天育実験工房★幻想公開講座「超簡単!これでみんな輪郭の形が取れるようになる!」
● 「絵を上手に描くこと」
「輪郭の形が取れない」このことが世の中で絵を描くことが難しいこととされている諸悪の根源です。 最初から怖いこと言ってすみません。 でもそうです。やっつけないと・・。本当に諸悪の根源かどうかの話をここでは話さなければならないのですが、今回は省きます。 諸説あると思いますが諸々を割愛して決めつけます。 ごめんなさい。
やっつけなければならないので、誰でも簡単に輪郭の正確な形を取れるようなり、誰でも簡単に形が取れるということを天育は目指します。 誰でも簡単に形が取れるという認識になった時から世の中で絵を描くことが難しいというイメージがやさしいものに変わります。 今の状況は水泳で言えば誰も泳げないみたいなものです。 それって美術に関わる人間としてあまりに寂しいことだと思うのです。 誰でも簡単に形が取れるようになれば、そうすれば誰もが絵を描こうかな〜という気分になれます。 絵を描くということは素晴らしいことです。 権威だとかではなく絵はそのものが素晴らしいものなのです。 でも今の所素晴らしいなんてことは夢物語です。 何言ってんだこの馬鹿という皆さんの心の声やお叱りが聞こえてきます。 絵が苦手な人からすれば絵は確かに暴君かもしれません。 皆さんを散々苦しめてきた。 そんな世の中の絵のイメージを今回の幻想公開講座から始まる天育で変えていきたいのです。 今回私は私の伝家の宝刀を抜きます。 極限までに簡単にした。 極限までに気楽に学べ、誰でもできるようになると言える形の取り方です。 さらには極限までに楽に教えられるようになっています。 そうすることで恐らく全ての先生が、また子供でも、お母さんでも簡単に人に教えられるようになります。 そうして世界中に伝搬させて欲しいのです。天育は「みんなが絵を描く写実の輪」を広げていきます。
絵を描くということが市民権を得ていないのは「輪郭の形が取れない」というイメージがあるからです。 輪郭の形を取ること、すなわち「絵を上手に描くこと」とは実は簡単にできます。 この講座では誰でも簡単に輪郭の形が取れる方法をお教えします。 誰でも簡単に輪郭の形が取れるようにすることが幻想公開講座の活動の1つです。 誰でも簡単に輪郭の形が取れるようになったら、そこから、世界のどこかから真の天才が生まれてくる。 そう目論んでいます。馬鹿げていると思われるかもしれませんが、その馬鹿げたことを攻略して必死にやるのが天育です。 今回の簡単に形を取るということに関しては攻略しました。これからも馬鹿げたことを私はやらせて頂きます。
● 学校の先生のほとんどは形が取れない
学校の美術と図画工作の先生のほとんどは形が取れません。 大学で学んだ先生でもできないことなので世の中では形を取ることは難しいということが定説になっています。 そして時計仕掛けの目論見によって美術に関わる全ての人がそういうことにした方が都合がいいのです。 時計仕掛けの目論見によって先生でも形が取れなくても許される。 許されたとしても絵の難しさは強い拒絶感を伴い、近寄り難さになり人離れを起こしています。 人離れは時計の仕掛けを作った人の誤算です。 仕掛けはもはや根本から作り直すべきです。 これまでは本当に誰も簡単に形を取る方法がわかりませんでした。 そのため学校でも形を簡単に取る方法を教えることができません。 でも私が見る限りこの20年の間に状況は変わってきました。 今では形を簡単に取る方法はいくつかあります。 それが次第に伝搬してくると思います。 それで今回の講座で指導する方法はおそらく世界中で、それと歴史上最も簡単な方法です。 これで受講した全員が完全に形が取れるとは言いませんがほぼ全員が取れるようになると思います。 その理由は受講して頂ければご理解頂けるはずです。 受験生なんか特にすぐに役立つし、受験を考えるとすごく助かることなんです・・・形の問題を解決できる。● 神話
みんなが形を取れるようにする。そのためには多くの面倒な問題を解決しなければなりません。 輪郭の形を正確にとる。 意外かもしれませんが実際に可能です。 でもそれができるようになっては困る人たちによって真実は曲げて指導されます。 彼らの手によって輪郭の形を取るだけのことが「特別な才能」であるという「神話」にされてしまいました。 そして日々誤りを指導されています。 さらに「自由にのびのび」によってそれが実現可能であるというさらなる誤りが指導されています。輪郭の形を取ることは何の先入観も持たずにやってみると簡単なことです。 でも「特別な才能」がなければできないと思った瞬間にとてつもなく難しいことに化けてしまいます。 思い込むだけでできなくなるほど人間の認識とは脆弱なものです。 そして人間の精神や自信も脆弱です。 脆弱性を埋めるために美術の世界は「自由にのびのび」という言葉を使って人をなだめます。 でもそれこそが過ちの大元なのです。 「自由にのびのび」で精度の高い形を取ることは初心者には困難です。 卓越した者には可能です。 世の中のそれはピカソを例に挙げてよく語られます。 でも彼が「自由にのびのび」(と言われることがありますが実際は違うと思います。彼は一生をかけて普通の人が描けるらくがきを描けなかったので描けるように楽観的にのびのび描ける訓練をしました。それが実は彼が天才である所以です。)で労せず正確な形を描けたのは特殊な環境に生まれ育ち模倣性によって見よう見まねで形を取る能力を身につけられる環境にいたからです。 みんながいつの間にか大人の真似をして言葉を話せるようになったことと同じようにピカソは絵画の技能を自然に身につけられる環境に生まれ育ったのです。 みんなが言葉を覚える認識の作法を家庭で自然に会得したことと同様にピカソは形をとる認識の作法を家庭で自然に会得しました。 会得したことは環境を与えられれば誰でもできるようになることなのでその点においてピカソが特別な才能を持っていたと言える根拠はどこにもありません。 事実当時はピカソと同じような環境で生まれ育った子供は難なく正確な形を描くことができました。今の時代ではそれは悪しきこととされています。 でも実際は違います。 小さな子供にも必要であれば正確な形を取る力を指導することは悪しきことではありません。 今の時代の弊害は幼稚園から高校までの全ての美術教育の中で正確な形を取る力を身につける機会を喪失していることです。 つまり誰も本当に上手に描けるようにならない。 そのために高校の美術の授業や部活の内容は本当の上手が求められる東京藝術大学の実技試験に一切通用することはありません。 これは美術教育の中の悪しき時計仕掛けの作法です。 今の日本は漫画、アニメ、ゲームで世界に胸を張れるいわば「絵の国」です。 その「絵の国」でさえも正確に形を取る方法を高校までに身につけることができません。 美術教育のあり方を見直すことで「絵の国」がさらなる飛躍を遂げることはいうまでもありません。 高校までに漫画、アニメ、ゲームに興味のある優秀な人材の多くが図画工作と美術の授業で絵にアレルギーを持ち、倦厭します。 この状況は簡単に形が取れるようになることで一変するはずです。
ピカソのように誰でも正しい指導を受けて練習する機会を与えられれば「自由にのびのび」で正確な形を取れるようになります。 でも「自由にのびのび」で正確な形が取れるようになる環境は稀です。 「自由にのびのび」で正確な形を取れるようにならない環境にいて、さらに絵は「自由にのびのび」描くものだという誤解が加わるとさらに困難さに拍車をかけます。 「輪郭の形が取れない」このことが世の中で絵を描くことが難しいこととされている根源です。 そしてもう「輪郭の形を取らせない」ようにすること、というかしたことが一部の人間が仕掛けた時計仕掛けの作法なのです。
「特別な才能」と言えば二言目にはピカソの名前が出てきます。 ピカソと言っておけば何でも通用する。 私は、ピカソは世界の富裕層が都合よく祭り上げている「天才」だと思っています。 私は、彼は実際に天才だと思いますがあまりにも都合の良い扱われ方をされ、世の中の殆どの人が彼のイメージとフィックスしておらず、本当は不可解で好きではありません。 そんなこんなで世界中のみんなずっと長い間誤解し続けています。 つまり輪郭の形は簡単に取れるのです。
● ぺぺ
今回の講座の目的は世界中のみんなが絵を上手に描けるようにすることです。 世界中の・・。 というと大げさなようですが、でも、できます。 美術とデザインの世界は「上手」の論理を曖昧なものにすることで既得権益を持つ者たちが時計仕掛けで利益を得続けられるように作られています。 それによって迷惑を被っているのは庶民である私たちです。 でも庶民である私たちが美術とデザインに触れられるようになったのは既得権益を持っている人たちの努力でもあります。 美術の世界は所謂パトロンという彼らの擁護によって成り立っている。やっかいですね・・・。 文句たれておきながらなんですが・・感謝してます・・。急に技法としての上手がまかり通る論理になると困るのは既得権益を持つ人たち。技法としての上手がまかり通って得をするのは庶民の私たちです。 時計の仕掛けが壊れる。つまり、美術とデザインの世界は技能が世の中に伝搬した時点で価値が反転する脆弱性を持っています。 つまり、美術の世界の中心はごく少数の富裕層の人間によって都合よくデザインされ、ギリギリの所で何とか今の形を維持できている虚構のようなものです。 今の美術とデザインの世界にある技法のほとんどが誰にでもできるもの。 それを特殊なものとして敬うことで美術とデザインにいる権力者が利益を得続けています。 今の状況ではただぺぺっと絵の具を塗った絵に高値をつけて市場の歯車を回すことができます。 絵の価値は市場の作法によっていくらでも釣り上げることができるのです。 そしてその世界でやりとりできるのは世界中でもほんの一握りの高い棚の上にいる人。 美術市場は彼らの都合によって操作できる都合の良い世界なのです。 そもそも彼らしか足を踏み込むことができませんから・・・。 100億程度の資産があれば入れるのかな?市場を動かせる者にとっては100億を110億にするのはそれほど難しいことではありません。 つまり美術とデザインの価値は少数の都合によって操作されている世界なのです。 操作によってぺぺっは高尚なものと認められます。 ただアートの世界が高尚なものと定めても一般の我々にとっては・・・なものです。 言葉になりません。つまり価値がないのです。 ぺぺは庶民の我々でも簡単にできること。 つまり、庶民の我々皆んながこれをやり始めることによって、ぺぺは高尚な高い棚から我々下々の低い棚に移り、誰でも描けるぺぺは高値で取引できるものではなくなります。
美術とデザインには真価があります。 それが広まることを阻害しているのは意味のない高尚な棚です。 棚を下げることで美術とデザインは世界に対して爆発的な力を発揮するのです。 美術とデザインの世界にはそれだけ多くの技能や認識の作法があります。