天育実験工房★幻想公開講座「立体感の出し方/絵画技法の導入の章1」
● 「簡単」
最初にお話ししなければならないのは「簡単」という言い方をしてしまうと、皆さんの中で絵にロマンを持っている人がそのロマンを壊してしまうことが心配です。 その場合絵が簡単に描けると言う時点で拒絶されてしまうかもしれませんが、できれば耳を傾けて頂きたいと思います。絵が難しいからそれができてなんぼ。 難しいことができるようになったから、又、取り組んでいるから自分に誇りが持てる。 そういった方は多いと思います。 でも、そういった方には是非読んで頂きたい。
私の場合は元々自分に自信がなく、絵で褒賞を得られることで承認欲求が満たされ、その経験が自分のプライドに変わりました。 しかし向かう壁が大きくなるにつれて、プライドの為に制作するのでは通用しなくなりました。 絵を自分のプライドの為に制作するのではなく、プライドを超えた本質や問題を解決する為に制作するようになることで本当の力が身につき壁を超えられるようになりました。 プライドって何?と考えた時、それは単なるエゴだったり、問題を純粋に解決する為には仇となってしまうようなものだったりします。 単に競争するだけで解決するようなレベルのことであればライバルを作ってプライドをぶつけ合うだけで成果を期待することはできます。 しかしアートの世界はそれとは違った角度の努力が必要です。 隣と競争していれば一流になれるわけではない。 本質を追求することが大切です。 褒賞によって絵で自分に誇りを持っている方は多いと思います。 でもそれを超えることが大切です。 褒賞ではなく、プライドではなく、本質を追求することで絵の世界は大きく生まれ変わると私は考えています。
絵が簡単に描けると言う認識に生まれ変われることで開かれる未来がある。 それを私は世界中に伝えたいのです。 そのため一人一人の皆さんを説得、納得して頂くために書いています。
私は日本人です。 そのため私は日本のアートの状況が気になります。 海外に出たことのない私が言うのも何ですが、はっきりと手に取れる問題なのでお話しします。
日本の幼児教育は遅れています。 それとアートを鑑賞する際の見方についても日本人は遅れています。 そして日本はアニメ、漫画に見られるように世界に誇るアート大国になれる素質を持っています。 でもそれを阻害しているのがアートの見方がわからない時に頭に浮かぶ「アートが難しい」、今回のお話に添えば「絵が難しい」と言う認識です。 日本は世界に誇れるアート大国になれる素質を持っています。 今回のお話はそのためのお話でもあります。 誰もが絵を描き、部屋に絵を飾るようになる。 そして作品を購入する。 そういった面で日本は世界的に遅れています。 全ては「絵が難しい」と思われているからです。 そうなってしまったのは「冷やかし」や「隠蔽体質」があるからです。 自宅に絵を飾る場所がないと考える人は多いと思いますが、小さな絵でもいいのです。 お気に入りの漫画の単行本を飾るとかでもいいかもしれません。 写真を飾る感覚で絵を飾る。 眼を楽しませる場所はスマホだけではありません。
「簡単な方法」は必ず皆さんの役に立つものです。 なので「簡単」と謳わなければならない。 でも同時にその「簡単」が皆さんの上からものを言うような形に見えてしまうかもしれない。 もしそうであるなら台無しです。皆さんに嫌われてしまっては方法が死んでしまいます。 それは絶対に避けたい。私の中に「冷やかし」の感覚は全くありません。
絵を描くとは「特別なもの」「才能溢れること」「天才的な未来が開けること」絵を描く際は、様々な希望や夢を想像することができる素敵なものです。 それを「簡単」と言ってしまうと「夢」を壊してしまうことになりかねません。 このような感じになってしまうのは背景に「冷やかし」があるからです。 私の意図することは、絵を描くことが特別なことと思いすぎてしまい、自分の能力を低く貶めてしまったことで描けなくなっている人を助けることです。 つまり「特別なもの」「才能溢れること」「天才的な未来が開けること」は皆に共通するものこと(物事)なのです。 それと絵を描くことを前向きに捉えられている人により深く理解して頂けるために書いています。 私にとってはこの話を書くこと自体が私のロマンでもあります。 私の根底にはいつもガンダムとかアラレちゃんとかキン肉マンがいます。 それらのイメージが潜在的に表出して正義感となって働くのです。 絵の指導をしている時も、絵を描く時も、これを書く時もガンダムのかっこよさやキン肉マンの正義感が片時も離れる時は無いのです。 そのため皆さんの夢やロマンを壊すためではなく、皆さんがより良く夢を見て、ロマンを追い求めることができるように願ってこれを書いています。 私の頭に今表出しているのはテリーが子犬を守るために電車を止めたシーンです。
「簡単な・・・」という言い方は大げさと感じるかもしれませんが、でも本当に世の中にある立体感の出し方の中で最も簡単です。 多分これから先もこれ以上簡単な方法は恐らく出ない、凡ゆる描き方の中で最も簡単で、初心者の人が最初から脊髄反応的に描ける方法です。
簡単に描ける根拠は、1つ目に、人の最も注意力の働く視認性の高い視野。 2つ目が、絵画の中で誰もが強く認識し得る指先のスペクタクル(別の機会に詳しくお話しします。小さく絵を描くことが誰もが最も生得的に上手に絵が描ける方法です。)であること。 3つ目が、「摘む」という「誰でも高い巧緻性が働く指先の動作」に付随した描き方。 4つ目が、「摘む」という動作に近い描き方ほど誰でも最も描きやすい描き方であること。 5つ目が、経験的な差が出ないこと。 最後に6つ目、鉛筆などを持つ際の骨格。神経。筋肉。情動。気分。そして脳の使い方まで考えた上で他に簡単な方法はあり得ないからです。
※この講座は文字を書けるようになったお子さん以上が対象です。
ここに書かれている方法は、世の中で言われている「天才」「才能」の概念を壊します。 つまり「天才」「才能」と言われている人とそうでない人との差が全く生じない方法です。 ピカソともレンブラントとも変わらない。変わらないと言うことを踏まえれば、鉛筆や絵の具の限界を知り、限界を踏まえて如何に表現するか?を知る切欠になると思います。 絵の具の作り出すグラデーションの幅は自然の中のグラデーションには圧倒的に劣るのです。 そこに天才と凡人の差はあり得ません。 天才と言われている人たちが絵の具の限界を踏まえて制作している以上、天才がその限界を超えることはありません。 そしてその限界という状態を生む技法は実は簡単なものなのです。 世の中でそれを語られることはあまりありません。 語ってしまえば高尚なものでなくなるからです。 昔は技法を隠し、伏せた方が良かったかもしれません。 でも今はそのような時代ではないと考えます。
ここに書かれている方法は、最も生得的な能力に近いものです。 そして「天性の才能」と言われている描き方の全てが後天的なものであることを証明しうるものでもあります。 今のアートの世界で「天性の才能」「特別な才能」と謳われているものの中に本物は殆どありません。 天育はそれを1つずつ証明していきます。 今回はその1つ「立体感の出し方」です。
「天才のなせる技」は実は物理的な法則に従う以上誰にでもできることです。 つまり物理的な法則に従った描き方と認識の作法がわかれば誰にでもできることです。 物理の法則を超える天才はいません。 いたら化け物です。 化け物扱いは天才たちに失礼。
作者の見ている作品の本質は描き方と認識の作法がわからなければ見えない。 つまり、画家は描きながら作品を見ています。 皆さんのように完成した形だけを見ているのではありません。 描き始めから終わるまで、皆さんと同じようにロマンを頭に浮かべながら、画面の絵の具の変化に呼応し、絵を完成させていきます。 その完成の過程までにどのような技法を使い、どのような見方で見て認識していくかをあらかじめ決めて、制作に臨み、作品を見ています。 それを知らなければ作品の本質は作者と共感することはできません。
作者は技法とその過程を鑑賞者に詳細に伝えるべきです。 「冷やかし」や「困難」なイメージを超えて。 今回は詳細に伝えるためのサンプルでもあります。
アートの世界は「手」から入る作者と「頭」から入る作者に分かれます。 でも、その殆どが「手」から入る作者です。 でも悲しいかなアートの世界にある「言葉」の殆どが「頭」から入った人が作ったものです。 つまり、アートの世界にある難解な概念の殆どは絵を描く人の作ったものではありません。 今の状況では絵を描く人の「手」を通じて感じている感覚は言葉になりません。 私の絵を描く時の認識の作法は絵の具の表情を見ながらガンダムのフォルムやビームライフルの美しさを思い起こしています。 それらを詳細に鑑賞者に伝えなければ私が本当に楽しんでいる絵の見方は鑑賞者に伝わらないのです。 絵画はそのようなことをしません。 理由は作者の技法とその過程を鑑賞者に詳細に伝えない「癖」がついているからです。 「手」の世界には言葉にされていない物事が無限に潜んでいます。 それを画家は知っています。 それを知っているから「頭」からアートの世界に入った人達の言葉に物足りなさを感じながらもどう言えばいいかわからずに黙ってモゾモゾしているのです。
作者の技法とその過程がわかりやすく世の中に示されるようになれば、絵を描くことが誰にでもできるようになります。 「天性の才能」「特別な才能」という認識は結局よくわからないため腑に落ちないため世の中の人をアートから遠ざけることにしかなりません。 世の中の人を遠ざけているのは簡単にできる技法を公開していないからです。 つまり世の中の人と絵が近づくのは技法を公開することによって可能です。
「天性の才能」「特別な才能」という言葉で引き寄せることが可能な人は、それを直接個人に言ってあげて承認欲求を満たしてあげられた人です。 アートの世界は、特に日本はコンクールによる褒賞を個人に与えることで人を引き寄せてきました。 でもそれは同時に人離れを起こします。 なぜならば、褒賞を与えられているのはクラスの中の1人。 その他の全員は蚊帳の外に締め出しているからです。 褒賞を与えられた作品が他の作品と比べて圧倒的に魅力のある作品かと言われればそうではないからです。 絵はどの絵も素晴らしい魅力があります。 又、その魅力は完成された状態で全てが伝わるものではありません。 作者が感じた素晴らしい感覚は制作過程を詳細に把握することで初めて伝わるのです。 つまり褒賞を得たとしても自分の感じた感覚が伝わったという手応えを感じている人はいないのです。
絵は本来は誰にでも描けるもの。 誰にでも楽しめるもの。 本当に楽しいものです。 人にその感覚を喪失させ、解離させているのは「天性の才能」「特別な才能」という偽りの概念に他なりません。 絵は誰にでも描けるものです。 それを証明するための講座です。
ここで書いた方法は偽りの権力者が謳う特定のアーティストを祭り上げて儲けるための「偽りの才能」ではなく、偽りの権力者が明かさない、本当は人間なら誰もが持つ生得的な才能です。
このような発見?とはこれまた大げさですが、これを皆さんに知って頂くために、ただ「簡単」と言っても誰も信じてはくれないので信じて頂くために「長い話」が必要なので非常に長いですが書きました。