天育実験工房★幻想サミット「絵画の見方サミット」
● はじめに
アートの世界は「鑑賞者ファースト」ではありません。 「作家ファースト」でもありません。 残念ながら「権力者ファースト」です。 陽のあたる世界からは見えませんが、私のような影の世界からはありありと手に取るように見えるのです。 私のような粗末なものには大学も美術館も画廊も油断をしていやらしい本音をさらけ出します。 権力者の愚かな所です。 芸大美大はまず生徒のためにあるわけではありません。 教授が生活をするためにあります。 画廊は作家のためにあるわけではありません。 ギャラリストが生活するためにあります。 美術館は鑑賞者のためにあるわけではありません。 美術館に自動的に流される利益を拾い食いする人間のためにあります。芸大美大も画廊も美術館も鑑賞者を第一にものを見て考えて行動してはいません。 その結果がみなさんとの接点になる展覧会に現れます。 ちょっとした知識を知らなければ内容がわからないものでも鑑賞者の立場に立ったわかりやすい説明はありません。 展示の中身はわけのわからないものばかり。
このような様相の中で私が気になるのは鑑賞の仕方に対する雑音です。ザックリ言えば「自由に見ていい」対「予習してからこい」です。 私の意見を簡単に言えば鑑賞者は自由に見ていい。 そして予習してこいと言う前に「予習が必要な展示は全て広告で予習しなければわからないことを鑑賞者の立場に立って事前に歌え」です。 事前に歌わないのは来客が減り収益が減るからにすぎません。 鑑賞者はわけのわからない後味を味合わされた後にさらに追い討ちをかけるように悪者扱いされ、誰かのフォローがあるかと思えば、忖度する馬鹿ばかりでわからない奴が悪いような論調も聞かされる始末。 これまではそんな調子が通用しても、鑑賞者が反論できなかった時代は終わり、今はすでに全ての鑑賞者に発言する力があります。 これからはこれまで通用した投げやりでいい加減な展示は危険です。 鑑賞者の反撃はもうそろそろはじまります。鑑賞者ファーストで物事を考え始めるなら今のうちです。 予習が必要であることを広告で歌わなければ詐欺と同じではないですか?モラハラ?だまし討ちのテンハラ?未だに展示会場で見えてくるのは鑑賞者のキョトンとした表情です。 作品よりも鑑賞者のリアクションの方がわかりやすいのですから始末に悪い。
このような状況の中で「アートの見方」はアートの中の我々の中であまり語られることはありません。 これまで語られることのなかったのはそれぞれの立場を超えてまで語ることが必要に迫られなかったからです。 鑑賞者ファーストという概念を持てばみんな考え始めると思います。 これを機に色んな人の意見を聞きたいのです。
未だに私の生徒は自由に思ったことを私に発言できない。 私にも問題はあると思いますが、一番の理由はこの世界が「権力者ファースト」だからです。 彼らの萎縮を全力で取らなければならない。 そのための尽力を私は微塵も惜しまない。