モラトリアムハザード2
大事な場面でキョトンとしてしまわないように・・。
そうならないように自分で考えることは大切なのです。
後、親御さんに良く、「そこまで高いレベルは家の子には無理なのでやり方を教えてください。」と言われることがあります。
つまり、全くモラトリアムは必要ないと言われる親御さんは多いです。
おっしゃる通り、大半の学生にとって自分で考えるということは難しいですよね。
でも、それをすると一生食べていける芸術家やデザイナーにはなれないのです。つまり、言われた通りにしか仕事ができない場合はある程度の年齢になった時に若くて安い人に仕事を取られてしまいます。
人手は腐る程ある世界です。
なので必要なものはまず「頭」なのです。
それとあまりにも「やる気」がない子には教えてもできないのです。そうなると最初から遊ばせて興味関心を高めて少しづつ「やる気」にさせていくしかありません。 「教わる」というのは「やる気」が必須のものでかなり気力体力が必要なものなのです。
なので安易に手に職をつけようとして専門学校に進もうと考えるのは私個人としてはあまりお勧めしません。
私の個人的な意見ですが、作業要員としてこの世界の仕事に従事することはお勧めしません。 美術とデザインの職場の多くは安い賃金の所謂ブラック企業です。私は自分の生徒たちには優良企業に行くように指導しています。 つまり、自分で考えることをしなくて済む作業要員では数少ない優良企業に就職することは難しいのです。
「モラトリアム」・・。言い換えると「自由にのびのび」です。
世の中にはもっと「モラトリアム」が必要だと思います。
なので「自由でのびのび」は大切なのです。
でも、「自由でのびのび」が正しく機能していないのは、世の中がそれだけ余裕のない緊張感に満ちたものだからかもしれません。
危ない状況にある所で安易に緊張の糸を緩めることはできません。
つまり、そのような中で「モラトリアム」を実現するには、ひとまず目の前の問題を乗り越えることを優先するしかないのかもしません。
つまり、「モラトリアム」「自由でのびのび」はある程度余裕がある人にできることで、世の中の多くの人はやりたくてもできないこと。
なので、大学内でも作家活動を「やりたくでもできない」という状況に至る生徒は大多数なわけで、その場合はそれを許容するべきだと私は考えます。
「モラトリアム」と「自由でのびのび」は芸術家とデザイナーとして成功するには必須です。
そして成功するには指導を受けることは必要だと思います。
芸術家とデザイナーとして成功するには、なにも「天才」である必要はありません。
芸術家として成功するには制約を正確に理解し、超えなければならない壁が明確に見えてなければなりません。 それさえ見えていれば、それをどう超えるかはさほど問題ではありません。つまり、制約と壁は生徒は教わらなければ知る由はないし、先生は指導しなければならない問題なのです。 つまり「日向」にいる人間はそれほど苦労せず壁を超えることができます。
制約と壁を超える力を身につける場は芸大美大受験をする場合「美術予備校」です。美術予備校で制約を知り、壁を越えるための「手」や「眼」や「頭」が養われます。
最初から高価なパソコンを使う必要はありません。
紙と鉛筆で十分です。
「自由でのびのび」で大勢の生徒が事故に遭遇しています。
つまりそれは制約と超えなければならない壁を明確に指導されていないからです。私が傍から見えてくるのはFランクの芸大美大、推薦入試で入学した大学生、専門学校で指導されていないことが多いです。 彼らには「モラトリアム」は与えられても、制約と壁を教育される機会がない。 主な原因は最初の時点で生徒が本気になれないのでわかっていても教えようがない。それと場合によって制約と壁が全く見えていない先生がいます。
私は7浪したのでその時に「制約と壁」を見て理解することができました。
壁は超えたかどうかが問題なので、その気になれば場所は選びません。
然るべき学校で然るべき教育を受けたら、後は場所はどこでも構いませんし、要領がわかった後は独学でもいけます。
実際私自身宅浪が長かった。
結局それを超えるかどうかは自分の努力次第なので長い年月をかけて努力を続けています。
ただ、最初から独学で見えてくるかどうかを考えると、やはり制約と壁は最初に指導された方がいいと思います。
制約は「やってはいけないこと」。壁は例えば「形を綺麗にとること」から始まって「世界に通用する技芸を身につけていること」
「壁」を越えられない人が壁を越えることができない主な原因は「自由でのびのび」が許されない状況にあることです。こればっかりは本人が悪いわけではありません。 というよりも親に迷惑をかけないように・・・。 ということで無理に芸大美大受験をせずに実技試験の対策が少なくて済む教育系の美術大学(この辺りだと筑波大学、東京学芸大学、埼玉大学、千葉大学、群馬大学です。)を選んだり、専門学校を選ぶ人がほとんどです。
私は7浪しましたがいうまでもなく7浪させてもらえるご家庭はほぼ無いと言っていいと思います。 非常識です。我が家はネグレクトでしたので全く問題はありませんでした。ホームレス高校生で高校を自力で卒業するような家庭です。なので皆さんのご家庭は立派で素敵な家庭です。
「自由でのびのび」はあまり許されない。
そのようなこともあって美術とデザインの世界は一般的に難しいというイメージは間違いではありません。
なので実は「自由でのびのび」は一般的にはほとんどの人に合わないとも言えるのです。
「自由でのびのび」は誰も超えることができない巨大な壁を超えるために必要なモラトリアムです。
「自由でのびのび」とは意味の範囲が広すぎて正確な意味を理解するのはとても難しい言葉です。
芸術家とデザイナーの成功体験を知っていて、それを前提に意味を想像する分にはわかりますが、成功体験を踏まえないで想像しても全くピンとこないと思います。 多分、成功体験を踏まえない場合、自分の自由時間とかのびのびしている時の体験をそのまま言葉の意味にスライドさせてしまいます。
先生の中には「自由にのびのび」の意味を一部誤解されている方がおられます。美術とデザインの世界がなんの制約もなく、開放的で、のびのびできる世界だと認識されています。
特に多いのは保育園と幼稚園です。
次に小学校の先生方。
仕方ないですよね。芸術家とデザイナーの成功体験なんか知る由もないはずです。なので大学で教えておくべきだと思います。
中学と高校の先生には少ないです。
それでも中学と高校の先生では、教育系の先生と東京芸術大学、多摩武蔵、その他私大でかなりの認識の違いがあるように思います。
保育園や幼稚園の先生は保護者と子供からすれば立派な美術とデザインの先生です。
先生が「自由でのびのび」と指導すれば、保護者と子供が美術とデザインがそういった認識になるのも当然です。 実はこの時の美術とデザインのイメージが日本では一番広く深く根付いていると思います。 人生初の美術とデザインを担って楽しく指導してもらえることは良いことなのですが、実益を考えた部分、例えば美術とデザインが食べていける世界であることを踏まえて「自由にのびのび=遊び」とならないように教え方を配慮していただけたらな〜と思います。
多くの親御さんがお子さんの教育に図画工作を取り入れるか小学生になる前に決めています。なので、このタイミングは美術離れの最も大きなポイントです。「美術=遊び」という認識なので親御さんのほとんどが図画工作を選ばずに運動や勉強をさせます。
私がこのように話題にあげるのは美術離れのこともさることながら、逆に美術とデザインの世界に来た学生に小学生までの美術教育の影響が多くの問題を起こしているからです。
まず、先生の中に当たり前ですが、美術とデザインで食べていく世界を全く知らない人います。保育園、幼稚園の先生方は当然ですよね。
そうならないように自分で考えることは大切なのです。
後、親御さんに良く、「そこまで高いレベルは家の子には無理なのでやり方を教えてください。」と言われることがあります。
つまり、全くモラトリアムは必要ないと言われる親御さんは多いです。
おっしゃる通り、大半の学生にとって自分で考えるということは難しいですよね。
でも、それをすると一生食べていける芸術家やデザイナーにはなれないのです。つまり、言われた通りにしか仕事ができない場合はある程度の年齢になった時に若くて安い人に仕事を取られてしまいます。
人手は腐る程ある世界です。
なので必要なものはまず「頭」なのです。
それとあまりにも「やる気」がない子には教えてもできないのです。そうなると最初から遊ばせて興味関心を高めて少しづつ「やる気」にさせていくしかありません。 「教わる」というのは「やる気」が必須のものでかなり気力体力が必要なものなのです。
なので安易に手に職をつけようとして専門学校に進もうと考えるのは私個人としてはあまりお勧めしません。
私の個人的な意見ですが、作業要員としてこの世界の仕事に従事することはお勧めしません。 美術とデザインの職場の多くは安い賃金の所謂ブラック企業です。私は自分の生徒たちには優良企業に行くように指導しています。 つまり、自分で考えることをしなくて済む作業要員では数少ない優良企業に就職することは難しいのです。
「モラトリアム」・・。言い換えると「自由にのびのび」です。
世の中にはもっと「モラトリアム」が必要だと思います。
なので「自由でのびのび」は大切なのです。
でも、「自由でのびのび」が正しく機能していないのは、世の中がそれだけ余裕のない緊張感に満ちたものだからかもしれません。
危ない状況にある所で安易に緊張の糸を緩めることはできません。
つまり、そのような中で「モラトリアム」を実現するには、ひとまず目の前の問題を乗り越えることを優先するしかないのかもしません。
つまり、「モラトリアム」「自由でのびのび」はある程度余裕がある人にできることで、世の中の多くの人はやりたくてもできないこと。
なので、大学内でも作家活動を「やりたくでもできない」という状況に至る生徒は大多数なわけで、その場合はそれを許容するべきだと私は考えます。
「モラトリアム」と「自由でのびのび」は芸術家とデザイナーとして成功するには必須です。
そして成功するには指導を受けることは必要だと思います。
芸術家とデザイナーとして成功するには、なにも「天才」である必要はありません。
芸術家として成功するには制約を正確に理解し、超えなければならない壁が明確に見えてなければなりません。 それさえ見えていれば、それをどう超えるかはさほど問題ではありません。つまり、制約と壁は生徒は教わらなければ知る由はないし、先生は指導しなければならない問題なのです。 つまり「日向」にいる人間はそれほど苦労せず壁を超えることができます。
制約と壁を超える力を身につける場は芸大美大受験をする場合「美術予備校」です。美術予備校で制約を知り、壁を越えるための「手」や「眼」や「頭」が養われます。
最初から高価なパソコンを使う必要はありません。
紙と鉛筆で十分です。
「自由でのびのび」で大勢の生徒が事故に遭遇しています。
つまりそれは制約と超えなければならない壁を明確に指導されていないからです。私が傍から見えてくるのはFランクの芸大美大、推薦入試で入学した大学生、専門学校で指導されていないことが多いです。 彼らには「モラトリアム」は与えられても、制約と壁を教育される機会がない。 主な原因は最初の時点で生徒が本気になれないのでわかっていても教えようがない。それと場合によって制約と壁が全く見えていない先生がいます。
私は7浪したのでその時に「制約と壁」を見て理解することができました。
壁は超えたかどうかが問題なので、その気になれば場所は選びません。
然るべき学校で然るべき教育を受けたら、後は場所はどこでも構いませんし、要領がわかった後は独学でもいけます。
実際私自身宅浪が長かった。
結局それを超えるかどうかは自分の努力次第なので長い年月をかけて努力を続けています。
ただ、最初から独学で見えてくるかどうかを考えると、やはり制約と壁は最初に指導された方がいいと思います。
制約は「やってはいけないこと」。壁は例えば「形を綺麗にとること」から始まって「世界に通用する技芸を身につけていること」
「壁」を越えられない人が壁を越えることができない主な原因は「自由でのびのび」が許されない状況にあることです。こればっかりは本人が悪いわけではありません。 というよりも親に迷惑をかけないように・・・。 ということで無理に芸大美大受験をせずに実技試験の対策が少なくて済む教育系の美術大学(この辺りだと筑波大学、東京学芸大学、埼玉大学、千葉大学、群馬大学です。)を選んだり、専門学校を選ぶ人がほとんどです。
私は7浪しましたがいうまでもなく7浪させてもらえるご家庭はほぼ無いと言っていいと思います。 非常識です。我が家はネグレクトでしたので全く問題はありませんでした。ホームレス高校生で高校を自力で卒業するような家庭です。なので皆さんのご家庭は立派で素敵な家庭です。
「自由でのびのび」はあまり許されない。
そのようなこともあって美術とデザインの世界は一般的に難しいというイメージは間違いではありません。
なので実は「自由でのびのび」は一般的にはほとんどの人に合わないとも言えるのです。
「自由でのびのび」は誰も超えることができない巨大な壁を超えるために必要なモラトリアムです。
「自由でのびのび」とは意味の範囲が広すぎて正確な意味を理解するのはとても難しい言葉です。
芸術家とデザイナーの成功体験を知っていて、それを前提に意味を想像する分にはわかりますが、成功体験を踏まえないで想像しても全くピンとこないと思います。 多分、成功体験を踏まえない場合、自分の自由時間とかのびのびしている時の体験をそのまま言葉の意味にスライドさせてしまいます。
先生の中には「自由にのびのび」の意味を一部誤解されている方がおられます。美術とデザインの世界がなんの制約もなく、開放的で、のびのびできる世界だと認識されています。
特に多いのは保育園と幼稚園です。
次に小学校の先生方。
仕方ないですよね。芸術家とデザイナーの成功体験なんか知る由もないはずです。なので大学で教えておくべきだと思います。
中学と高校の先生には少ないです。
それでも中学と高校の先生では、教育系の先生と東京芸術大学、多摩武蔵、その他私大でかなりの認識の違いがあるように思います。
保育園や幼稚園の先生は保護者と子供からすれば立派な美術とデザインの先生です。
先生が「自由でのびのび」と指導すれば、保護者と子供が美術とデザインがそういった認識になるのも当然です。 実はこの時の美術とデザインのイメージが日本では一番広く深く根付いていると思います。 人生初の美術とデザインを担って楽しく指導してもらえることは良いことなのですが、実益を考えた部分、例えば美術とデザインが食べていける世界であることを踏まえて「自由にのびのび=遊び」とならないように教え方を配慮していただけたらな〜と思います。
多くの親御さんがお子さんの教育に図画工作を取り入れるか小学生になる前に決めています。なので、このタイミングは美術離れの最も大きなポイントです。「美術=遊び」という認識なので親御さんのほとんどが図画工作を選ばずに運動や勉強をさせます。
私がこのように話題にあげるのは美術離れのこともさることながら、逆に美術とデザインの世界に来た学生に小学生までの美術教育の影響が多くの問題を起こしているからです。
まず、先生の中に当たり前ですが、美術とデザインで食べていく世界を全く知らない人います。保育園、幼稚園の先生方は当然ですよね。