天育実験工房★幻想公開講座「立体感の出し方/絵画技法の導入の章1」
● はじめに
絵を上手に描く時には技術が必要です。 その技術の代表的なものは、「形をとる」「立体感を出す」「細かく描く」「色を作る」「質感を出す」「空間を出す」などです。今回はその中の「立体感の出し方」のお話をします。
今回のタイトルは「立体感の出し方/絵画技法の導入の章1」です。つまり導入の前半だけで今回のお話は終わりです。 とんでもなく長い話です。 申し訳ない。 その代わりどうしても皆さんに伝えなければならないことを書いています。
ここには誰でも絵を描く時に簡単に立体感が出せる「簡単な方法」があります。
それと簡単に立体感が出せるようにするために「簡単だけど長い話」をする必要があります。 とても長いですが、何卒、どうぞお立ち寄りください。
絵画技法の全ては簡単です。 少しでも綺麗に作ろうと研究され、効率化され続けているものですから当然です。 でもその簡単を「簡単にさせない力」が働くことで絵画技法の全てが困難で、難解なものとして認識されています。 又、簡単であるが故に誰にでもできる技法で絵を描くのではなく、簡単な技法を使わずに上手にこだわらずに絵を描くことを選択する人もいます。 問題はその2つをはっきりと区別できずに混同して混乱を招いている人が多い「状況」です。 極限まで効率化されているため簡単な絵画技術が「特別な才能」がなければ習得できないと誤解されていたり、学ばなくとも才能があれば「自由にのびのび」描いていれば技術が身につくと誤解されていることも少なくありません。 問題は彼らが一般的な人から見れば精通していると考えられる、「画廊」であったり、「公募団体の審査員」であったり、「小中高校と大学の先生」だったり、「カルチャーセンターの先生」だったり、「評論家」だったりしていることです。 彼らは矛盾している状況に直面すると「絵画に答えはない」といってはぐらかしたりします。 簡単にできることに答えも何もないのです。
「簡単にさせない力」を働かせる人のコンセプトは権力です。 自分が人の上に立っていられる。恍惚とした感覚や見栄。 「収入のために自分を持ち上げるための技術」です。 技法は実は本を探せばすぐに見つかります。 でもその簡単な行動に移させない巧みな心理操作が絵画の世界では作用しているのです。 今回のお話のコンセプトは心理操作によって絵画全体にかかった靄を払うこと。 それと靄を払って実は簡単な絵画技法を伝わるようにして伝えることです。
困難の代表例は「冷やかし」です。人は冷やかされ続けることで本領を発揮できなくなります。 (「冷やかし」は「簡単にさせない力」の代表例です。学校でも、カルチャーセンターでも色んな先生が使っています。) 例えば歌を歌う前に散々「歌下手だよね〜」と隣で連呼され冷やかし続けられれば、喉が細く締まって声が出せなくなります。 それと同じ現象が絵を描く際に起こります。 「冷やかし」は才能に対する賞賛の副産物です。 才能を「歌うまいよね〜」と評価すると同時に「歌下手だよね〜」が成立します。 場合によっては「歌うまいよね〜」と言われないだけで喉は細く閉まります。 絵画で言えば「絵下手だよね」です。 よくあるのは仲良く冷やかしあって遊ぶ兄弟のパワーバランスで劣勢の弟や妹の方。 絵画教室に兄弟で一緒に通った場合下の子の手が強張ることはあまりに多いです。 余談ですがクマビでは兄弟はバラバラに受講して頂くようにしています。 そうすることで上手く行きます。 でもそうすると送迎の問題で皆さん受講しなくなってしまいますが・・・。 残念ですが仕方ありません。 目先の営利より大事に子供を育てることの方が優先です。 「冷やかし」を辞めるだけで絵画にスッと入れるようになる人は格段に増えるはずです。
簡単を「簡単にさせない力」が働くことで絵画技法の全てが困難で、難解なものとして認識されています。 難解は単に技法を教えずに伏せてしまえば実は簡単なことでも難解になります。 初めて車の運転をしようという人に交通ルールや車の操作の仕方を一切教えなければいいのです。 そのような意地悪は世間一般で良くありますよね。 先生や上司に特に多い。 クズですね。
「冷やかし」が生まれたのは、なぜでしょうか?
元を辿っていけば遥か昔々の300年前かそこらのギルドが見えてきます。 ギルドが技法を簡単に人に教えなかったという所から隠蔽体質が画家に継承され続けてきたと言えると思います。 「冷やかし」もその当時から既にあったと考えます。 現代でも兄弟が冷やかし合うように、当時も兄弟子が弟弟子に簡単に方法を教えなかったのだと思います。 そして兄弟子の都合で弟弟子を蹴落としたり、拾い上げたりする。 今だに私の卒業した東京藝術大学でもそのようなくだらないことが毎日起きています。
ギルドはメモ書きのようなチップスは残しても技法の漏洩を避けるためにテキストを書き起こしていません。 現在でもその体質は受け継がれています。
現代でも「隠蔽されている技法」その多くは健常者であれば簡単にできます。 でもそれは外には「特別な才能」「天才」でなければできないと広報して作品の価値を少しでも高まるようにします。 作品の値段はそのような働きによって操作されているものです。 操作しやすくするための隠蔽でもあります。
隠蔽による操作は、わかりやすい例えで言えば、某メガネチェーンが価格破壊を起こし、メガネが安価に買える前は地方の需要の低い眼鏡店でも運営できるようにメガネの相場は高く設定してありました。 それと同じように、絵画は少ない需要で画廊と作家が運営していけるように簡単なことでも難しいことと祭り上げて少しでも作品を高く売れるように価値を釣り上げたのでした。 現在(2019年)で言えばオークションで100億を超える値段まで釣り上げて売買を成立させていますね。 異常な高騰はコレクターもわかっていながら善意で購入してくれているのだと思います。 そうしなければ画廊と作家が立ち行かないのは事実です。
ちなみに日本のコレクターの多くは死後、所蔵作品の全てを美術館に寄贈します。 大物コレクターの多くは私の知る限り家族に嫌われています。 なぜならば、死後、破格の相続税が降りかかってくるからです。 美術品はそう簡単に転売できるものではありません。 転売できずただただ相続税が重くのしかかり、昔はそれで自死した親族もおられるほどです。 大物コレクターの行為の多くは善意によるものだと私は考えています。 但し、絵画の売買全般はコレクターの善意とは裏腹に裏目に出ている面もあり、異様に高騰し、絵画が盛り上がるのではなく、売られる様を見る人の多くは「不可解」という印象を抱いてしまうのです。
このように「不可解」という印象が背景にあって、ただ単に簡単にできる絵画技法を公開講座で指導しようとしても、皆さんに簡単に話に乗って頂けません。 「特別な才能」がないから無理。 とか「簡単」と称する私自身がいかがわしく見えたり、「冷やかし」によって絵を描けなくなっていたりしている方が大勢います。
「不可解」に見えるその奥底にあるものを少しだけお話しします。 一言で言えばそこにあるのは「正義」です。 100億を超えるお金を出すその背景には利益以外に「正義」があることが多いです。 勿論「悪」もあります。 それの何が「正義?」と疑問に思われる方もおられると思いますが、アーティストの中には「命懸け」で作品を作っている作家は少なくありません。 その姿や活動や、アート全体に投資をしようと心から思える人がいるのです。 アートの世界には「命懸け」の作家が大勢います。 しかし残念ながらその作家の活躍の場が小さいため多くの作家に活躍の場はありません。 彼らの活躍の場を広げるには今のやり方を変え、「不可解」なイメージを取り払うべきだと考えています。 これからは簡単にできる技法を隠すのではなく世の中に広めて皆が絵画を描いたり、見たり、飾る世の中にしていくべきです。 「命懸け」の作家はその中であれば光るはずです。 私はそう目論んでいます。 そうして日陰にいる天才に陽が当たるようにするが天育です。
コレクターが100億という出費をすることが無駄に思える方は多いかもしれませんが、そこには「付加価値」もあります。 代表的なものが広告費です。 企業の広告費には莫大な予算がさかれます。 年間に100億程度の広告費をかける企業はザラです。 一般的な広告では注目度が低い場合、100億越えの作品を購入して一気に注目を集めた方が費用対効果は見込める場合があります。
絵画技法は簡単です。 「簡単にさせない力」を乗り越えれば誰でも簡単に絵を描くことができます 。絵画技法は市販されている「然るべき技法書」を読めば誰でも簡単にできるように詳細に書かれています。 少なくとも普通の人たちが画廊に売られている作品程度に上手に絵を描いて満足できる程度には書かれています。 でもその事実は公にされていません。