東京芸大生特攻ハザード
現状で学生が大手優良企業への就職活動に全力を尽くせないのは、大学院を目指して特攻を仕掛けなければならない空気があること。
それと卒業制作に時間を取られることです。
つまり大学側が十八人を明確にし、十八人が安全に卒業後の軌道に乗れるように企業への就職を第一に掲げなければなりません。
芸大美大、ひいては日本の芸術と美術はほんの一握りの日向の人間の利益のために動いています。 つまり、どこぞの汚い顔したおじさんおばさんのために学生は自らの身をかえりみず特攻するのです。 芸大美大の中の人間は教授の利益のために動きます。 教授にテイクを繰り返すことでギブが得られるかもしれない。 教授に利益をもたらすには自分の身を犠牲にしなければならない。 それを辞めさせるには学内ではなく、学外の人間が動くべきです。 そして学生が教授の顔色を伺わなくても安心して活動ができる環境を作ってあげなければなりません。 仮に戦争になった時には今の日本では日本人がお国に逆らって若者たちが特攻に行くことを止めるでしょう。 それと同じ意識を芸大美大の外の芸大美大を取り巻く人間が持たなければならないと想います。
最近では学生が学校へ反発し始めている様子が見られます。 でも本来それは、彼らが玉砕覚悟で学校へ声をあげてしまっていることなので、彼らが傷つかなくて済むように、学外の大人が動いてやるべきです。 大学の教授に声を上げられる学生なんてすごいじゃないですか?そんな学生を潰してはダメです。 天才育成計画は皆さんの協力で芸大美大を変えられるように問題を1つずつ考え、変えるためにどのようなことが必要か考え、確実に実現できるように動く計画です。 大学に声を上げる彼らは私たちを待ってはくれないと思います。 なので1日も早く計画を実行できるように急がなければなりません。 こちらの勝機となる強みは人の数です。芸大美大は教授に近しい人間数人が日向で豊かな生活を送り、距離のあるその他大勢が搾取されるだけの犠牲になっています。 何十年という月日がたち日陰は巨大になりました。 つまり日陰には何千何万という搾取されただけの芸大美大のOBがいるのです。 我々OBは失うものはありません。 私たちは教授の恩恵は受けていないのですから。 学生たちは捨て身の覚悟で大学に抗議しています。 弁護士も立てずに。 それは学生ではなく我々OBの仕事だと思います。
戦時中に特攻隊の学生は、「お国のため」だと決心して飛行機に乗りました。
芸大美大の中には「美術のため」と言う思想が学生の中にあります。
「美術のため」と言う概念の中にそれぞれの所属する科目を想う思想があります。
学生は美術を想い、科を思うことと引き換えに自分の身を立てようと必死です。 ですが、実際は身を投げ出すようなことは誰もしなくても、自ずと大学に残る奴や作家として売り出せる奴は決まります。 学生は落ち着いて胸に手を当てて状況を冷静に見守るべきです。 ジタバタしなくとも自然になるようになります。 自然に身を任せてダメだった時の手をしっかりと打っておくべきです。
胸に手を当てるのは、先生たちも同じだし、OBも同じだと思います。
「彫刻科のため」「日本画科のため」「油画科のため」「工芸科のため」
それぞれの学生が自分の所属する科を想うことは大切です。
でも美術とデザインの世界は権力者ファーストです。 つまり、世の中はギブ アンド テイクといっても学生が権力者にギブを続けなければテイクがないのです。
学生はそのテイクの一環として身を捧げる覚悟を示すために敵艦に「特攻」します。
「お国のため」と同様に「美術のため」で特攻したほぼ全員玉砕します。
「自分の所属する科のため」で特攻した中からほんの一握りの学生は大学に残ることができます。
東京藝術大学の学生が卒業する時、大学院の入試に特攻を試みて玉砕した学生にはテイクはありません。 つまり最後は捨て身の覚悟で特攻して玉砕します。 芸大美大は東京藝術大学のそのような姿勢に倣って芸大美大の多くは大学に残らない学生に対する後顧の憂いはありません。 敵艦目指して見事に特攻を果たすことで在学中は胸を張って大学で過ごすことができます。 特攻した学生は大学を出た後は美術的には戦死者として学内の誇りとなり。 社会に出て美術的には死んだ人間として美術とは関係のない仕事をして生きていきます。
東京藝術大学の場合は大学院に残り博士課程まで進むことができればどこかの大学の教員になることができます。 でも東京藝術大学以外の芸大美大では大学に残ってもそれはありません。
大学院に残れなければテイクがない。 これまではそれでも芸大美大は踏ん反り返って黙っていてもお金が入ってきましたが、これからはそうはいきません。 それは周りの大人が黙っていないからです。 少なくとも私はそのような姿勢を許しません。
自らのことを顧みず「美術のため」に自己犠牲を厭わない思想はやり切れるなら良いと思います。 でも、「中途半端」に終わるならなんの意味のない馬鹿げた「危険思想」だと思います。 卒業生を見ていると周りの状況に流されやすい人ほど特攻しているように思います。 そして流された人は卒業後大学を大嫌いになります。 卒業後の人間からすればありありと手に取るようにわかりやすい学生のビフォーアフターですが、ただし在学生にこの話をしても残念ながら聞く耳は持ってはもらえません。 彼らはすでに科の思想とフィックスし特攻服を着ているのです。 彼らが科とフィックスして得ているのは戦闘機です。 戦闘機は心の鎧です。鎧を着れば今までとは違いどこに出ても恥ずかしくありません。 鎧を着ている時はそれは気持ちのいいものです。 でもそれはまやかしです。 実は鎧をきているかのような感覚は幻想です。 本当に「美術のため」を想うならそんなプライドはいらないのです。 つまりそれは「美術のため」にも「科のため」にもなっていません。 そして「自分のため」にもならないのです。 確かに大学の先生にギブを続けなければならないということは半分正解です。 でも大学の先生からのギブが全てではないのです。 それに大学の先生に学生がギブを続けなければならないこと自体が健康的ではありませんし、学生たちにテイクを与えるものは大学の外にもちゃんとあるのです。 学内にいれば大学の先生しか見えてこないかもしれません。今の現状では学生に情報がないので仕方がありません。 本来であれば大学が学生のために大学の外の情報を集めて手に取るように学生に与えるべきです。 でもそれは自分自身へのギブが減るので誰も動きません。 大学の先生は返報性の法則で動きます。 情けない。 この状況を変えられるのは心あるOBだと思います。 後輩たちに同じような思いをさせたくはないはずです。
戦時中の特攻隊。彼らの「死ぬ時」はどのような心境だったのでしょうか?
大人は彼らに多くのことを隠しました。そして彼らは純粋に信じた。
私ならきっと死ぬ瞬間に「お国のため」という言葉と自我とのフィックスが解けて我にかえり後悔したと思います。 そして周りの人を必死に止めようと説得したと思います。ボコボコになりながら。
芸大美大には英雄志向があります。
「歴史に名を残す巨匠になりたい」という夢や
「美術の世界を大きく一変させるような活動がしたい」と言うような夢を持ちます。
必死に夢に向かって突き進めば夢は実現させることが可能です。
私は決して夢を諦めるように言うつもりは一切ありません。私が言いたいのは「勝負に出る時期が早すぎる」ということです。
大学卒業を節目に多くの学生が「特攻」します。
「特攻」ではなく「逃げる」や「待機」の戦略が皆んな下手です。
大学は大学の教員になれない学生を退避させる戦術があまりにも下手くそです。 そして実はアーティストを育てることも。 つまり彼らには自分の通ってきた道。 大学の教員を育てることしかできない。 大学の教員になれるのはほんの数人です。
作品を作り続けなければならない彫刻/日本画/工芸はどうなる?
学生が大学院の入試に特攻をかけなければならない事情の一つが大学に残れなければ続けていくことができず、制作を続けていけなければ作家としての研鑽を積んでいくことが難しいことです。 各科で学部から大学院に進み博士まで残りその後どこかの大学の教員になり制作を続けていける学生の人数は予測できます。 そして大学が運営するために制作を続けられる学生の人数よりもはるかに多い学生を学部に入学させます。 そして大学が考えているのはそこまでです。 つまり制作を続けていけない学生のことは何も考えていません。 大学が考えないので大学の外の人間が考えるしかない。 天才育成計画では大学に残らない学生の中から「天才」が出てくるようにこの問題について考えていきます。
「天才」を生むための手立てのひとつは大手の優良企業への就職です。
芸大美大、ひいては日本の芸術と美術はほんの一握りの日向の人間の利益のために動いています。 つまり、どこぞの汚い顔したおじさんおばさんのために学生は自らの身をかえりみず特攻するのです。 芸大美大の中の人間は教授の利益のために動きます。 教授にテイクを繰り返すことでギブが得られるかもしれない。 教授に利益をもたらすには自分の身を犠牲にしなければならない。 それを辞めさせるには学内ではなく、学外の人間が動くべきです。 そして学生が教授の顔色を伺わなくても安心して活動ができる環境を作ってあげなければなりません。 仮に戦争になった時には今の日本では日本人がお国に逆らって若者たちが特攻に行くことを止めるでしょう。 それと同じ意識を芸大美大の外の芸大美大を取り巻く人間が持たなければならないと想います。
最近では学生が学校へ反発し始めている様子が見られます。 でも本来それは、彼らが玉砕覚悟で学校へ声をあげてしまっていることなので、彼らが傷つかなくて済むように、学外の大人が動いてやるべきです。 大学の教授に声を上げられる学生なんてすごいじゃないですか?そんな学生を潰してはダメです。 天才育成計画は皆さんの協力で芸大美大を変えられるように問題を1つずつ考え、変えるためにどのようなことが必要か考え、確実に実現できるように動く計画です。 大学に声を上げる彼らは私たちを待ってはくれないと思います。 なので1日も早く計画を実行できるように急がなければなりません。 こちらの勝機となる強みは人の数です。芸大美大は教授に近しい人間数人が日向で豊かな生活を送り、距離のあるその他大勢が搾取されるだけの犠牲になっています。 何十年という月日がたち日陰は巨大になりました。 つまり日陰には何千何万という搾取されただけの芸大美大のOBがいるのです。 我々OBは失うものはありません。 私たちは教授の恩恵は受けていないのですから。 学生たちは捨て身の覚悟で大学に抗議しています。 弁護士も立てずに。 それは学生ではなく我々OBの仕事だと思います。
戦時中に特攻隊の学生は、「お国のため」だと決心して飛行機に乗りました。
芸大美大の中には「美術のため」と言う思想が学生の中にあります。
「美術のため」と言う概念の中にそれぞれの所属する科目を想う思想があります。
学生は美術を想い、科を思うことと引き換えに自分の身を立てようと必死です。 ですが、実際は身を投げ出すようなことは誰もしなくても、自ずと大学に残る奴や作家として売り出せる奴は決まります。 学生は落ち着いて胸に手を当てて状況を冷静に見守るべきです。 ジタバタしなくとも自然になるようになります。 自然に身を任せてダメだった時の手をしっかりと打っておくべきです。
胸に手を当てるのは、先生たちも同じだし、OBも同じだと思います。
「彫刻科のため」「日本画科のため」「油画科のため」「工芸科のため」
それぞれの学生が自分の所属する科を想うことは大切です。
でも美術とデザインの世界は権力者ファーストです。 つまり、世の中はギブ アンド テイクといっても学生が権力者にギブを続けなければテイクがないのです。
学生はそのテイクの一環として身を捧げる覚悟を示すために敵艦に「特攻」します。
「お国のため」と同様に「美術のため」で特攻したほぼ全員玉砕します。
「自分の所属する科のため」で特攻した中からほんの一握りの学生は大学に残ることができます。
東京藝術大学の学生が卒業する時、大学院の入試に特攻を試みて玉砕した学生にはテイクはありません。 つまり最後は捨て身の覚悟で特攻して玉砕します。 芸大美大は東京藝術大学のそのような姿勢に倣って芸大美大の多くは大学に残らない学生に対する後顧の憂いはありません。 敵艦目指して見事に特攻を果たすことで在学中は胸を張って大学で過ごすことができます。 特攻した学生は大学を出た後は美術的には戦死者として学内の誇りとなり。 社会に出て美術的には死んだ人間として美術とは関係のない仕事をして生きていきます。
東京藝術大学の場合は大学院に残り博士課程まで進むことができればどこかの大学の教員になることができます。 でも東京藝術大学以外の芸大美大では大学に残ってもそれはありません。
大学院に残れなければテイクがない。 これまではそれでも芸大美大は踏ん反り返って黙っていてもお金が入ってきましたが、これからはそうはいきません。 それは周りの大人が黙っていないからです。 少なくとも私はそのような姿勢を許しません。
自らのことを顧みず「美術のため」に自己犠牲を厭わない思想はやり切れるなら良いと思います。 でも、「中途半端」に終わるならなんの意味のない馬鹿げた「危険思想」だと思います。 卒業生を見ていると周りの状況に流されやすい人ほど特攻しているように思います。 そして流された人は卒業後大学を大嫌いになります。 卒業後の人間からすればありありと手に取るようにわかりやすい学生のビフォーアフターですが、ただし在学生にこの話をしても残念ながら聞く耳は持ってはもらえません。 彼らはすでに科の思想とフィックスし特攻服を着ているのです。 彼らが科とフィックスして得ているのは戦闘機です。 戦闘機は心の鎧です。鎧を着れば今までとは違いどこに出ても恥ずかしくありません。 鎧を着ている時はそれは気持ちのいいものです。 でもそれはまやかしです。 実は鎧をきているかのような感覚は幻想です。 本当に「美術のため」を想うならそんなプライドはいらないのです。 つまりそれは「美術のため」にも「科のため」にもなっていません。 そして「自分のため」にもならないのです。 確かに大学の先生にギブを続けなければならないということは半分正解です。 でも大学の先生からのギブが全てではないのです。 それに大学の先生に学生がギブを続けなければならないこと自体が健康的ではありませんし、学生たちにテイクを与えるものは大学の外にもちゃんとあるのです。 学内にいれば大学の先生しか見えてこないかもしれません。今の現状では学生に情報がないので仕方がありません。 本来であれば大学が学生のために大学の外の情報を集めて手に取るように学生に与えるべきです。 でもそれは自分自身へのギブが減るので誰も動きません。 大学の先生は返報性の法則で動きます。 情けない。 この状況を変えられるのは心あるOBだと思います。 後輩たちに同じような思いをさせたくはないはずです。
戦時中の特攻隊。彼らの「死ぬ時」はどのような心境だったのでしょうか?
大人は彼らに多くのことを隠しました。そして彼らは純粋に信じた。
私ならきっと死ぬ瞬間に「お国のため」という言葉と自我とのフィックスが解けて我にかえり後悔したと思います。 そして周りの人を必死に止めようと説得したと思います。ボコボコになりながら。
芸大美大には英雄志向があります。
「歴史に名を残す巨匠になりたい」という夢や
「美術の世界を大きく一変させるような活動がしたい」と言うような夢を持ちます。
必死に夢に向かって突き進めば夢は実現させることが可能です。
私は決して夢を諦めるように言うつもりは一切ありません。私が言いたいのは「勝負に出る時期が早すぎる」ということです。
大学卒業を節目に多くの学生が「特攻」します。
「特攻」ではなく「逃げる」や「待機」の戦略が皆んな下手です。
大学は大学の教員になれない学生を退避させる戦術があまりにも下手くそです。 そして実はアーティストを育てることも。 つまり彼らには自分の通ってきた道。 大学の教員を育てることしかできない。 大学の教員になれるのはほんの数人です。
作品を作り続けなければならない彫刻/日本画/工芸はどうなる?
学生が大学院の入試に特攻をかけなければならない事情の一つが大学に残れなければ続けていくことができず、制作を続けていけなければ作家としての研鑽を積んでいくことが難しいことです。 各科で学部から大学院に進み博士まで残りその後どこかの大学の教員になり制作を続けていける学生の人数は予測できます。 そして大学が運営するために制作を続けられる学生の人数よりもはるかに多い学生を学部に入学させます。 そして大学が考えているのはそこまでです。 つまり制作を続けていけない学生のことは何も考えていません。 大学が考えないので大学の外の人間が考えるしかない。 天才育成計画では大学に残らない学生の中から「天才」が出てくるようにこの問題について考えていきます。
「天才」を生むための手立てのひとつは大手の優良企業への就職です。