モラトリアムハザード2
モラトリアムの話の前に長い前置きがあります。
本題に入るのは何ページも先です。
「自由にのびのび」書いているのでお許しください。
美術とデザインの世界には「優しさ」があります。 様々な人の欠点を許容するような懐の深い面です。 私はこの「優しさ」に救われた人間です。 でも、これからの美術とデザインはこの「優しさ」を失ってしまうのではないか?と危惧しています。 原因はつまり真実が透けて見えるからです。
美術とデザインの世界は綺麗に2つにわかれています。
1つは「豊かな日向」。ともう一つは「貧しい日陰」の場所です。
美術とデザインの世界では「日向」は、ほんのわずかな人数しか入れない狭いスペースです。 「日陰」はその他の人が入る広大なスペースです。私が「日向」「日陰」と称する問題はこれまで詳しく語られてきませんでした。 そのため美術とデザインの世界にはそれを上手く表す言葉がないので「日向」「日陰」と表現するようにします。 「日向」「日陰」についての詳細は後日改めてお話しします。
よくわからずに殆どの人が日陰に入ってしまいます。そのため「日陰」という表現が必要です。 美術とデザインの世界の人たちは「日向」「日陰」を区別する反応が著しく鈍い。 クマビがてんいくで話をしていくのは「日向」と「日陰」の中の人の経済的な状況です。 詳しくリサーチしてわかりやすくアーカイブしていきます。 そうすることでいずれ日陰が日陰ではなくなります。 つまり日陰だとわかれば皆んながそれを避けるからです。 今は情報がない中で個々人の洞察力が頼りです。 近い将来必ず日向にしか人が集まらなくなる。 1日もはやく日陰に入る人がいなくなるように美術とデザインの世界は日向を広げることに尽力しなければなりません。 日本の美術には日向を広げる開拓の余地が十二分にあります。 (これについては後日改めてお話しします)そうすれば今までは出てくることが不可能だった広大な「日陰」というスペースから本当の「天才」が現れると考えています。 つまり、広大な「日陰」の中に埋もれている人材がいます。それを今の美術とデザインは生かせていません。 今の狭いパイの中で排出できる人材には本当の「天才」はいないだろうと考えています。 さらに言えば年々パイが減少傾向にある今の日本の美術とデザインの世界から「天才」が現れる可能性は日に日に小さくなっていると毎日悲観しています。
今回のお話の結論を最初に話すと「クマビの生徒が日陰に入らずに済むようにしたい」。 ということと、私が言いたいのは「これからの美術系の学校は日陰に入ることがわかる生徒をターゲットにすることをやめた方がいい」という他校の経営者並びに先生の皆さんには全く余計と思われるようなうっとおしい話です。 とはいうものの危機感を抱いている美術系の学校関係者は少なくありません。 美術予備校でも、専門学校でも、芸大美大でも生徒数の大幅な減少は否応なしに眼に映ってきます。 私が提案したいのは減少を食い止める有効な布石を見つけ出して確実に打つこと、と時代に適応できるように転換期の一時的な落ち込みを恐れずに新たなビジネスモデルに切り替えることです。 「生徒が日陰に入らないようにする」という言葉を掲げて実行するために私が必要だと考えているのは美術とデザインがこれまでの感覚を捨て、新しい感覚を養うために物事を考え直し「新たな時代の精神」を持つことです。 今の美術とデザインの世界は、世の中の親御さんと他の教科の先生と子供たちなどの外の社会に試されているような気がします。
「新たな時代の精神」を手に入れるには美術とデザインの学校の先生たちの意識を変えなければならないと思います。 学生たちが日陰に入っても、先生の多くは、そもそも「食べていくことが難しい」ので美術とデザインの世界では「食べていけなくても当然」だと考えています。 そのため学生が食べて行けるようにすることに対して消極的です。 そのような先生たちの感覚は美術とデザインの外の人たちに肌の感覚でしっかりと伝わっています。 世の中に美術とデザインを受け入れてもらうには「食べていくことまで考える必要はないというような先生の感覚や考え方」は一切捨てなければなりません。
「新たな時代の精神」とは一部の人間にのみ陽が当たるようにするのではなく皆んなに陽が当たるようにする気持ちと考えを持つことです。 つまり、興味関心があれば誰もが日向を目指すことができる。 そして、日陰を避けることができるようにすることです。 つまり、「今の時代の精神」は日陰に入る人たちの犠牲によって日向の人間が豊かな生活を送っています。 そして日向の人間はどのようにすれば日向に入れるかは外からはわからないように隠蔽します。 つまり美術とデザインの中にいてもどこに日向があるのかが日向にいる人間にしかわからないのです。 隠蔽するということは、豊かになる方法が実は特別難しいことではなく、わかればある程度努力すれば誰にでもできてしまうことです。
「今の時代の精神」には良い所もありますが実は日向を徹底的に隠蔽し続ける悪い点があります。 新しい時代には隠蔽体質を持ち込まないようにすることが大切です。 つまりそのような自分の利益だけを考える世界は人から嫌煙されて当然なので、これからは隠蔽して自分の利益を守るのではなく、美術とデザインに関わるみんなの利益を考えていくべきだと考えます。 そのような考えを実行に移すために持たなければならない精神性が私の考える「新しい時代の精神」です。
本題に入るのは何ページも先です。
「自由にのびのび」書いているのでお許しください。
美術とデザインの世界には「優しさ」があります。 様々な人の欠点を許容するような懐の深い面です。 私はこの「優しさ」に救われた人間です。 でも、これからの美術とデザインはこの「優しさ」を失ってしまうのではないか?と危惧しています。 原因はつまり真実が透けて見えるからです。
美術とデザインの世界は綺麗に2つにわかれています。
1つは「豊かな日向」。ともう一つは「貧しい日陰」の場所です。
美術とデザインの世界では「日向」は、ほんのわずかな人数しか入れない狭いスペースです。 「日陰」はその他の人が入る広大なスペースです。私が「日向」「日陰」と称する問題はこれまで詳しく語られてきませんでした。 そのため美術とデザインの世界にはそれを上手く表す言葉がないので「日向」「日陰」と表現するようにします。 「日向」「日陰」についての詳細は後日改めてお話しします。
よくわからずに殆どの人が日陰に入ってしまいます。そのため「日陰」という表現が必要です。 美術とデザインの世界の人たちは「日向」「日陰」を区別する反応が著しく鈍い。 クマビがてんいくで話をしていくのは「日向」と「日陰」の中の人の経済的な状況です。 詳しくリサーチしてわかりやすくアーカイブしていきます。 そうすることでいずれ日陰が日陰ではなくなります。 つまり日陰だとわかれば皆んながそれを避けるからです。 今は情報がない中で個々人の洞察力が頼りです。 近い将来必ず日向にしか人が集まらなくなる。 1日もはやく日陰に入る人がいなくなるように美術とデザインの世界は日向を広げることに尽力しなければなりません。 日本の美術には日向を広げる開拓の余地が十二分にあります。 (これについては後日改めてお話しします)そうすれば今までは出てくることが不可能だった広大な「日陰」というスペースから本当の「天才」が現れると考えています。 つまり、広大な「日陰」の中に埋もれている人材がいます。それを今の美術とデザインは生かせていません。 今の狭いパイの中で排出できる人材には本当の「天才」はいないだろうと考えています。 さらに言えば年々パイが減少傾向にある今の日本の美術とデザインの世界から「天才」が現れる可能性は日に日に小さくなっていると毎日悲観しています。
今回のお話の結論を最初に話すと「クマビの生徒が日陰に入らずに済むようにしたい」。 ということと、私が言いたいのは「これからの美術系の学校は日陰に入ることがわかる生徒をターゲットにすることをやめた方がいい」という他校の経営者並びに先生の皆さんには全く余計と思われるようなうっとおしい話です。 とはいうものの危機感を抱いている美術系の学校関係者は少なくありません。 美術予備校でも、専門学校でも、芸大美大でも生徒数の大幅な減少は否応なしに眼に映ってきます。 私が提案したいのは減少を食い止める有効な布石を見つけ出して確実に打つこと、と時代に適応できるように転換期の一時的な落ち込みを恐れずに新たなビジネスモデルに切り替えることです。 「生徒が日陰に入らないようにする」という言葉を掲げて実行するために私が必要だと考えているのは美術とデザインがこれまでの感覚を捨て、新しい感覚を養うために物事を考え直し「新たな時代の精神」を持つことです。 今の美術とデザインの世界は、世の中の親御さんと他の教科の先生と子供たちなどの外の社会に試されているような気がします。
「新たな時代の精神」を手に入れるには美術とデザインの学校の先生たちの意識を変えなければならないと思います。 学生たちが日陰に入っても、先生の多くは、そもそも「食べていくことが難しい」ので美術とデザインの世界では「食べていけなくても当然」だと考えています。 そのため学生が食べて行けるようにすることに対して消極的です。 そのような先生たちの感覚は美術とデザインの外の人たちに肌の感覚でしっかりと伝わっています。 世の中に美術とデザインを受け入れてもらうには「食べていくことまで考える必要はないというような先生の感覚や考え方」は一切捨てなければなりません。
「新たな時代の精神」とは一部の人間にのみ陽が当たるようにするのではなく皆んなに陽が当たるようにする気持ちと考えを持つことです。 つまり、興味関心があれば誰もが日向を目指すことができる。 そして、日陰を避けることができるようにすることです。 つまり、「今の時代の精神」は日陰に入る人たちの犠牲によって日向の人間が豊かな生活を送っています。 そして日向の人間はどのようにすれば日向に入れるかは外からはわからないように隠蔽します。 つまり美術とデザインの中にいてもどこに日向があるのかが日向にいる人間にしかわからないのです。 隠蔽するということは、豊かになる方法が実は特別難しいことではなく、わかればある程度努力すれば誰にでもできてしまうことです。
「今の時代の精神」には良い所もありますが実は日向を徹底的に隠蔽し続ける悪い点があります。 新しい時代には隠蔽体質を持ち込まないようにすることが大切です。 つまりそのような自分の利益だけを考える世界は人から嫌煙されて当然なので、これからは隠蔽して自分の利益を守るのではなく、美術とデザインに関わるみんなの利益を考えていくべきだと考えます。 そのような考えを実行に移すために持たなければならない精神性が私の考える「新しい時代の精神」です。