東京芸大生特攻ハザード
学生には夢を諦めさせるのではなく岐路に立った時に選択できる機会を与えることが大切です。
つまり大学に残れないことがわかってからでも十分に大手優良企業への就職活動が間に合うようにすることが大切です。
それがもしできないなら大学に残れないことが原因で路頭に迷う学生の数だけ学部の定員を減らすべきです。
学部の定員を減らさないのであれば学生に興味を持つ企業へ働きかけをしておいて、大学院に残る道と同時に企業と連携しながら企業へ残る道も作り上げていくと良いと思います。 学生が学部を卒業する時に大学院か企業かどちらでも選択できるようにすれば良いのではないかと思います。 科によっては大学院から博士に残り、大学の教員になれなかったら制作を続けることが不可能な科があります。 現状では大学院に残れなかった場合の多くが大手優良企業への就職の道を閉ざされます。 大手優良企業に就職するには学部の3年生の終わり頃には大学院に残らないことを決めなければなりません。 内定を取って大学院に合格したら内定を蹴るのも一つかもしれませんが乱暴です。 そして大学院に残ることを考えている学生の多くが就職活動に対してあまり積極的ではありません。 ここまでは芸大美大以外の一般の大学生と状況は変わらないと思います。 一般の大学生と芸大美大の大学生との違いは学部と大学院を出るタイミングで大学に残れずにあぶれる有能な学生が多いのです。
これまではあぶれた学生について考えられてきませんでした。 つまり現状ではあぶれた学生に対する支援は何もありません。 あぶれた学生の中には優秀な学生が大勢います。 学生は美術の財産です。 その美術の財産の活かし方をこれまで誰も考えずにきました。 考えれば見えてくるものがあります。 大学を出た後にもがき苦しんでいるOBは大勢います。 あまりに多すぎる人数です。 これまではそこに目を向けずに目を背け続けることができました。 「才能がなかった」程度の安い言葉で誤魔化せてきましたが、内部の人間から見てどこからどう見ても優秀な人間があぶれた中に大勢います。 何年も浪人して東京藝術大学に合格した学生は受験勉強に消極的でFランク校や推薦入試に流れた学生と比較して明らかな差があります。 芸大美大の力はアーティストと大学の教員を生み出すだけではありません。 彼らの能力を活かすのは中学や高校でもありません。 大手の優良企業です。
若者の矛先は変わろうとしています。 すでに捨て身の覚悟で大学に抗議を始めた学生もいます。 学生に大学に特攻させてどうなりますか?そのような世界を作ってきたのは大人である我々です。 大人である我々一人ひとりが胸に手を当てて目を閉じて考えなければならいのではないでしょうか?
大学の教員の中には心ない者もいます。 最近問題になった○大アメフト部のような者がやはり芸大美大にも残念ながらいます。 このような問題を解決するのは学生ではありません。 周りの大人だと思います。
戦時中であれば想像を絶するような幾多の困難を超えて自分の身を犠牲にしてまでも戦争を終わらせたいと思い至るなどして自分のことは省みないという考えに至ることはわかります。 攻撃しなければやられてしまう戦闘の最中であれば死を覚悟することもあるでしょう。 でも自分を犠牲にしないという考えを絶対に捨てないようにしなければならないと思います。 おそらく戦時中の特攻や戦闘に参加した方の多くは自分を犠牲にしないという考えを捨ててはいなかったと思います。 捨ててはいないけれど戦闘に加わるしかなかった。ということが正しいのかもしれません。
芸大美大でも「自己犠牲」の思想があります。教員も学生もあります。
「美術のために」
「才能のある同級生のために」
「大学のために」
「先生のために」
さて、これらは全て一見美しいように見えて、私は全てくだらないと思います。
「自分のために」
でいいのです。
学生の自己犠牲はこれからの社会では必要ありません。 戦時中とは違います。 芸大美大が変われるように周りの心ある教員やOBなどが自分を犠牲にしようなどと考える必要のない状況を作ってやることが大切です。
芸大美大の先生には心ある者と心ない者がいます。 心ない者は学生に自己犠牲を仕向けます。 縁故によって自分の子供や息のかかった学生に生き残れるポジションを与えて、その他の学生には自分を犠牲にさせる。
自分を犠牲にさせる学生には「才能がなかった」「運がなかった」などのわけのわからない理由をつけて「恥」をかかせないようにして自分が犠牲になって消える学生最後の仕事がスムーズに行われるように滞りなく働きます。 綺麗に環境を整える。 生き残れるポジションにつく学生をどのように選んだかは絶対に公表はしない。 このような腐った思想を持つ大学の先生が難関校にもいます。 そのような先生は科によって存在する割合は違います。 中には完全に縁故の先生だけで科が支配されている場合がありますし、科によっては心ある先生がおられて闘争中の科もあります。 縁故をぶった切って外から先生を引き込んだ健康になり始めたところもあります。 縁故の根をたつ高い意識を持つ先生がいるのは難関校です。 さすがです。 それが本当に持つべき思想というものでしょう。 私がいた専攻は完全に縁故に染まっていました。 縁故に染まってしまった専攻は縁故の殻の中でしか仕事ができません。 おこがましいですが私はその殻の中では自分が小さくならざるを得ないと考えました。 だから私はそこに残っても仕方がなかったので学部で大学を出ました。 私が残らなかったその専攻は今縁故をぶった切っています。 本当に心の底がスッとする思いです。 大学の教員の難しさは力の弱い学生を擁護すれば縁故が強く成り、縁故をぶった切れば強い学生の可能性が無限に広がる所です。 擁護は最低限に施せば良いと思います。成すべきことは学生の可能性を最大限に広げることです。 そのための問題は大学の教員の手立てが少ないことです。 具体的に縁故しか手立てを持たない非力な者がいます。 それが問題の火種です。 難関校以外の芸大美大には縁故で難関校に就職できなかった縁故の先生が大量に流れます。 難関校ではない芸大美大で縁故ではなく採用されている状況を私は知りません。 あるでしょうけど。
芸大美大の外の日本の社会で仮に戦争が起きてしまったとしても現代では多くの人が特攻に行くことを止めるので、お国がいくら特攻隊を作りたがっても日本でそれは叶わないでしょう。 それと同じように後顧の憂いを立って特攻する今の芸大美大の学生の思想を変えるべきです。 あまりにも時代錯誤なことがいまだに行われています。
芸大美大で特攻が起きるのはパイ。 つまり需要がないとわかっていながら、その少ないパイに学生を無理やり向かわざるを得ない空気を作っているからです。 二十人いたら2つしかない椅子に向かわせて十八人が死にます。
芸大美大の怠慢は十八人の死者が出ることが読めるにも関わらず目を背けて特攻させている所です。 「触らぬ神に祟りなし」と行った所でしょうか。 昔から暗黙の了解で滞りなくことがなされます。 でもこれからは違います。 十八人の死者を出すことがいかに愚かなことか。 これからは具体的になります。 少なくとも私はやります。 私がやらなくとも誰かが必ずなんとかすると思います。 それほどくだらないことが平然と行われているのです。
十八人の学生は素晴らしい能力を持った貴重な人材です。 「自己犠牲」をも厭わない。それに対して十八人の貴重な人材を生かせずただ死なせてしまう大人は「無能」です。 大学内がかわれないなら学外の大人が彼らを生かす道を創り上げるべきです。 死んだと思ってもその後の道をしっかりと作ってそっと乗せてやれば、「あれ、死んでない」と言った具合で助けることができます。
十八人の死者が出ることが明らかになった場合に考えなければならないことは、募集定員を減らすことです。 つまり最初から募集定員は二名で十分なのです。 二名以上合格させるのは学生のためではありません。 大学が儲けるためです。 学生が二名でも学校は運営できます。 大学に4学年あり、大学院2年で合計6学年で生徒数が十二名です。 十二名の学費が集まれば十分先生の給料は払えます。 もっとお金が欲しいから18人も人生を犠牲にさせるのはあまりに理不尽でしょう?学年に3名以上の学生が入学した場合には卒業後にそれだけ確実にあぶれる生徒が出てくるということです。 大学の外の人はあぶれる学生について徹底的にリサーチするべきです。 あぶれた生徒の状況がはっきりわかればわかるほど受験生はその大学を受験するべきかどうかが明確にわかります。 つまり、大学は定員を減らしたくなければパイを見極め、あぶれる学生一人ひとりに対するフォローを徹底するべきです。 具体的にフォローをしていれば、それを公開すればそれだけ定員を増やすことが可能です。 フォローしきれない人数は受け入れてはなりません。 何故ならば学生を育てるパフォーマンスがないのですから。 尽力しないのであれば大学の外の人が全力でその状況を公にします。 大学はパイからあぶれた学生にどのようなフォローをするべきか?真剣に考えて取り組む必要があります。 その多くは大手優良企業への就職だと思います。
学部の定員を減らさないのであれば学生に興味を持つ企業へ働きかけをしておいて、大学院に残る道と同時に企業と連携しながら企業へ残る道も作り上げていくと良いと思います。 学生が学部を卒業する時に大学院か企業かどちらでも選択できるようにすれば良いのではないかと思います。 科によっては大学院から博士に残り、大学の教員になれなかったら制作を続けることが不可能な科があります。 現状では大学院に残れなかった場合の多くが大手優良企業への就職の道を閉ざされます。 大手優良企業に就職するには学部の3年生の終わり頃には大学院に残らないことを決めなければなりません。 内定を取って大学院に合格したら内定を蹴るのも一つかもしれませんが乱暴です。 そして大学院に残ることを考えている学生の多くが就職活動に対してあまり積極的ではありません。 ここまでは芸大美大以外の一般の大学生と状況は変わらないと思います。 一般の大学生と芸大美大の大学生との違いは学部と大学院を出るタイミングで大学に残れずにあぶれる有能な学生が多いのです。
これまではあぶれた学生について考えられてきませんでした。 つまり現状ではあぶれた学生に対する支援は何もありません。 あぶれた学生の中には優秀な学生が大勢います。 学生は美術の財産です。 その美術の財産の活かし方をこれまで誰も考えずにきました。 考えれば見えてくるものがあります。 大学を出た後にもがき苦しんでいるOBは大勢います。 あまりに多すぎる人数です。 これまではそこに目を向けずに目を背け続けることができました。 「才能がなかった」程度の安い言葉で誤魔化せてきましたが、内部の人間から見てどこからどう見ても優秀な人間があぶれた中に大勢います。 何年も浪人して東京藝術大学に合格した学生は受験勉強に消極的でFランク校や推薦入試に流れた学生と比較して明らかな差があります。 芸大美大の力はアーティストと大学の教員を生み出すだけではありません。 彼らの能力を活かすのは中学や高校でもありません。 大手の優良企業です。
若者の矛先は変わろうとしています。 すでに捨て身の覚悟で大学に抗議を始めた学生もいます。 学生に大学に特攻させてどうなりますか?そのような世界を作ってきたのは大人である我々です。 大人である我々一人ひとりが胸に手を当てて目を閉じて考えなければならいのではないでしょうか?
大学の教員の中には心ない者もいます。 最近問題になった○大アメフト部のような者がやはり芸大美大にも残念ながらいます。 このような問題を解決するのは学生ではありません。 周りの大人だと思います。
戦時中であれば想像を絶するような幾多の困難を超えて自分の身を犠牲にしてまでも戦争を終わらせたいと思い至るなどして自分のことは省みないという考えに至ることはわかります。 攻撃しなければやられてしまう戦闘の最中であれば死を覚悟することもあるでしょう。 でも自分を犠牲にしないという考えを絶対に捨てないようにしなければならないと思います。 おそらく戦時中の特攻や戦闘に参加した方の多くは自分を犠牲にしないという考えを捨ててはいなかったと思います。 捨ててはいないけれど戦闘に加わるしかなかった。ということが正しいのかもしれません。
芸大美大でも「自己犠牲」の思想があります。教員も学生もあります。
「美術のために」
「才能のある同級生のために」
「大学のために」
「先生のために」
さて、これらは全て一見美しいように見えて、私は全てくだらないと思います。
「自分のために」
でいいのです。
学生の自己犠牲はこれからの社会では必要ありません。 戦時中とは違います。 芸大美大が変われるように周りの心ある教員やOBなどが自分を犠牲にしようなどと考える必要のない状況を作ってやることが大切です。
芸大美大の先生には心ある者と心ない者がいます。 心ない者は学生に自己犠牲を仕向けます。 縁故によって自分の子供や息のかかった学生に生き残れるポジションを与えて、その他の学生には自分を犠牲にさせる。
自分を犠牲にさせる学生には「才能がなかった」「運がなかった」などのわけのわからない理由をつけて「恥」をかかせないようにして自分が犠牲になって消える学生最後の仕事がスムーズに行われるように滞りなく働きます。 綺麗に環境を整える。 生き残れるポジションにつく学生をどのように選んだかは絶対に公表はしない。 このような腐った思想を持つ大学の先生が難関校にもいます。 そのような先生は科によって存在する割合は違います。 中には完全に縁故の先生だけで科が支配されている場合がありますし、科によっては心ある先生がおられて闘争中の科もあります。 縁故をぶった切って外から先生を引き込んだ健康になり始めたところもあります。 縁故の根をたつ高い意識を持つ先生がいるのは難関校です。 さすがです。 それが本当に持つべき思想というものでしょう。 私がいた専攻は完全に縁故に染まっていました。 縁故に染まってしまった専攻は縁故の殻の中でしか仕事ができません。 おこがましいですが私はその殻の中では自分が小さくならざるを得ないと考えました。 だから私はそこに残っても仕方がなかったので学部で大学を出ました。 私が残らなかったその専攻は今縁故をぶった切っています。 本当に心の底がスッとする思いです。 大学の教員の難しさは力の弱い学生を擁護すれば縁故が強く成り、縁故をぶった切れば強い学生の可能性が無限に広がる所です。 擁護は最低限に施せば良いと思います。成すべきことは学生の可能性を最大限に広げることです。 そのための問題は大学の教員の手立てが少ないことです。 具体的に縁故しか手立てを持たない非力な者がいます。 それが問題の火種です。 難関校以外の芸大美大には縁故で難関校に就職できなかった縁故の先生が大量に流れます。 難関校ではない芸大美大で縁故ではなく採用されている状況を私は知りません。 あるでしょうけど。
芸大美大の外の日本の社会で仮に戦争が起きてしまったとしても現代では多くの人が特攻に行くことを止めるので、お国がいくら特攻隊を作りたがっても日本でそれは叶わないでしょう。 それと同じように後顧の憂いを立って特攻する今の芸大美大の学生の思想を変えるべきです。 あまりにも時代錯誤なことがいまだに行われています。
芸大美大で特攻が起きるのはパイ。 つまり需要がないとわかっていながら、その少ないパイに学生を無理やり向かわざるを得ない空気を作っているからです。 二十人いたら2つしかない椅子に向かわせて十八人が死にます。
芸大美大の怠慢は十八人の死者が出ることが読めるにも関わらず目を背けて特攻させている所です。 「触らぬ神に祟りなし」と行った所でしょうか。 昔から暗黙の了解で滞りなくことがなされます。 でもこれからは違います。 十八人の死者を出すことがいかに愚かなことか。 これからは具体的になります。 少なくとも私はやります。 私がやらなくとも誰かが必ずなんとかすると思います。 それほどくだらないことが平然と行われているのです。
十八人の学生は素晴らしい能力を持った貴重な人材です。 「自己犠牲」をも厭わない。それに対して十八人の貴重な人材を生かせずただ死なせてしまう大人は「無能」です。 大学内がかわれないなら学外の大人が彼らを生かす道を創り上げるべきです。 死んだと思ってもその後の道をしっかりと作ってそっと乗せてやれば、「あれ、死んでない」と言った具合で助けることができます。
十八人の死者が出ることが明らかになった場合に考えなければならないことは、募集定員を減らすことです。 つまり最初から募集定員は二名で十分なのです。 二名以上合格させるのは学生のためではありません。 大学が儲けるためです。 学生が二名でも学校は運営できます。 大学に4学年あり、大学院2年で合計6学年で生徒数が十二名です。 十二名の学費が集まれば十分先生の給料は払えます。 もっとお金が欲しいから18人も人生を犠牲にさせるのはあまりに理不尽でしょう?学年に3名以上の学生が入学した場合には卒業後にそれだけ確実にあぶれる生徒が出てくるということです。 大学の外の人はあぶれる学生について徹底的にリサーチするべきです。 あぶれた生徒の状況がはっきりわかればわかるほど受験生はその大学を受験するべきかどうかが明確にわかります。 つまり、大学は定員を減らしたくなければパイを見極め、あぶれる学生一人ひとりに対するフォローを徹底するべきです。 具体的にフォローをしていれば、それを公開すればそれだけ定員を増やすことが可能です。 フォローしきれない人数は受け入れてはなりません。 何故ならば学生を育てるパフォーマンスがないのですから。 尽力しないのであれば大学の外の人が全力でその状況を公にします。 大学はパイからあぶれた学生にどのようなフォローをするべきか?真剣に考えて取り組む必要があります。 その多くは大手優良企業への就職だと思います。