強い想いを持っていることは珍しくありません。その場合は可能性に賭けるべきです。高校の3年間で間に合わなければ浪人してでも能力を養っていくべきです。
     高校の先生は浪人を視野に入れることができません。予備校の先生は浪人して当たり前くらいに考えます。浪人を視野に入れるかどうかでも結果を出せるかどうか見方は変わります。東京芸術大学は現役合格は数%の可能性しかありません。現役合格しない科もあります。浪人して当然です。最近は高校の上司から高校3年生で必ずどこかに合格させるように命令されていることが多いようです。そのため本当にどうでもいいような大学を1つ受けるように高校の先生にいわれて静かにいうことを聞いて無駄に受験する高校生もいます。見ていて悲しくなります。また、高校の先生から執拗に電話がかかってくることもあります。私はそんなプレッシャーに流されることはありませんが、普通の神経の親御さんなら執拗に電話をかけられれば折れてしまいます。実際にそのような悲しみについて親御さんから相談を受けることは何度もあります。いうまでもないですが現役合格が絶対条件の高校の先生は間違っています。受験を強要するような指導は絶対してはなりません。そこに外からスポットライトが当たる日は近いと思います。
     偏差値が低く大学進学に興味がない高校の生徒を東京藝術大学に入れるといった想像をすることは高校の先生には難しいかもしれません。ただ、他に優れたことがあればいいのですが、何もないのであれば本人がやる気を出している世界に飛び込ませた方がいいと思います。トライアンドエラー上等です。はなからダメだと認定せずにやらせてください。少なくとも進路を強要することはやってはならないはずです。
  • 部活の顧問をしている高校の先生

     ご自身が部活の成績を利用し推薦で大学に進学した先生は受験勉強をするよりも部活に力を入れた方が進学の役に立つと考えています。教育系の先生に多いです。
     教育系の先生に相談されることがあります。教育系の大学は受験勉強をする必要がないので安心して部活だけしていればいいと高校の先生が生徒に説明しても信じてもらえないので、高校の先生から高校生と親御さんに説明してほしいと依頼されることがあります。
     本当に受験勉強をしなくても高校の先生になれます。それは本当です。勉強が苦手な高校生で部活に打ち込める人は多いので、確かにそれがいい高校生もいます。そういった高校生は最初から大学進学を諦めていることが多いので、そういった高校生には教えてあげなければならないと思います。勉強ではなく部活の成果を大学側に評価してもらって合格を狙う高校生は受験勉強はしなくてもそれでいいと思います。このようなケースは必ず家庭環境に問題があったり、経済的な事情があります。困難な状況にあっても進学のチャンスがあるわけでそれを生かさない手はありません。経済的貧困に陥っていれば高校生自身がアルバイトをしない限り予備校など行く余裕はありません。そうなれば予備校など糞食らえで部活に打ち込んで立派に大学に進学することは大賛成です。
     で、高校生本人がアルバイトをしたり、浪人してでも美術予備校に通いたいと考えている場合は部活をしている場合ではないので高校2年生くらいからは部活を辞めて予備校に通ったりアルバイトをするなりするべきです。
     問題は、予備校に行こうとする生徒が部活を辞めようとする際に抵抗する高校の先生がいます。とても多いです。高校の先生は良い先生ばかりですが中には悪い先生がいます。自分の利害を優先し子供の将来など微塵も考えない高校と高校の先生がいます。どこかのタイミングで社会問題にするべきです。
  • 中には悪い高校と高校の先生がいます

     上でも少し書きましたがほとんどがいい先生です。でも高校や部活の先生の中には悪い先生もいます。ないないに高校の先生に聞くとそういった場合上層部が悪玉だったりするので根が深いです。そういった場合はその高校を辞めた先生から詳しく聞くことができます。
     悪い高校は受験勉強が必要な大学を受験すること自体否定し受験を辞めさせようとします。もしくは部活をやっていれば東京芸大でもどこでも合格できると嘘をつきます。はたまた武蔵野美術大学が最も優れた大学だと嘘をついたり、Fランクの日大がプロと同レベルだと誇張しているなど数え上げたらキリがないほど偏執的な教育を行っている高校がたくさんあります。中には保護者が立ち上がり虚言を暴いて高校を辞めてもらったケースもありますがメスが入ることはそうそうありません。
     困ったもので受験などどうでもよくて高校の部活を優先して生徒には受験勉強ではなく部活を優先するように圧力をかける先生がいます。中には村八分にしたり激昂するもはや先生ではなく輩がいます。受験勉強をした方が将来のためになることがわかっていても部活で高校が有名になることを優先します。美術が盛んな高校ほどその傾向が強くなります。
     そういった部活はやはり悪いことをしています。その昔合宿で裸の先生をマッサージさせられる女子高生の相談を受けたことがあります。そういった強肩の高校の先生は生徒の受験のことなど気にしません。なんとも不条理だと思います。表に出せない状況を作り上げていて悪いことが悪いことだとも思えないようになっています。でもそのような行為に及んだ場合、必ず被害者は信頼できる誰かに打ち明けているものです。一昔前なら問題が露呈した時に学校はもみ消しに走りました。今でももみ消しに走る高校はありますが、今はもうそんなことで消せる時代ではありません。私が特に問題にしているのは予備校に行けないことです。昔ほどではありませんが今でも風当たりが強いです。これはれっきとしたハラスメントです。高校生が健康的に学べるように、高校は真に健全であるべきです。
  • 受験勉強をしたことのない高校の先生

     高校の先生に多いのは大学受験の時に推薦で合格したりFランク校に進学したために受験勉強をした経験のない先生です。最近特に増えてきています。
     受験の経験がないために受験勉強が必要な大学を志望する理由が全くわからない先生がいます。予備校に行ったことがないので休みを返上してまで勉強をすることがどういうことかわかりません。勉強をすることに可哀想だと同情する先生もいます。進路指導では勉強をすることが無駄なことだったり、悪いことのように語ります。美術予備校に通って絵を描くと自由を奪われたり、好きなように描けなくなると心配する先生もします。自由や好きな絵を描けなくなるのは半分正解です。もう半分は高校生に将来の可能性を全く示さないことが問題です。先生は趣味で絵を描くことを勧めるのが仕事でも指導でもありません。そんなもの授業でも部活でもするものでもありません。先生という者は将来の道を切り開く指導をする者です。それができないのであればできる先生に委ねてください。

     受験勉強の経験がない先生は予備校で学んだ感覚がないので、予備校に行かずに高校時代を過ごし身につけた価値観をお持ちです。それは、帰宅部の感覚、部活の感覚、受験に余計なお金を使わず親孝行する感覚などです。
     受験勉強をしなかった場合、予備校ではなく遊びか家庭ですごす時間が増えるので、ご家庭で培った感覚が優位に立つことが多いように思います。予備校で余計な授業料を使うことを親不孝なことだと捉えていることはよくあります。確かにそれがいい高校生もいますがそれが本当に指導になっているのか胸に手を当てて考えてみてください。
  • 境界知能の方が美大芸大受験に望むことについて

     まず、境界知能の方ですが美術予備校で境界知能の方が受験に成功する可能性はゼロではありません。ただし、ほとんどの学科でゼロだと思います。しいて可能性があるとすれば油絵学科です。でも、東京芸大の油画専攻の入試説明で障害のあると思われる質問者に対する答弁のくだりで教授が「勉強ができなくても頭が良くないといけない」と発言したように、基本は勉強ができなくても考える力が大事で、この発言の頭が悪いという人物像を形にしたときには境界知能の人が含まれると容易に想像でき、境界知能以外の人が該当するのは難しいです。さらに大学のやり方(教え方、育て方)に適応できることが必要です。可能性はゼロではないと言いながらも様々な要件を鑑みた場合にゼロといっていい人が大半だと考えます。
     私自身境界にある生徒に無理をさせないために受験を諦めるようにお話ししたこともあります。それにそのようにお話しした生徒が後に推薦で多摩美に進学したケースもあります。つまり無理をさせてはならないのは十分承知の上で可能性をゼロだと断言することもとても難しいのです。そういった意味では安易に取られてはダメですが誰でも可能性はあるといっていいのかもしれません。楽ではなくいばらの道だと思ってもいいと思います。さらには障がい者を利用して儲けるビジネスモデルと集団が昔からいるので気をつけてください。逆に、棟方志向や山下清やゴッホのように心ある人から金銭面とプロデュースと描き方のアドバイスで支えられて成功する人もいます。支える人と巡り会えるかどうかは投資家を想像するといいと思います。ゴッホは今で言えば宇宙開発に手を出していて宇宙で描く画家として弟が送り出したようなものだと思います。宇宙は当時で言えば、絵の具のチューブが開発され画材店が生まれたことです。弟はそこに投資した人でした。ゴッホは宇宙に飛び出すようにアトリエの外に絵の具を持ち出していち早く絵を描いた人の1人でした。
     心ある投資家は社会に必要な開発を進める企業には無償の奉仕の精神でいくら投資しても惜しくないと考えている人です。そのような投資家の中にアーティストやデザイナーにいくらでも投資したいという人が現れます。
     世の中には何百億もお金を持っている人がいます。そのような人と出会うことはないと思われるかもしれませんが、そういった人が覗きにくるのがこの世界です。一人と仲良くなればその輪は広がります。私自身は貧困層の出ですがたくさんお金を持っている人とも対等に知り合え関われるのは東京芸大を出て画家をしているからです。私は自分で事業を起こしてお金には困っていないので必要ないのですが、サポートを望むのであればこの世界に来てみてもいいかもしれません。美大芸大でも特に東京芸大はそういった人たちに出会う近道だと考えます。

     私自身はディスレクシアでしたから普通のみなさんと比較すると高校で7教科も赤点になるほど一般のクラスは適当ではなかった人間です。そのような追い込まれた状況にあるとそれ以上堕ちることはないので腹を括れます。つまり生き抜くために必ず何かをしなければならないので強行突破で受験に臨む構えはできます。そういった意味では説明会の彼女も可能性は十分あったと思います。問題はどう話すかです。どんなリスクでも自分で負えるというなら知能がどうであれこの道に進んできていいと思います。頭の良さとはその際に発動されるものです。あとは、逆にこの世界で成功している境界知能の方のエピソードはかなり盛られていますので、鵜呑みにして楽に上手くいく可能性があると勘違いしないように気をつけてください。

     話が戻りますが東京芸大の教授が「頭が良くないといけない」との発言は東京芸大の教授としてあまりにナンセンスだと個人的には思います。でもみなさんにはそのような人(基本すごくいい先生ですがこの件については問題で、これが問題であることに本人は全く気づいておらず、芸大の先生は基本そんな感じです)も大学内にいることを認識しておいて欲しいです。そのような人がいても腹がくくれていれば受験していいと思います。だから想いや考えがある人は受験をしてください。
  • 美術予備校に通う意味をわからない人

     美術予備校に通う意味のわからない人がいます。美術予備校に通う意味がわからず通うことに反対されている親御さんや高校の先生がいます。意味を理解していない人を説得するには意味をしっかりと説明できなければなりません。その説明に必要な知識を高校生は得ることができません。説明は美術予備校の先生に任せるべきです。そもそも芸大美大に進学する目標は世界的や歴史的に活躍するデザイナーやアーティストになることです。大前提として世界や歴史を相手にすることになります。その脇に企業への就職があります。と、そんな話を高校生が具体的に話せるわけはありません。美術予備校の先生でも、その高校生が将来どんなデザイナーやアーティストになって具体的にいつどこでどのように世界的に活躍して歴史に名を残すか?知るわけありません。言えることは東京芸大他難関校がそのような場所であり、実際に世界的に活躍する人が出てきており、受験生の時に具体的な話などできないということ。高校生の時に具体的に話せるのは割と楽に誰でも取れるような資格のような目標の低い話です。どんな資格を取るか?といった具合にわかりやすい話であれば安心かもしれませんが、そんな低い努力のレベルで人生を歩んでいくモチベーションは逆に私は心配です。せっかく生まれてきて頑張れるのに頑張らないのは本当にもったいないと私は思います。

     美術予備校が美術予備校に通う意味をしっかりと説明できれば、美術系の進路への悪いイメージは払拭され美術予備校に通ってくれる生徒は増えると考えます。
     受験に疎遠な方は予備校に通うほど受験勉強をするか?はたまたしないか?そんな境界線にいます。美術に疎遠な方々もいます。美術に興味があっても事情がある方もいます。いわゆる境界知能の方もいらっしゃいます。境界知能の方は美術に興味があっても予備校に通う意味が理解できない方もいます。経済的に困窮している方には見て見ぬふりして家族に迷惑かけないようにしている表面上意味がわからないという体の方もいます。一般的には芸大美大受験の悪い話、難しいと言う話が先行していて芸大美大受験に悪いイメージを持っている人の方が多いと思います。概ねアートや美術は難解だと思われ嫌煙されています。芸大美大は狭き門だと思われています。卒業しても食べていけないと思われています。このようなネガティブなイメージが芸大美大受験のベースになっているので改善の余地がとてもあるのです。

     そもそも美術に可能性を見出せない方もいます。わかりやすい他の道にすでに可能性を見出しているので美術には見向きもしない人もいます。懐疑的な人たちがいます。
     美術予備校として美術系の進学への意味をしっかりと説明できれば、美術の方向に正しく向く人は増えるはずです。一般的な認識の通り美術系の道は確かに厳しい道ですが、活路が見出せないわけではありません。美術予備校によってはその辺りも踏まえて指導します。クマビでは話します。
     美術の世界は一定以上の力を出し切れば必ず道が切り開ける実力社会です。そのため偏差値60以上の学力やスポーツで成果を出すなどの努力をしてきた人には必ず越えられる世界だと思います。特に勉強のできる偏差値の高い高校の学生に嫌煙されていることは多いです。努力を惜しまない高校生たちに誤解され続けているのは残念なので誤解を解けるように書かなければなりません。
     偏差値の高い人ばかりに可能性があるわけでもありません。私自身高校生の時は偏差値底辺でしたし他にも勉強ができない人はたくさんいます。つまり偏差値底辺の高校からでも成功している人はたくさんいるのです。これも周知していかなければならないと思います。なぜなら成功できる可能性を知らずに漫画家になったり、画家になったり、世界的なデザイナーになることを諦めるというかそれ以前に考えもしないことは社会の損失だからです。

     令和6年現在において受験生は減少の一途を辿っています。一般の大学の受験生62万人。それと比較して美術系の大学を選択する学生は4千人程度です。ですから155人に1人しか美術系を選択していません。その理由は食べられないと考えられているからです。でも実際は少し違います。努力をしてやり切れば必ず成功します。155人に1人というと高校の1学年を300名だとすると美術系に進むのはその高校でたったの2名しかいないことになります。私にはこの数字が不自然に思えてならないのです。美術の世界の正しい姿が全く認知されていなので私はこのような文章を書いて少しでも理解されるように努力しなければならないと考えています。
  • 講習会に通う意味がわからない人

     講習会に通う意味がわからないという人がいます。その場合予備校として説明することになります。面接でお会いして話せる場合はいいですが、このH Pしかクマビの接点がない人にはここで説明しておかなければなりません。それでもしクマビの講習会への参加に繋がれば幸いです。講習会の意味がわからない人にはいろんな人がいます。それぞれの人に向けて話す内容は変わります。

     芸大美大受験に興味があるけれど講習会に興味がない人。美術に興味があるけれど講習会に興味がない人もいます。美術に興味があっても美術予備校に興味がない人もいます。

     芸大美大受験に興味があるけれど講習会に興味がない人には推薦入試で受験する人が多いです。なるほど推薦入試は基本的に予備校に通わなくても合格できる大学はあります。それであれば問題はありません。強いて言えば難関校を目指した方が将来の道が大きく開かれるという話でしょうか?もし特別な事情もなく、一般入試で難関校を目指すメリットを知らないで推薦受験であっさり進路を決めようとしているのなら考えものです。気づけるタイミングがあれば気づいた方がいいでしょう。大学に行ったとしても本気でこの道で生きていこうという気がないのであれば大学はどこでも関係ないので入れるところに入っておくということでいいと思います。実際難関校以外は出願さえすれば合格できるような大学が大半です。高校を卒業して社会に出て働くのではなく執行猶予として一度大学に行って遊んでから就職した方がいいと考える人は多いです。その場合は難関校だと課題が多かったり意識が違いすぎたりして友達ができなかったりするので推薦で受験勉強をせずに入れる大学に進んでおくのがいいと思います。

     美術に興味はあるけれども講習会に興味がない人の中には日本の芸大を頂点としたヒエラルヒーとそこから繋がるルートに興味のない人がいます。それもそれで構いません。芸大に行かなくても世界的に活躍している人もいます。そのルートで成功する人間関係がすでにあればその方がいいかもしれません。もしルートがなければ芸大を目指すことが一番の近道かもしれません。芸大から繋がる道は成功のルートです。それはそれほど成功を望まないのであれば不要なものです。そして芸大以外確固とした勝ち筋が見えていたとしたら不要なものです。確固とした勝ち筋がまだ見えていなければ東京芸大は何かと有利にことが運ぶのでオススメです。

     興味がない人でも立場の違いで考え方が変わります。立場とは高校の先生、親御さん、高校生です。もっと細かく言えば美術高校の先生と普通の教科の先生、お父さんお母さん、おじいちゃん、おばあちゃん、美術高校の生徒と普通高校の生徒、偏差値の高い高校と低い高校などで違います。

     講習会に通う意味がわからないという人の中には昔美大に通っていて何の役にも立たなかったという人がいます。その人が高校の先生になったり、親御さんになったりされていて当然自分の感覚で講習会に通っても意味がないと話されます。実際、東京芸大でも同様に考えている人はいます。中には東京芸大の教授でもいるくらいですから自然なことだと思います。大学院にも、学部にも、予備校生にもいます。私も意味がないと考えていた時もあります。正確に言えば今でさえ意味があるという自分とないという自分が同居しています。それでこれを書いている時の自分は概ね意味があるという方の自分です。

     意味があるか?ないか?2項で揺れ動くのは、目の前の食べ物を食べるか?食べないか?迷うことに似ているかもしれません。それと迷わない時もやはりあります。食べるかどうか迷わない時は飢えている時です。私が高校生の時東京芸大を受験することに全く迷いがなかったのは飢えていたからです。逆に満足に満たされてくると食べない方がいい時が出てきたり、東京芸大以外の選択肢もあったかもしれないと考えてみたりします。
     予備校に来ている人たちは迷いは少ないように思います。それでその予備校生に講習会に参加しても意味がないとアドバイスする高校の先生や親御さんはある程度生活に満足されていて無難な道を進めていることが多いように思います。

     意外に多いのは高校の先生です。話を聞くと高校の先生が芯をついていることもあります。しかし全く的を得ていない場合もあります。よくよく考えれば意外ではないかもしれません。美術=食べられないと一般的に考えられていますから、小学校でも中学校でも高校でも一般の教科の勉強をしっかりする傾向が強いです。食べていくのが難しい道でもスポーツに力を入れるのは普通で、音楽やデザインは少し盛んで、一番食べられないイメージが強いのが美術です。

     高校の先生はご自身の経験で進路指導されているから的を得ていたり得ていなかったりします。経験が当てはまる場合には話の芯を突けてさすがだと思います。一方で経験に全く当てはまらない進路指導は完全に空振りに終わっています。芯がつける場合はいいですがわからない場合あてずっぽうで突いてはなりません。絶対に知らない世界のことに口出ししてはならないと思います。これは本当に経験がものを言う問題です。やってしまう先生が多いです。本当に不味い進路指導をされることが多いと嘆いてしまいます。先生からすれば食べられない美術の大学は、どこの大学を出ても食べられないわけだからどこも同じだろうと思って偏差値が60超えている高校生にFランク校を受験させ行かせてしまうことがよくあります。芸大美大では60を超えていれば学力だけでもかなり美術系の上の方の大学に入れます。偏差値が底辺でも上の大学に入れるチャンスがある美術系ですから尚更です。芸大美大はどこでも同じではありません。難関校には人材を探している人が集まりますがFランク校には積極的に探している人が足を運ぶことはありません。例えば美術予備校ではFランク校から講師を採用することはありません。

     高校の先生の指導はご自身の社会経験、受験の経験と出身大学で変わっているようです。先生のように普通の生き方ではなく、アーティスト、芸能人、政治家、起業家、パトロン、悪く言えばヒモといった生き方を理解していれば口出しも良いと思います。親族など身近な人にいたりするとわかる時もあります。講習会に通う意味がないと発言された際に、確かに先生の経歴を考えるとそう見えてしまうことも納得できます。

     ここでススメを書かなければならないのは的を得ない指導があるからです。的を得ない場合を簡単に言えば生徒が飛躍を遂げて成功するケースです。美術予備校の場合、大前提としてアーティストやデザイナーを目指します。それは将来世界的であったり、歴史的な偉業を残すことであったりします。美術の世界はそれを平然と目指す世界です。それが美術の世界の現実です。世界や歴史が変わる現実を見てきて、生徒に重ね合わせて指導しているのが美術の世界の先生です。高校の先生が世界や歴史といった大それたことを想定して進路指導することはありません。歴史の先生であってもです。家庭的に高校の先生が見てきたイメージを生徒に重ね合わせて指導します。高校の先生のように普通に生きていくのであればいいでしょう。ただし、高校の先生の人生を基準にしてそれをなぞるような教育をしては絶対にならないと私は思います。このようなわけでそういった高校の先生の指導が的を得ることもあれば、大きく的外れな指導をされることが実際にあります。いうまでもなくどちらも間違いでも正解でもありません。ただ、それは生徒が高校に在学中の話です。高校を卒業後、高校生が成功するまで頑張り成功した場合に高校の先生の指導は完全に間違っていたことになります。悪気はないにしてもその間違いを何十回も見てきました。これからも数えきれないほど出てくると思います。高校生の可能性を潰さないようにススメを書きたいと思います。もちろん高校の先生が正しく予備校が間違う時もあります。これはそれが自然なことであって決着だとかどうとかいう問題ではないのです。最後に大事なのは高校生が自分で決めることです。
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