天育実験工房★幻想公開講座「超簡単!これでみんな輪郭の形が取れるようになる!」
● 年中さんは上手下手がはっきりわかります
幼児教育はきっちりと形にはめて上手に描くことを否定し、自由にのびのび描くことから端を発しています。 そしてそのことの弊害がそのまま放置されています。 そのままになっていることによる功罪はとても大きいのです。 年中さんにもなれば上手な絵がわかります。 そこで多くの子供が自分の絵が下手なので描くことが苦痛になります。 先生たちが褒めて褒めてして自由にのびのび描くことを勧めても、多くの子供たちは大人が思う以上にクレバーです。 先生たちが上手に描く指導ができないので子供たちは大きくなり高校生になっても上手に描く方法を知ることができません。 つまり先生たちがいくら「自由にのびのび」できっちり上手に描くことを否定しても、子供たちは年中さんくらいになれば暗黙の了解で上手な絵がわかるので無意識の内に上手な絵を描こうとするのです。 でもその時に自分の納得いく上手な絵を描く作法を知らないので、下手くそな絵しか描けないのでフラストレーションが溜まり嫌になります。 そんな現場から離れ、先生たちは褒める方法と場所をコンクールに移します。 コンクールの褒賞によってモチベーションは保たれますが、そこに本当の技術を知る機会と習得する事実はありません。 残るのは下手くそな絵を無理に描かなければならないことで起こる過度なストレスや苦痛です。 彼らが知る必要がある本当の技術とは楽に形を取ること。 そして日本の高校生であれば中学と高校で東京藝術大学の実技試験で十二分に通用する指導に触れられる環境を与えてあげることです。 本当の褒賞とは努力した結果東京藝術大学の実技試験や職場で通用する実力が得られることです。 今の所高校でそれが得られる機会はありません。 美術予備校には機会はあります。 スポーツの世界は高校でプロやオリンピックに出られるような高度な技術が身につきます。 美術に関しては歪みがあるので身につきません。 スポーツの世界では、高校で上手=プロで通用する。 美術とデザインの世界では、高校で上手=東京藝術大学の実技試験に全く通用しない。 この状況を私はかなり歪んでいると見ています。大学入試は高校生を対象としているものです。 つまり高校の授業や部活で当たり前に習うことで対策できるはずのものです。 でも今の時点で全く通用しないのは美術教育の世界が実際の技術指導から完全に乖離しているからです。 高校の美術の授業と部活で頑張った生徒のほぼ全員が自信を持ちながらも東京藝術大学の受験では全く歯が立ちません。 東京藝術大学に合格するには人数の多い美術予備校に行かなければならない、高校で受かる人がいないのは人数が少ないからだという神話がありますが、人数は関係ありません。 内容です。 現在(2019年)の美術予備校のほぼ全ての科が少人数です。 これからさらに人数が減るのではっきりわかるようになると思いますが東京藝術大学に合格する実力を身につけるために生徒の人数は全く関係ありません。 人数が多い予備校に行かなければならないという神話が現在も根強くある理由は美術教育の世界を守るためです。 先生の中には東京藝術大学の方を否定される方も多いですが、それは間違いです。 社会に高度な造形技術で対応できる人材を育成する機能を備えている一番の組織は東京藝術大学です。 そこで学ばれていることと美術教育で指導している内容とが完全に乖離しているのです。 つまり、美術教育は著しく社会と乖離していると言えます。 そんなこんなの馬鹿げた事情で形をきっちりとることが苦しいことだという誤解が生じています。 それで美術が社会から遠ざけられて、美術の授業が学校から減り続けて苦悩しているというのですからアホです。
絵を上手に描くことは気持ちのいいことですし、逆に言えば絵が上手に描けないことは気持ちの悪いことです。 美術部の皆んなは上手くなったと思っても東京藝術大学に一切通用しない現実を考えると気持ち悪いのではないですか? 私はそうでした・・。 誰のせいでしょうね?
本物そっくりに描くことは簡単なことで誰でもできることですが、その本当のやり方は世の中にあまり知られていません。 誰も知らないので、そこに便乗した昔の人が「自由にのびのび」のキャンペーンを世界中に打ち出してしまいました。 昔は・・、昔はというとピカソくらいの時代は確かに小さな子供が問答無用で丁稚奉公に出されたり、英才教育を受けさせられて、描きたいかどうかの選択もさせてもらえないまま絵の技術を学ばされていました。 そのように強制的に教育されたら確かに苦しいと思います。 でも当時でも教育を受けた者は小学校の低学年くらいの小さい子でさえも写真のようにリアルな写実ができたのです。 現代は小さな子には自由にのびのび絵を描かせることが正しいという考えが神話になっています。 でも、実際には上手に描く方法がわからず、ただ、自分の絵が下手くそだということは先ほども言いましたが年中さんくらいになればはっきりわかるので、下手くそな絵を描くことが苦痛になる。 割と状況を読める子ほど下手な絵を描いている状況が苦痛になります。 逆に読めない子ほど「自由にのびのび」描くことに疑問を感じず受け入れてくれます。 受け入れてくれることはありがたいことですが、誤った認識を与えていること自体は由々しき事態です。 幼児教育の美術がこのような状況に陥っているのはかつては上手に描く指導方法を誰も掴んでいなかったからです。 昔の先生は皆んな手探りで、今もですが、昔はとにかく先生が具体的に教えてくれませんでした。 つまり教え方がなかったのです。でも、今は色んな所で具体的に指導できる先生が増えています。 それでもまだまだ言葉に置き換える仕事が遅れているため書籍やテキストになっていません。 でも、美術教育の世界にあるモヤモヤの多くが綺麗に解決できるだけの成果が日本中の至る所にあると思います。 問題はその英知を美術教育の世界が快く受け入れるかどうかです。 既得権益があるので難しいと思います。 最近ではユーチューブに色んな動画が上がっています。 情報発信の素晴らしい変化です。 私も10年前密かに動画を大量に撮影しましたが、今は世界中で動画が上げられているので私自身は動画は他の人に任せて文字にすることに専念しています。 文字の方は、まだまだエッジが効いて、包み隠さず、利害を気にせず、本当に役立てようとして書いたものが全然足りないと思います。なので微力ながらせっせと文字にしています。
美術教育は上手ではなく「自由にのびのび」を実践するために印象操作をしました。 つまり、上手に描く指導ができる先生が育てられない以上、上手を捨てて「自由にのびのび」でいいということにしなければ先生のなり手がいなかったのです。
この時の印象操作が美術とデザインの世界を難しいと思わせてしまっています。
印象操作が実際には簡単な「上手に絵を描くこと」を難しいものに化かしてしまっています。 つまりこの馬鹿げた印象操作を壊して洗脳を解くことからやらなければ簡単に描く方法を指導することができません。
本当の形の取れる人は苦労せずに形をとります。 でもずるいものでその秘密を誰も話さないのです。 教えませんし、外ではさも苦しんでいるかのような話をします。 誰でも「特別な才能」があるというイメージを手放したくはないですよね・・。 特に市場や学校では儲けにかかりますから簡単には教えはしません。 美術とデザインの世界はずっとこの調子で来てしまっています。 そして図画工作の世界も相変わらずその感じに同調してしまっています。 実際には小さな子供でも教えさえすれば形は取れるのです。 今の日本で小さな子、例えば小学校1年生に綺麗に形を描かせてしまうと心を病むとかアホなバッシングを受けるのでしょうね・・。 きっちり描くと病む?そうすると書道はどうするの?
バカな話は置いておいて小学校1年生が写実的な綺麗で正確な形をとってしまうと世の中の皆は驚く、というか驚愕するでしょうね・・・。 というわけで今日のお話は「綺麗に形をとる天才少年少女」を簡単に生み出すお話でもあります。
正確な形は誰でも簡単に形が取れます。
簡単で才能は必要ありません、でも適正にいくつか条件があります。
・落ち着いていること。(少なくとも30分程度は黙って椅子に座っていられる)
・心に問題を抱えていないこと。(心身症を患っていない)
・綺麗に正確な形が取れることを信じていること。
・問題なく日常生活を送れて人並みに仕事ができる程度に健康であること。
・指導の話を聞き取れること。
・指導されたことを忘れないこと。
・描いている人を冷やかさないこと。
・悲観的にならないこと。
● 綺麗に正確な形が簡単に取れるのはなぜか?
簡単に形が取れる理由は、一言で言えば眼に映った残像を写しているだけだからです。棒を使って測ったり、計算したり、先生が激昂して生徒に気合を入れたりするようなことは必要ありません。 測ったり、計算したりは少しだけやるといい場合はありますが、少なくとも激昂は入りません。 20年前はすぐキレる先生が多かった・・・。 でもそれも効果はあったはあったんですね・・つまり描けばいいだけなので、腰が引けている生徒を激昂した瞬間にササッと描けるようになる。 でも当時の先生の多くはなぜそれで形が取れるようになるのかは誰もはっきりわかっていなかったと思います。 だから激昂するしかなかった。
目に映った残像を消える前にサッと映すだけ。 刹那滅といって1秒にも満たない瞬間に残像は消えるので、消えたらまた観るの繰り返しです。 見た瞬間、眼に残像が残り、そのままサッと画面を見て、残像を紙の上に浮かび上がらせます。 それをサッと鉛筆なんかでなぞる。 ほんの一瞬のやりとりなので信じている人は落ち着いてできる。 信じていない人は成果が出るまで辛抱できずにパニックになるんですね。 先生たちが簡単に形が取れるのはこのような作業を暗黙知の了解で行なっているからです。 多くの先生が体で覚えてやっていると思います。 少しだけ特殊な導入の仕方、私とゲームをしますがクマビの生徒は心に問題を抱えていなければ、これで簡単に形が取れるようになります。 時間にして30分もかかりません。
● すごくいいものを作るには?
すごくいいものを作りたい場合に才能は必要ありません。 でもやる気がなければできません。 この辺りは誤解されていることが多いです。 子供の頃のコンクールは適当にやって褒賞が与えられることがよくあります。 そもそもほとんどの子が本気で取り組みません。 そこで誤解してしまう親御さんとお子さんがとても多いです。 すごくいい作品の作り方は簡単です。 でも皆んなが本気で結果を出そうとした場合にはすごい競争にはなるので生半可な気持ちでは到底通用しません。 例えば走ることは健康な人はみんなできますよね? それと同じく健康な人の全てが上手に描くことができます。 でもその上で誰よりも早く走れるようになるには誰でも走れるわけですから大変な練習量をこなさなければなりません。 いいものを作るのは他の人とどれだけ精度が高いか?とか早いか?とかたくさん描いたか?という比較になるので、比較されても誰にも負けないようなすごい絵を描けるようになるにはすごく大変な練習量をこなさなければなりません。 100%言えることは美術とデザインの世界に来た時に練習量をこなす間にこれまでの能力差は大したものではなかったことがわかります。 そして本当に誰にも負けない実力まで高めた時に練習量を振り返ってそこまで高めるかどうかは才能ではないことがよくわかります。 つまり生き残れる人は練習量に比例しているのです。今(2019年)で言えばホキ美術館や白日会の写実の画家はすごく大変なゾーンで頑張っています。 彼らのもっとも賞賛されるべきはゾーンから抜けずに頑張っていることです。 「特別な才能」ではありません。なので才能は全く必要はない、でも努力は絶対に必要です。 才能を信じるか信じないかはあなた次第ですが、少なくとも誰にも負けない練習量がなくて上手くいくことはありません。
努力が必要であることをはっきり示しておかなければ、「才能」があると信じてやまない子が全員躓きます。 美しさを求めるこの世界においてだらしないのは上手下手としては評価できないんですね・・。 少なくともハイアートの世界ではダメです。努力をせず、だらしない作品でも価値を見出して評価をすることはできます。 でも技術を問われる世界では評価をすることはできません。
「特別な才能」を色んな方面からキャンペーンして刷り込んでいるので誰もが絵を上手に描くために「特別な才能」がなければ描けないと誤解しています。
この誤解によって利益を得ているのは美術館、画廊、市場、学校、コレクター、コンクール、団体など既得権益を持っている人たちです。 彼らは絵を描くために特別な才能がなければならないという偽りをなかなか訂正しようとはしません。 自分たちの利益を守るために全力で才能を歌い続けます。
彼らが愚かで汚い歌をやめないので世の中の人たちは自分達には特別な才能がないと考えて美術とデザインを倦厭し距離をとります。 既得権益を握る彼らが「特別な才能」があると認定するのは普通の人とは少し違った軽度の障害のある人たちです。 彼らはルールのあるスポーツと譜面のある音楽と勉強の世界に馴染めない子供達です。 その彼らを美術とデザインと図画工作の世界はルールのない、譜面もない、勉強もしなくてもいい生まれ持った特別な才能で上手く行くとコンクールで褒賞を与えて騙し、この世界に引き込んで利益を生み出すシステムを作りました。 それによって学校には多くの学生が集まり、学校は潤います。 でも、実際に学校を出た後で仕事ができるのはルールが守れて普通に問題なく勉強ができる人です。 美術とデザインの世界ではルールを守れない人は生きていくことはできません。図画工作の世界がいくら「特別な才能」があると認定しても生きていくことはできません。 現在の美術とデザインの世界はスポーツと音楽と勉強の世界と普通の人の引き合いをしても勝てる見込みはありません。 でも「自由にのびのび」「特別な才能」の偽りのキャンペーンによってルールを守れない、勉強ができない子の引き合いには圧倒的な強さを持って勝っているのです。 最近はそれに漫画、イラスト、アニメ、ゲームを引き合いに出してさらに圧倒的な強さを見せています。 でも、ルールを守れない、勉強ができない子のほぼ全員がストレス耐性がないため漫画、イラスト、アニメ、ゲームの世界の激務に耐えられません。 激務に耐えられるのはあらかじめルールをしっかりと守れるストレス耐性のある子です。 そのような子は大抵勉強もできます。 美術とデザインの世界の具体的な強みは褒賞です。 国家レベルの大きな組織が企てた美術とデザインのビジネスモデル。 空気の読める感のいい人たちは美術とデザインの世界とは距離をとります。 みんなから見放されていることによる美術とデザイン、アニメなどの業界の損失は計り知れません。 今の儲けを生み出すビジネスモデルを壊したくないのは既得権益を握るものたちです。 彼らの支配下にある美術とデザインの概念はこのままでは変わることができません。 だから彼らの権力が及ばないところで世の中に正しい物の見方、考え方を伝搬しなければ・・・と考えています。
既得権益を持つ権力者によって騙された子供がコンクール以外の利益を得ることはありません。 努力をしなければならない状況と対面した瞬間に躓きます。 躓くとは、具体的に言えば、才能があるからできると思って甘くなってしまい頑張れない。 躓いて立ち止まってフリーズするのです。 「才能」にとらわれず、空気が読めて、頑張れた子が達成できる。 ハードルをとても低くしても、残念ながら彼らはそれを超えることができません。 具体的に言えば・・例えば美術もデザインも「美しさ」が大切です。 例えば飲食店で調理の仕事をしているとします。 調理をしていたら白いご飯をゴミで汚してはなりません。 なので手で触れないように言われます。 そして絶対に触れてはなりません。 例えばデザインで色を塗った所も同じように汚してはなりません。 そのルールが守れず、グチャグチャに汚してしまいます。 そうなると仕事にはならないのです。 彼らにそれでも仕事ができると期待させてしまっているのは、これまでにコンクールによって褒賞を得ているからです。 自分には「特別な才能」があるからよくわからないけれどもできるはずだと深く信じています。 そうすると汚してはならないといくら指示しても汚してしまうのです。