JR熊谷駅北口徒歩15分
営業時間 9:00〜22:00

048-578-8177

シン・ズコー

埼玉県熊谷市の図画工作講座です。
これまでの図画工作は旧図画工作とさせて頂きます。
これからは新図工シン・ズコーとして再出発致します。
  • 弓矢と的と盾と基地を作り戦う

    親御さんへ
    クマビの毎週日曜日の午後は弓矢を作って、的を作って、盾と基地を作って、その後最後に戦う時間です。
    楽しみながら密かにものつくりを学び習得します。子供が生まれ持っている動物的な感覚を引き出し、感性を豊かに育てます。
    普通の授業では子供がストレスを感じて難しい絵と工作のトレーニングも武器を作るためなら楽しんでできます。
    環境としては静かに安全に制作しなければならないアトリエでの制作になるため大声を出せないなど制約はありますが、やりたいことをやるという意味では楽しく学べて制作できる講座だと思います。
    こだわりたい人は受講期間を延長することができます。
    材料はかけられるだけかけてしまうこともできますし、安価に済ませることも可能です。
    材料代をかけられない人は作られたものが戦いの戦利品としてもらえるので勝負に勝って増やしてもいいかもしれません。

    <期間>
    講座ですのでお金と時間がかかります。そのため安価に短い時間でも受講できるように最短で3ヶ月のカリキュラムにしました。
    続けたい人は何タームでも受講し続けられます。繰り返し受講する中で弓をバージョンアップしたり、例えば1年かけて基地を徹底的に作り込んで守りを固めるのもいいでしょう。3年通ったとしたらかなり高度な技術を教えることもできます。

    <戦場>
    戦いの場は屋内であれば長机二つ分の小さなフィールドから教室全体。屋外は可能かどうかわかりませんが今のところ大きな公園を貸し切ることをイメージしています。
    さて、このようなシン・ズコーの講座です。
    興味のある方はどんどん参加してください。

    ●対象 小学校1年生以上
    ●開講時間 毎週第1,3日曜 14:00~16:00
    ●期間 ①4〜6月 ②7〜9月 ③10〜12月 ④1〜3月
    ・1年間を4つの期間に分けます
    ・カリキュラムのスタートは4、7、10、12月ですが途中入学も可能です。
    ●料金
    ・入会金 5,500円
    ・受講料3ヶ月前納 16,500円
    ・初回お支払い金額 22,000円
    ※途中退会しても返金できませんのでご注意下さい。
    ・材料代別途(必要な材料はその都度購買で買って頂きます)
    ・お支払い方法
     事務上の都合によりお支払いは全て振込とさせて頂きます。
     振込手数料は生徒負担です。
    ・振込先
     東和銀行 行田 店番070 普通3082739
     熊谷絵画教室小平崇史(クマガヤカイガキョウシツコダイラタカシ)
    ●講師
     関根 颯花 東京芸術大学油画専攻在学
     長谷見 音々子 東京芸術大学油画専攻在学
     小平 崇史 熊谷美術研究所代表
    ●カリキュラム
     ①ルールブック作成 弓 ②的 ③小さい盾 ④大きな盾 ⑤基地 ⑥戦い
     6回の授業で簡単な武器と基地が作れます。
    ●作るもの
     基本/ルールブック 弓 矢 的 盾 基地
     2ターム以降/宝(メダル 王冠 指輪 マント 絵) 暇な時に矢を増やす
     数年先/投石機(玉は紙等軽い素材) 城
  • 旧図画工作

    ● クマビの図画工作

    • クマビの図画工作は美術予備校の図画工作です。
    • クマビは忖度しない日本一真面目な図画工作です。
    • コピー「うちがやらなきゃどこがやる」

    ● 受講の希望

    生徒は随時募集中です。いつでもお問い合わせください。
    受講の前には適性を見極めるために必ず面接を行いますのでご了承ください。

    ● 料金

    こちらをご覧ください → 料金

    ● 適正

    図画工作には2つの適正があります。これを混同すると指導は必ず失敗します。
    適正の1つは、子供が静かに集中して制作できるタイプで精度の高い上手な図画工作に興味関心を持つ。
    適正の1つは、子供が「自由にのびのび」の本質を理解して、上手ではなく伸びやかに図画工作することを望んでいる。

    適性をしっかりと把握して指導しなければならないので受講の前に適性を面接によって確かめます。

    ● コース

    • 自由にのびのびコース
    • 上手になるコース
    途中で変えることができます。

    • クマビの図画工作の意味

      クマビは美術予備校です。 美術予備校は学校ではありません。 中教審にも指導要領にも縛られず、独自の判断で自由に動くことができます。 世の中は問題だらけ。だから図画工作の中の問題を見つけるのは簡単です。 (自分に問題がないというわけではありません。) 問題を見つけて解決方法を考えて、実践して解決するのが「仕事」です。 でも、誰が解決のために動けるかと言えば、見つけるのは簡単ですが、解決するために仕事ができるかどうかとなるとそう簡単ではありません。 美術予備校は学校のように立派ではありませんし、雑草みたいな勝手に生えているもので割と自由です。 そのため何を問題にしてどう取り組むかは気ままに決めてやることができます。 一言で言えば自由。 学校が何十年かかっても取り組めない問題でも、勝手気ままな立場なのでここから遊撃的に問題を攻撃(仕事)することができるのです。 それで学校が変わる気になった時のために完璧なシナリオを作っておこうと思っています。 美術予備校は大学でも、高校でも、小学校でもありません。 そのためここでやる図画工作は学校の図画工作ではありません。 でもクマビの図画工作は日本の図画工作が長年取り組めなかった問題に直接手を伸ばし、解決に取り組む図画工作です。 クマビの図画工作が皆さんに提供できるのは、美術の所謂「美」と言える部分、つまり美しく描くこと。 鑑賞の仕方。飾ること。 アートの「頭」と言える部分、アートの見方、考え方、制作の仕方です。 実はこれらは学校の美術や図画工作が真正面から指導することは避けている部分です。 そのため、「美」は高校を卒業して美術予備校に通う人でなければ学ぶことができません。 そして「頭」の部分は芸大美大に進まなければ学ぶことができません。 これらは実は幼児期から指導するべきことです。 日本ではすごく立ち遅れている部分。 海外では家に絵を飾ることは当たり前という国が多いです。 日本でそのようなご家庭を拝見することは私の周りではまずない。 自分で絵を描きお花を飾り、たまに絵を買う。 創造性豊かで、豊かな感性で日常を送る。 そのような日常を送る豊かな生き方の1つに美術やアートはあるのです。 日本でそのようなご家庭を拝見することがないのは学校教育で美術とアートと正面から向かい合って教育をしていないからです。 それによって日本人に絵は馴染まないものになりましたし、アートは難解なものになりました。 現代アートを見に行ってもいるのは外国の観光客の方々ばかり。 向かい合うと自分が惨めなような気がしたり、気持ちのいいものではないので目を背けた方がいいと考える人が殆どです。 このような状況については以下の日本の美術教育の4つの問題で少し詳しくお話しさせて頂いています。 ここで簡単に言えば原因は図画工作というカテゴリーが美術とアートとは別口の「美育」という概念で成り立っているからです。 それによって美術然とアート然でなければならないということを避けています。 図画工作然で成り立つように考えられているのが学校の図画工作です。 その良い面があることは当然ですが、問題は日本人にとって「美術とアートが不可解」なものとなってしまっていることです。 ここに遊撃的に取り組めるのは学校でも芸大美大でもありません。勝手気ままな美術予備校です。 クマビの図画工作はこんな感じのコンセプトです。
    • クマビでは以下のことは絶対に禁止です。

      ※本当に技術/感性/頭/手/目を育てることに専念するための苦渋の決断です。 以下のことがあると指導になりません。 指導ではなく一時保育になります。 クマビは保育は素人です。 すみません。 以下のことがあればクマビは力を発揮できず授業は壊れます。 何卒ご理解ください。

      ・仲が良くておしゃべりしてしまう友達同士が同じ時間で受講すること。(おしゃべりしなければ構いません。)
      ・おしゃべりしてしまう兄弟が同じ時間で受講すること。
      ・人の作品や描いているところを冷やかすこと。
      ・人の作品を下手と言うこと。
      ・喧嘩をすること。
      ・親御さんの趣味趣向に合わせた作品を制作させること。
      ・先生に忖度すること。
      ・つまらないのに無理して受講すること。
      ・褒賞やご褒美のために受講すること。
    • クマビは以下のことは致しません。

      ・宿題に間に合わせるために子供の代わりに制作することは一切致しません。
      ・子供にコンクールに入賞させるためにお手本を写させることは一切致しません。
      ・子供にコンクールに入賞させるために先生が描いたり作ることは一切致しません。
      ・しつけのための指導は一切致しません。
    • 自由にのびのびと上手を正しく機能させるために大事なこと

      ・自由にのびのびするためにはコンクールに出品してはなりません。そのためクマビからは積極的にコンクールへの参加は致しません。 コンクール出品を禁止というわけではありません。 評価を気にしない方がいいという意味です。
      ※詳しくはコンクール不参加の理由をお読みください。→ コンクール不参加の理由

      ・上手になるためにコンクールに出品してはなりません。 上手には様々な形があります。 子供の作品と将来性を考えた場合にその多くはコンクールのベクトルと合致しません。 仮に合致したとしてもそれが正当な技術の評価とはなり得ません。 何故ならば偶然の一致に他ならないからです。

      ・学校の成績は一切気にしないでください。 学校の成績評価はとても狭義なものです。 先生が変わったり、課題の条件が変われば大きく変わります。 つまり、どんなに成績が悪い作品でも高い評価をつけることが全然可能なのです。 例え真っ白で何も描いていない絵でも絵を描かずに文字で表現していても高い評価をつけることは可能です。 学校の成績が良かったから才能があるとも思ってはなりませんし、成績が悪かったから才能がないとも絶対に思ってはなりません。 学校の先生には申し訳ありませんが、学校の成績は一切気にしてはなりません。 学校の先生にもお考えがあることはわかります。でも学校の成績は子供が漫画家やイラストレーターやゲームデザイナーや画家やアーティストになっていくための尺度には全くならないのです。 本来、美術と図画工作の場合他の教科と同じように成績をつけること自体が間違っています。
    • The美術?図画工作からの時代の要請が美術予備校にある?

      一般の人にとって図画工作は美術でありアートであると認識することが多いと思います。 区別していても境界線がよくわからないので曖昧だと思います。 一般の人の考える学校の図画工作は実際は、=美術でもアートでもなく、「美術教育」と言われる美術の中のカテゴリーの1つのような世界です。 つまりストレートに「美術」というイメージとは違うと考えた方が何かと解釈しやすくなります。 美術予備校も同じく美術の中の1つのような世界です。 美術予備校も「The美術」かと言われればそう言い切れない面があります。 そしてそれぞれにそう言える面があります。 それぞれ一般の人に働きかける時に得意な面や不得意な面を持っています。 様々な面を持ちながらも有益な面があることによってそれぞれに存在価値が認められる美術の中の1つの世界だと思います。
      美術予備校の得意な面から見ると美術教育には技術指導面において様々な否応ない問題があることがわかってきます。 そしてその中に簡単に解決するものが多く潜んでいることもわかります。 そのためクマビが図画工作を行うと思った時、美術教育ではカバーしきれない問題で美術予備校が簡単に解決できることが見えてきて、それを片っ端から片付けたくなります。 クマビにとって図画工作の中に見える問題はクマビが解決しなければならない問題とも思います。
      問題はたくさんあります。これらは学校の図画工作の得意とする図画工作のベクトルでは取り扱わない問題です。 そのためクマビが美術予備校のベクトルを生かして扱うことに意味があります。 これが皆さんのクマビで図画工作をする意味でもあると思います。

      美術教育の世界を覗き込むとそれぞれの問題が致し方ない事情によって起きていることがわかります。 つまり最大限に努力した結果として否応無く生じてしまう問題なのです。 そのためそのままではおそらく解決していかないという予測も成り立ちます。 美術予備校は美術の美(アートの世界で網膜的な作品とよく揶揄される部分)と言われる部分を支える基礎の部分を少しでも高度に高める場所です。 つまり、図画工作の美の部分を高める仕事は美術教育よりも美術予備校の方が遥かに得意なのです。 美について美術教育の世界から要請があるわけではありませんが、これは時代の要請のような気がして素通りはできないのです。
      そのような感じから問題解決のために、まず、シナリオを作り上げることから始めています。
    • 日本の美術教育の4つの問題

      1つには、アートの世界で網膜的と言われ揶揄される所謂上手を目指す絵画と彫刻、工芸、デザインの見方/考え方。 技術(形の取り方、立体感の出し方、構図の取り方、空間の出し方、モチーフの色の作り方など)を学校で学ぶ機会がなく、美術予備校に通わなければ学ぶことができない。

      2つ目には、保育園、幼稚園、小学校の教員になるための教育系の大学の大学生の多くは美術が苦手で図画工作の科目全般は、苦手な大学生に配慮して難しい内容の指導をすることができない。 その結果、日本では、芸大美大に通う学生以外がアートの鑑賞の仕方を学ぶ機会がなく、美術予備校に通う学生以外が技術(形の取り方、立体感の出し方、構図の取り方、空間の出し方、モチーフの色の作り方など)の基礎を身につける機会がない。 これらは基本中の基本といったもので、体育で言えば縄跳びをするとか逆上がりをするなどの基本中の基本であり、それを大学で指導できないということ自体に構造的にあまりに大きな問題がある。 なぜそのようなことになるのは想像はたやすい。 教育系の大学には簡単に形が取れる先生がいない。

      3つ目には、美術予備校で指導するアートの世界が揶揄する網膜的な見方は、現代美術の世界に進む人は本来であれば迂回することが望ましいが、芸大美大に進むには実技試験を越えるために網膜的な見方を一度受け入れなければならない。
      現代美術の世界は網膜的な作品に辟易している。 つまり高度な技術に拘ることは高度な技術を必要としない表現の可能性を狭めるのでそれを危惧し、反発する。
      図画工作は網膜でも、脳神経でもない「美育」であると思うが、どちらかと言えば技術指導に偏らないという所から実は脳神経の側に近い。 そのため図画工作で高度な技術を学ぶ機会は実質ないのであるが日本は否応無しに網膜的な作品を受け入れなければならない。 何故ならば大多数の人は高度な美術の方を必要とし、惹かれているからである。 所謂大衆美術と言われる美術。 そして生活に結びついたデザインを理解するには課題によって高度な造形的技術の訓練を実践し、理解し、理論化していく過程は不可欠なのである。 そのプロセスがないために日本人の多くはアート、美術、図画工作を不可解だと思っている。

      4つ目には、美術と関わりのない一般の人たちへ上の3つと美術教育がそれぞれ別口に「美術」として一般の人たちに干渉してくること。 この干渉の時に日本人なら誰でも抱く「不可解」な印象を持ち、程なくどうしていいかわからず「混乱」するので結果的に日本人の多くが美術もアートも倦厭する。 こういった不可解を生む構造が最も大きな問題だと考える。 つまり「The美術」という概念は一般的な人にとっては存在せず、美術やアートの側の人間でさえも一般の人たちにThe美術をわかりやすく説明する答えを持ち合わせていない。 概念のベースは学校で作られているので、日本人の美術のベースは図画工作になっている。 そのため図画工作ベースで網膜的な美術に触れた時に高度な造形技術にベクトルが向いていなかった図画工作のベクトルとの相違から不可解な印象が否応なく抱くし、図画工作をベースに脳神経的な現代美術に触れた時に現代美術を理解するために不可欠な知識は図画工作では教わっていないのでこれも否応なく不可解な印象を抱いてしまう。 つまり、解決するためになすべきことは簡単で、図画工作の導入の段階で網膜的な美術と脳神経的なアートと図画工作の3つを教えておけばいいのである。
    • 一緒に考えましょう!図画工作の疑問

      ・なぜ読書をせずに、読書していないことが許されお手本を丸写しした作品が受賞するのか?
      ・なぜ喜びや楽しみ、感謝しか描いてはならず、悲しみ、正義の怒り、正義の憎しみを表現してはならないのか?
      ・図画工作の授業を受けてもなぜアートに興味関心が持ててアートを鑑賞したくなったり、制作したり、思いや考えを表現できるようにならないのか?
      ・表現すること以上に表現させないことにウェイトを置いて指導していないか?
      例えば子供の好きな「うんこ」をむやみに口に出してはいけない。表現しても良い時間、空間、場を設けられていない。表現しても良い時間、空間、場とそうではない時を区別する力が育たず、子供はただただ塞ぎこむしかない。
      ・なぜ上手にならないのか?
      ・なぜ自由にのびのびできないのか?
      ・上手と自由にのびのびを混同していないか?
      ・図画工作を通じて絵画と彫刻の本当の素晴らしさを指導できていないのではないか?

    ● 美術教育の問題解決のためのシナリオ

    日本の美術教育の問題
    新しい図画工作の創造へ
    クマビの図画工作への取組み
    コンクール不参加の理由
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