天育実験工房★幻想公開講座「超簡単!これでみんな輪郭の形が取れるようになる!」
● 「絵を上手に描くことは悪いこと?」
突然ですが、皆さんは絵を上手に描くことは悪いことだと思いますか?・・そうですか?
Aさんは=悪いことではないですか。
Bさんは=あ、なるほど上手にも色んな考え方がありますか!!きっちり描くのが上手だって先生もいるし、ぐちゃぐちゃ描くのが上手だという先生もいますか!!
Cさん=あ、あなたは悪いことだと思いますか・・。そうですか、学校でそう習いましたか・・。
色んな意見がありますね・・。 実は絵画の世界が健康的に前に進むには上手に描くということについてしっかりと答えを出さなければなりません。 色んな考え方があるのは事実です。 でも美術とデザインの世界は音楽やスポーツや文学や科学や・・・つまり他の分野と比較して棲み分けが遅れています。 具体的に言えば卓球の上手下手と野球の上手下手、陸上の上手下手はスポーツの世界でははっきりと区別されていますが、美術とデザインの上手下手は全て混同されています。 美術の世界には「上手下手ではない」と言う取扱注意のもろ刃の剣の言葉がありますが、多くの場合はやはり使い方を間違えています。 上手下手という認識の作法で捉えるときは上手下手をこだわり、上手下手という認識の作法にのっとらずに全ての作品の素晴らしさを見出していく時にはこだわらないという区別が必要です。 上手下手をこだわる機会は必要です。 例えば商品のパッケージをデザインする時イラストが何を描いているのかさっぱりわからないもの、ロゴが読めない、色塗りが雑で商品への信頼性を損ねるとかだと問題です。 上手下手をこだわらなければならない時があることは幼児の段階から教える必要があります。 それはまず第一に幼児自身が上手下手の概念をはっきりと持っているからです。 一方で上手下手にこだわらない時を持つことも大切です。 美術とデザインを美しさとして考えた時に、実は美しさとはみんなが思っている以上に無限の可能性を持つものです。 美しさとは教育によって身につけられる価値観です。 つまり、色塗りではみ出したり、線が歪んでしまう人の絵にも美しさはあるのです。 それを教えることも幼児の時から必要です。 しかし残念ながらそれだけ高度な価値観を指導できる先生がいません。 指導できないのは上手を指導することを足蹴にして投げ出しているからです。 上手下手の区別は大切ですし、美しいにも色々な概念があること。そして美しさとは無限に広げられる可能性のあるもの。 例えばスポーツであれば卓球や野球や陸上などの違いをしっかり考え、カテゴライズされ、多くの人に認識されていますが、そのような作法の開発が美術の世界だけは圧倒的に遅れ、未熟であることが問題です。 モヤモヤと棲み分けられていないカオスの状態にある美術とデザインの世界は綺麗に棲み分けていかなければなりません。 考え方の違いを1つひとつ紐解いて精査していく必要があります。 この手のことを言うと絵画に答えはない的なことを言い始める人がいますが放っておいていいです。 みんなこのことで頭の中がモヤモヤしています。 そして何よりこれに躓き、多くの人が事故を起こしています。 そして私はこの矛盾やそれを放置しているいい加減さが美術とデザインの世界の人離れにつながっていると考えています。 この問題は実は、長年、立場の違う人同士が好き勝手に言葉を言い放って放置されたままにしている由々しき問題なのです。 でも、放置された言葉と言葉の間にはちゃんと繋がる言葉が入ります。 今の美術の中の議論は卓球選手と陸上選手のどちらが上手いかという愚問をアホみたいにコンクールでは話し合っています。 そのアホーな話し合いの結論は美術や図画工作に上手下手はない・・。 という最もアホな結論に現場には笑顔が溢れながら落ちるのです。 正直ついていけません。 あ、ついていきません。 アホなことをしていてもそれに誰も気づくことができない。 それだけ美術とデザインの世界は言葉が遅れています。 LDの私が言うのもなんですが世界中の人が美術とデザインに関しては学習障害者です。 モヤモヤは紛れもなくその症状。 多分私はその中で美術とデザインに関してはかなり言葉が発達している方です。 皮肉ですねLDで勉強のべの字もできない私が・・。 とにかく今の状況を私は無視することはできません。 何故ならばしわ寄せが全て私の所に来ているからです。 芸大美大受験に絶対に通用しない上手が中学と高校の先生方の成績の評価やコンクールでの受賞で子供や親御さんに誤解されて、芸大美大に全力で突進してきます。 それを全力で止める時の私の気分は最悪です。 中学と高校の先生方にも本人にも親御さんにも悪い。 本当に泣けてきます。 でも絶対に止めなければ絶対に不幸な結果になる。 なので中学と高校の先生と本人と親御さんに恨まれるのを承知で全力で止めます。
● はっきりと答えが出ると困るのは誰?
突然ですが、絵画を権威にしたいのは誰でしょう? 絵を上手に描くこと、その良し悪しの答えの1つはここにあると私が考えています。 絵画を権威にしたいのは富裕層です。 しかもかなりの。 日本で言えば元Z●Z●のオークションで高額な絵画を購入した人とか・・。 ハイブランドだとか一見何が違うんだかよく分からないものに圧倒的な価格差をつけたがる人たちです。 彼らはそうすることで世の中の常識的な物差しから社会の頂点の価値観と概念を逸脱させて自分たちを社会の一線を画した存在にして、そのような超越した存在であり続けたいのです。 実際に彼らのいる所は我々と同じように動物的な寝食はしながらも、頭の中はかけ離れた論理で生きています。 彼らにとって我々と同じ論理に陥ることは自らを貶める非常に不味いことなのです。 彼らは労働力を超えた所に価値を置きたいのです。 ただのアートという名目で労力と技術の壁を超えた所に自分の身を置きたいのです。 そうすることで私は先進国は後進国との線引きもしていると思っています。 同じ国の中でも線を引きたい。 落書きに100億を超える金銭的な価値を置くことで、社会の歯車を操作し続けたいのです。 そのような話が庶民である我々の所に降りてきた時に、我々庶民の所では事故が起きます。 単に労働して頑張った上手な絵を推奨するのではなく、みんなにとって何がいいんだかよくわからない落書きを推奨する。 落書きにも価値があります。 でも金額と実際の価値が見合いません。 アートの世界の人間が奇人変人扱いされる所以だとも考えています。 アートの世界に奇人変人はいません。 そして上手な絵は価値のあるものです。 私は価値観をくるっと正常な形にひっくり返したいのです。 くるっと正しい状態に戻れば図画工作や美術やデザインがモヤモヤしなくなります。● Cさん
確かに、「学校で上手に絵を描くことが悪いことだと習うこと」はあります。あ、Cさんの話に戻ります・・。
最初に結論を言っておきます。 多くの場合そうすることで先生たちが上手を学ばなくても許される「免罪符」を手にしているのです。 彼らには彼らの都合があり、自分たちの過ごしやすい状況を作るために一般的な美術とデザインとは一線を画した論理を作り上げて実行しています。 本来は美術とデザインのことを正面から見れば保育園から高度な造形技術に理解のある先生が幼児の美術教育に携わるべきです。 それを実際には美術とデザインのことなど皆目検討もつかない先生が図画工作の授業を担当できるのは美術とデザインの世界が美術教育の世界を斜めに見ることを許しているからです。 でも、問題は斜めに指を指している先に、中にはついていってしまう幼児が出てくることです。 その子達は専門的な美術とデザインに触れた時点で美術とデザインを正面から見ることができずに、斜めに、行ってはならない方にヒューーーと飛んで行ってしまいます。 その子達が斜めに飛んで行ってしまうのはその子達が斜めに見ているつもりがなく正面を向いていると完全に誤解しているからです。 美術とデザインの世界に向かっていける子は向かい合った時に空気を読めた子です。 直感的にあ、違うな・・。と気づき、頭の中をリセットして全て切り替えられた子です。 簡単に見分ける方法は線からはみ出さないようにきっちり塗らなければならないか?はみ出しても構わないか?です。 真正面に向かい合った瞬間に「上手」とはいかに早く綺麗にはみ出さずに塗れるかということになります。 現代の美術教育の功罪は幼児に「上手」を教えないことです。 それがモヤモヤの大元です。
● アカハラ?それともパワハラ?ま、いっか・・。
私は、高校の時に絵を上手に描こうとすると先生に激昂されていました。先生の決まり文句は「個性がない」ずいぶん気持ちよさそうに大声でシャウトしていました。
今となっては、この馬鹿何わかったようなこと言ってんだと正直思います。
でも、当時は確かに上手に描こうとすることが時代遅れという曲がった流行で、学生に上手に描くこと以外の絵の価値を不器用ながらに教えようとした時代ではありました。 でもやり方があまりにも下手くそで今で言えばパワハラ・・です。 それで未だに曲がった指導が至る所で事故を起こしています。 事故の形はこの世界が全く交通整理されていないため複雑な様相です。 そしてほとんどの人は曲がりに曲がった偏見からくる激昂の通過儀礼で絵画にアレルギーを起こして距離をとりました。 その中でもほんのわずかに私のように軽くいなせる人と洗脳されてしまう人は距離を取りませんでした。 それで今の時代になってもその弊害は残っているのです。 激昂して散らかすだけ散らかしてお前ら自分で自分のケツくらい拭けよと思います。 でも彼らは自分のケツがどこにあってどのようにお尻を拭いていいかも全くわからないのです。 もはやため息しか出ません。 上手に描くことに対して激昂した先には偽り以外には何もありませんでした。 高校で激昂されて指導されたことは美術予備校に行った時に何ひとつ役に立ちませんでした。 高校まではおとぎ話の世界にでもいたのかと思えるくらいに美術予備校から先の現実の世界は別世界でした。 つまり高校までの美術とデザインは高校の先生が作った自作の世界。 高校の先生が独自に作った絵画の価値観の世界で3年間過ごしていただけ・・だったのです。 美術予備校に行って「上手」という概念はひっくり返りました。 突然きっちりしていなければ激昂される。 激昂する体質は変わりませんでした。 今は美術予備校で激昂する先生はいないと思いますが、昔は高校も予備校も大学も激昂する先生は大勢いました。 でも、今でも変わらないのは高校まではお伽の世界にいて美術予備校に行って急に現実的になるということです。
高校まではお伽の世界というのは少し言い過ぎかもしれませんが、学生の実感からすると寝耳に水というか、高校までに習っていたことと、まるで違いすぎるということが現実的にあります。 そのようになるのは実は高校までの美術教育の中に専門的な造形技術と上手という解釈の正しい認識の仕方を先生が指導する機会が全くないからです。 機会が全くないために幼稚園から高校までの先生の多くが正しい「上手」を知りません。 「正しい認識の作法」つまり「上手に絵を描く」ということを美術教育は避けています。 「上手に絵を描く」という技術指導、評価の仕方は古くから変わることはありません。 古くから変わらないものがどうして高校までの美術教育を実践する先生たちに伝わっていないのか?それが様々な誤解や混乱を生んでいます。 古くから伝わるアカデミズムは今も昔も変わりません。 美術教育は元々そのコテコテのアカデミズムを保育園、幼稚園〜高校までの学校の美術教育でそのまま実践することを懸念したのです。 そこで生まれたのが「上手を目指させなくてもいい」という考え方です。 その考え方は素晴らしいものです。 でもそれを歪めてしまったのが、上手を目指させない代わりに出てきた美術とデザインの本質的な素晴らしさを誰も正しく教育できないということです。 実は「上手」の方がわかりやすいのです。 それで美術教育が目指そうとしている本質はあまりに難解すぎて美術教育を実践する先生たちが理解できていない。 理解できていない状況をそのままにしていることが、さらなる災いを招きます。それはわからない部分を空想で補い、おとぎ話ができてしまっていることです。 そしてそこにはそれぞれの先生の強いエゴが入ります。「上手」の本質が伝わればそれは美しい結果が生まれます。それによって綺麗に育った人がいない訳ではありません。 でも多くは上手くいっていないのです。 本質が伝わらないための溝は褒賞で埋めます。 さらに多くの溝を埋めるために褒賞を掴むためのメソッドが生まれてしまいます。 そのメソッドは所謂アカデミックな「上手」とは別の物を生んでしまいました。 図画工作のメソッド全般が胡散臭く見えるのはそのためです。 多くの図画工作の授業や美術部では褒賞を出さなければ子供たちをモチベートできず、褒賞を得るために封じたはずの「上手」の概念を出してしまいます。 「上手」になりたいという子供や学生は独自の上手を想像します。 その想像はおとぎ話を作ってしまいました。 さらに子供と学生に褒賞を与えたい先生は出してはならないメソッドという禁じ手を考え出してしまいました。 中には読書感想画のコンクールに出品するために本を読まさせずにお手本を写させる先生までおられます。 本を読ませると激昂する・・。
● 先生のスタンダードがないので、先生は色んなことで激昂します・・。
最近は減っていて欲しいのですが、先生の中には想像で絵を描くと激昂する人もいました。 激昂された生徒は次の日から来なくなります。 当たり前ですよね想像で絵を描く課題で想像で絵を描き始めて激昂されるのですから。 物を見ながら描くこと以外が絵画ではないという考えに湿潤されてしまっていることに気づかない愚かな先生ですね・・。 まあ、でもその様子を目の当たりにしてその先生の間違いを指摘しない周りも腐っていますけどね・・。 ちなみに私もその腐ったの中の一人です。若かったな・・。 今なら徹底的にやっつけますけどね!!皆さんはどうですか?先生に対して忖度していませんか?先生ごとに考え方は違いますよね?でもまあ・・未だに美術系の学校は多くの犠牲者を出すことが許される世界です。 その中で犬死が当たり前、そして権力者の都合で簡単に死なせることが当たり前になっている・・・頭おかしいですよね・・。 まあ美術に限らず、音楽やスポーツの世界もまだまだ無意味な犠牲者が沢山出ても許される世界だと思います。 でも、それはとても不味いことですよね?それによって既得権益を持つ者はつけあがります。 つけあがった結果、後ろからタックルさせて怪我をさせたり、後ろから訳もなく激昂して何十万も何百万も授業料を支払っているにも関わらず数日で来れなくさせるようなことがまかり通っているのです。 先生が生徒たちに権力を示すために何でもいいから激昂してみせる。さあ、こういうの全部皆んなでやっつけましょう!!