東京芸大生特攻ハザード
学生の中から「天才」は出てきます。でも「天才」の本当の勝負の時期は多くの場合、社会に出て何十年も経った後です。
私は勝負の時期を間違えて多くの学生が失敗すると考えています。
勝負の時期を待つ場所は優良企業だと考えます。
大学の教員でも、予備校講師でも、フリーターでもありません。
「大手優良企業」です。
大学の教員になると科によって作家として活動することがなくなります。
予備校講師はあまり儲かりません。
フリーターは全く稼げません。
優良企業はほとんどの人が定年まで勤めません。 多くの人は色んな会社を渡り歩きます。 渡り歩くことは予備校講師もフリーターも変わりません。 同じように渡り歩くにも大手優良企業から双六がスタートするのと、フリーターからスタートするのでは何十年と経った後に大きな差が開きます。
学生の時は美術の世界を大きく揺るがすようなアイデアはそうそう出てくるものではありません。 しかし、何十年も時間をかけていけばアイデアの一つや二つは出てきます。そうした時にどのような状況にあるかが大切だと思います。
芸大美大の中には美術とデザインがあります。
デザインの学生の多くは就職します。
美術、彫刻と日本画と油画と工芸の学生の多くは就職をせずに作家を目指します。
デザインの学生は大学卒業と同時に就職するので難関校であれば定年やその後までデザインに携わることができます。
美術の学生はほんの一握りの学生が成功して作家として十分すぎる豊かな暮らしを送ることができます。 美術の学生はほんの一握りの成功する学生以外は大変な生き方をしなければなりません。 つまり今回のお話は大学を出た後に作家になれずに大手企業に就職もできなかった人のお話です。 美術系の学校の卒業生の多くは学校を出た後アルバイトをして生計を立てながら作家活動を続けます。
結論をお話しすると。 私の意見は大学在学中に作家として具体的に成功するヴィジョンがなければ一度大手の優良企業へ就職した方がいいというものです。
そして、なぜこのような話をするかというと、学生は卒業後の現実がピンとこないので、(これについても詳細にお話しするべきですね・・・。)その場を支配する空気を破れずに特攻隊のような結末を自ら向かい入れてしまうからです。
私の考えは、学生に卒業後の現実を具体的に見せることができれば、目を覚まして就職を考えてくれるのではないか?というものです。 戦時中であれば、程なく「日本が敗戦する」ということです。勿論、戦時中に「日本が敗戦する」などという発言はできない空気だったと思います。 でも、日本は戦時中の言論統制を反省し、今仮に戦争が起きたとしても「日本が敗戦する」「戦争はやめた方がいい」と発言できる頭を持つことができるようになっていると思います。 今の芸大美大の特に難関校は戦時中のように「就職する」ということを発言しづらい空気です。この様子はまさに戦時中の日本と同じです。
作家活動は戦争ではありません。 学生個々の都合によって活動するかどうかの判断をするものです。 でも実情は多くの学生が学科内の空気感によって思考の自由を奪われています。 学科の中で作家として生涯生きていける学生のパイは大凡の予測はみんなしています。 明らかにパイがないことがわかっているにも関わらず就職活動をさせない、又はしづらい。 勧めない空気は異常です。
私もそうですが、親御さん、中学高校の先生、行くあてを失ったOBたちの中には断固抗議したい気持ちをグッと抑え続けて、耐え忍んで生きています。 つまりこのことを言うのは断固抗議できる状況が近づいているからで、外から抗議される心配がなかった今までは学生の就職のことなど積極的に考える必要性は感じなかったかもしれませんが、これからはそうはさせないと言う外の宣言の声を聞かせ、今の学生たちが「自分のため」を考えられる思考の自由を手にできる空気が学内に生まれることを狙います。
戦時中であれば「日本が敗戦する」などと言えば「非国民」と言われたでしょう。
現在でも、特に東京藝術大学の美術の中では作家を一時諦めて大手の優良企業への就職を目指すというと「非国民」のような扱いを受けます。 戦時中の「非国民」に対する圧力ほどはないにしても、美術の学生は完全に「思想」をコントロールされて玉砕への道を進んでしまいます。
美術の中で本当に価値のある作品を作る作家になりたければ、大学卒業と同時に価値のある作品、例えば社会的な意味や美術の中での価値のあるものを作るのは殆どの学生が不可能です。 社会に出るまでの執行猶予を最大限に得るために学部から大学院に残ることを考えて、博士と助手への道を考えます。 大学院の後は博士か助手か就職かの判断はさほど難しくはないと思います。 問題は学部を卒業する時です。 学部を卒業する時に大学院に残れなかった学生の多くが路頭に迷います。 学内の人間は路頭に迷うと言う表現はしないかもしれません。 「行方不明」と言う言い方をする人もいますし、悪く聞こえると卒業生に悪いので「頑張っている」などの言い方をするかもしれません。 良い言い方をしても悪い言い方をしてもその学生の卒業後の状況が悪いことは明らかです。 明らかに悪いことをうやむやにしなければならないこと自体がとても不味いことです。 長年うやむやにしてきたためそうならないようにするシステムが未熟です。
学部を出た後に路頭に迷う。かく言う私もその一人でした。
大学は学部卒の人間に対して何もしてはくれません。 先にあるのは道のないサバイバルの道です。 私は根が雑草なのでサバイバルには強い方です。 しかし、殆どの学生がサバイバルはできません。 つまり擁護が必要なのです。
今回のお話は美術系の学校を出て先の見えていない者をどのように擁護するか?と言うことです。 美術系の学校は学校を出た後の人の面倒まで見る必要ないと考えて突き放すことが一般的です。 でも、長い時間をかけて積もり積もった負の遺産は巨大です。 今までは口の無かった彼らはインターネットによって発言の切り口を持とうとしています。 彼らが自由に発言を始めた時に困るのは学校サイドです。 想像してみてください。 彼らになんの擁護の手を差し伸べないのはとてもまずいことです。
さて、私たちができることは何か?
学部内で手を差し伸べなければならない学生をどのように見分けるのか?
学部の学生の多くが大学院へ残ろうとします。
学生たちの眼に見える問題は
・大手の優良企業への就職は3年時にすでに就職活動をすることを決めておく必要がある。
・大学院の志望者は多いが大学院に残れない者が多い。
・企業の内定をとった学生の中から内定をける学生が出てくる。
・大学院入試で合格できる保証はない
学生たちの眼に見えない問題は
・学部を出た後に就職活動をしても良い就職先はない。
・アルバイトをしながら作家活動をしても十分な活動はできない。
私は勝負の時期を間違えて多くの学生が失敗すると考えています。
勝負の時期を待つ場所は優良企業だと考えます。
大学の教員でも、予備校講師でも、フリーターでもありません。
「大手優良企業」です。
大学の教員になると科によって作家として活動することがなくなります。
予備校講師はあまり儲かりません。
フリーターは全く稼げません。
優良企業はほとんどの人が定年まで勤めません。 多くの人は色んな会社を渡り歩きます。 渡り歩くことは予備校講師もフリーターも変わりません。 同じように渡り歩くにも大手優良企業から双六がスタートするのと、フリーターからスタートするのでは何十年と経った後に大きな差が開きます。
学生の時は美術の世界を大きく揺るがすようなアイデアはそうそう出てくるものではありません。 しかし、何十年も時間をかけていけばアイデアの一つや二つは出てきます。そうした時にどのような状況にあるかが大切だと思います。
芸大美大の中には美術とデザインがあります。
デザインの学生の多くは就職します。
美術、彫刻と日本画と油画と工芸の学生の多くは就職をせずに作家を目指します。
デザインの学生は大学卒業と同時に就職するので難関校であれば定年やその後までデザインに携わることができます。
美術の学生はほんの一握りの学生が成功して作家として十分すぎる豊かな暮らしを送ることができます。 美術の学生はほんの一握りの成功する学生以外は大変な生き方をしなければなりません。 つまり今回のお話は大学を出た後に作家になれずに大手企業に就職もできなかった人のお話です。 美術系の学校の卒業生の多くは学校を出た後アルバイトをして生計を立てながら作家活動を続けます。
結論をお話しすると。 私の意見は大学在学中に作家として具体的に成功するヴィジョンがなければ一度大手の優良企業へ就職した方がいいというものです。
そして、なぜこのような話をするかというと、学生は卒業後の現実がピンとこないので、(これについても詳細にお話しするべきですね・・・。)その場を支配する空気を破れずに特攻隊のような結末を自ら向かい入れてしまうからです。
私の考えは、学生に卒業後の現実を具体的に見せることができれば、目を覚まして就職を考えてくれるのではないか?というものです。 戦時中であれば、程なく「日本が敗戦する」ということです。勿論、戦時中に「日本が敗戦する」などという発言はできない空気だったと思います。 でも、日本は戦時中の言論統制を反省し、今仮に戦争が起きたとしても「日本が敗戦する」「戦争はやめた方がいい」と発言できる頭を持つことができるようになっていると思います。 今の芸大美大の特に難関校は戦時中のように「就職する」ということを発言しづらい空気です。この様子はまさに戦時中の日本と同じです。
作家活動は戦争ではありません。 学生個々の都合によって活動するかどうかの判断をするものです。 でも実情は多くの学生が学科内の空気感によって思考の自由を奪われています。 学科の中で作家として生涯生きていける学生のパイは大凡の予測はみんなしています。 明らかにパイがないことがわかっているにも関わらず就職活動をさせない、又はしづらい。 勧めない空気は異常です。
私もそうですが、親御さん、中学高校の先生、行くあてを失ったOBたちの中には断固抗議したい気持ちをグッと抑え続けて、耐え忍んで生きています。 つまりこのことを言うのは断固抗議できる状況が近づいているからで、外から抗議される心配がなかった今までは学生の就職のことなど積極的に考える必要性は感じなかったかもしれませんが、これからはそうはさせないと言う外の宣言の声を聞かせ、今の学生たちが「自分のため」を考えられる思考の自由を手にできる空気が学内に生まれることを狙います。
戦時中であれば「日本が敗戦する」などと言えば「非国民」と言われたでしょう。
現在でも、特に東京藝術大学の美術の中では作家を一時諦めて大手の優良企業への就職を目指すというと「非国民」のような扱いを受けます。 戦時中の「非国民」に対する圧力ほどはないにしても、美術の学生は完全に「思想」をコントロールされて玉砕への道を進んでしまいます。
美術の中で本当に価値のある作品を作る作家になりたければ、大学卒業と同時に価値のある作品、例えば社会的な意味や美術の中での価値のあるものを作るのは殆どの学生が不可能です。 社会に出るまでの執行猶予を最大限に得るために学部から大学院に残ることを考えて、博士と助手への道を考えます。 大学院の後は博士か助手か就職かの判断はさほど難しくはないと思います。 問題は学部を卒業する時です。 学部を卒業する時に大学院に残れなかった学生の多くが路頭に迷います。 学内の人間は路頭に迷うと言う表現はしないかもしれません。 「行方不明」と言う言い方をする人もいますし、悪く聞こえると卒業生に悪いので「頑張っている」などの言い方をするかもしれません。 良い言い方をしても悪い言い方をしてもその学生の卒業後の状況が悪いことは明らかです。 明らかに悪いことをうやむやにしなければならないこと自体がとても不味いことです。 長年うやむやにしてきたためそうならないようにするシステムが未熟です。
学部を出た後に路頭に迷う。かく言う私もその一人でした。
大学は学部卒の人間に対して何もしてはくれません。 先にあるのは道のないサバイバルの道です。 私は根が雑草なのでサバイバルには強い方です。 しかし、殆どの学生がサバイバルはできません。 つまり擁護が必要なのです。
今回のお話は美術系の学校を出て先の見えていない者をどのように擁護するか?と言うことです。 美術系の学校は学校を出た後の人の面倒まで見る必要ないと考えて突き放すことが一般的です。 でも、長い時間をかけて積もり積もった負の遺産は巨大です。 今までは口の無かった彼らはインターネットによって発言の切り口を持とうとしています。 彼らが自由に発言を始めた時に困るのは学校サイドです。 想像してみてください。 彼らになんの擁護の手を差し伸べないのはとてもまずいことです。
さて、私たちができることは何か?
学部内で手を差し伸べなければならない学生をどのように見分けるのか?
学部の学生の多くが大学院へ残ろうとします。
学生たちの眼に見える問題は
・大手の優良企業への就職は3年時にすでに就職活動をすることを決めておく必要がある。
・大学院の志望者は多いが大学院に残れない者が多い。
・企業の内定をとった学生の中から内定をける学生が出てくる。
・大学院入試で合格できる保証はない
学生たちの眼に見えない問題は
・学部を出た後に就職活動をしても良い就職先はない。
・アルバイトをしながら作家活動をしても十分な活動はできない。