天育実験工房★幻想公開講座「超簡単!これでみんな輪郭の形が取れるようになる!」
● 図画は線からはみ出さないようにきっちり描くように指導しません
線をはみ出さないようにきっちり塗ると怒られたり、評価されなかったり、そのように指導すると先生は間違いだということで指導されたりします。 実はこれが一番悪いです。 間違いなく美術教育という絶対的権威の神が招いた悪魔の所業です。 簡単に言えば幼児教育から高校の授業、部活までは「線をはみ出すように描いた絵」を「自由にのびのび」描いたということとして認める偽りの認証の作法によって指導し、線にきっちり塗るような描き方は、「個性がない」「感性が養われない」「自由でのびのびではない」などといい加減なことをのたまっておきながら、芸大美大受験になった途端に、線からはみ出してしまうような情緒不安定な子を全て排除します。 排除を免れて線にきっちり塗る技術に卓越して成功した人をかつて「個性がない」「感性が養われない」「自由でのびのびではない」と指導していた先生たちの全員が成功した後には目をウルウルさせながら拍手喝采するのですから不可解です。 実際には本当がどうあるべきか先生全員がはっきり認識していますよね? ・・で「線をはみ出すように描いた絵」を推奨することによって美術とデザインと図画工作は勉強やスポーツや音楽が苦手な子を上手く集める時計仕掛けのシステムを作り上げています。 それは勉強とスポーツと音楽と競り合って勝てないから生み出した苦肉の策だと私は考えています。 もうそろそろ終わりにしませんか? 美術とデザインと図画工作には勉強にもスポーツにも音楽にも負けない力があります。 今回のお話はこのようなお話ですが、概ね理解して頂けると思います。 天育はこのような歪んだ状況をなんとかしたいのです。 なんとか問題をあぶり出して美術の天と地をくるっと回転させます。 とりあえず手立てとしては天育なりに詰んでいる話なのでやるだけやってみます。● 「才能」
まず最初に結論をお話しします。 クマビに来れば「形を取る」ことに特別な才能が必要ないことがわかります。 来なければわかりません。まあでも学校でそんなように習いません。学校の指導って・・・。学校の先生のバイボー学習指導要領には一切描かれていません。 バイボーに書かれてないので、そんなもの燃やしてしまえと思いますが、だから「形を取る」なんてことは神の仕業で、ものすごく難しいという世の中の認識です。 形を正確に取るなんて図画工作の授業を先生にさせようものなら先生は蕁麻疹を出して白目を剥いて倒れてしまいます。 ・・とすごく難しいということで学習指導要領に付き従う先生方は授業で生徒が手の形を取る時に紙の上に手をおいてなぞるように指導されています。 神がのたまっているのですから一般論としては間違っていない考え方です。 でもその考え方はハア・・と深いため息が出るほど馬鹿げた間違いです。
学習指導要領様・・・。 あんたって人はなんて罪深いお方・・。 神はご自身のご都合で悪にもなるんですね。
特別な才能が必要かということを問いにする機会があるのなら、その答えは声を大にして「NO」です。 本物そっくりに上手に描くことに特別な才能は必要ありません。 きちんと訓練した人は全員できるようになることなのです。 あ、でもクマビでは10分くらいの訓練でいいです。 逆に形を取るという行為を実行すること自体は生まれ持ったものではないですから訓練しない人ができるようになることはまずありません。 文字を書くことと同じように教育されなければできるようになりません。 描くものの形を眼に焼き付けることは生得的な力ですが、形を取ろうとすること自体が絵を描く概念を教育して初めて意識されることです。 なので形をとるという行為を教わらずに実行する生まれ持った「天才」は世界中どこを探してもいないのです。 幼稚園から高校まではきちんとした教育を受けて訓練する生徒はいないので形が正確に取れるようになる人はいませんし、ほとんどの先生ができません。 なので実態がよくわからないので「特別な才能」がなければできないと考えられていると思います。 でも実際は文字を描くことと同じように正しく指導すれば誰でもできるようになることなのです。 でも実際はほとんどの先生が形の取り方に自信がありません。 図画の指導はしているのに誰も形が取れないということになると「特別な才能」がなければ取れないということにしておくのが都合はいいですよね。
先生方の中で形が取れるようになった人で多いのは測り棒を使ったり、ディスケールを使う方法です。デッサンの本の多くに計測具の使い方の説明があります。 計測具を使うことは間違っているわけではありません。 ただ、計測具は機械的に形を写す方法なので、物の見方や感性を使って形をとっているわけではありません。 私が今回の講座で紹介する方法は計測具を使わない方法です。 今回使いませんが、デッサンを描く時に計測具を使ってはいけないという訳ではありません。 計測具を使わないで形をとるというとこれまた「特別な才能」だと思われる人は多いと思いますが、そう誤解させてしまうことがとても残念なので今回は計測具は使わないということにします。 私自身、急ぐ時など計測具を使うことがあります。なのであくまで計測具を使うこと自体を否定するつもりはありません。
例えば正方形の形などは見ながら形をとるとある程度時間がかかります。 なので急ぐ時はディスケールにホワイトボードのマーカーで四隅の座標の位置を描き込んでそれで画面を覗いて点の位置を取ってしまいます。 それで何の問題もない、つまり多少の歪みが生じていても私以外の誰一人として全く誰も気づかない精度の高い座標をとることができます。 ディスケールを計測に使うと正確に取れないと考えて使用を一生懸命否定される方もいらっしゃいますが可哀想ですが気づきません。
さて、本題に入ります。(やっと本題・・ごめんなさい)まず、形をとるということはどういうことでしょう。
最初から躓きますよね?
躓かせてごめんなさい。皆さんが躓くのも当然です。 美術とデザインの世界でも正しくカテゴライズされていないことですから・・。 みんな言ってることが違うとっちらかっている問題です。 形といっても奥行きを含めれば立体や空間的なことも形に入ります。 形といっても光の形、色の形、錆などの質の形・・色々あります。 形とは色と対になる絵の次に大きな物事の意味を表す上位語です。 なので美術とデザインの世界では何気なく「形をとる」といってしまいますが、その言葉の中で実際にやり取りされているのは実に様々な形をとる作業のことを言っているのです。 なので何の形についての話か内容をしっかりすり合わせないのでよく行き違いも起こります。 ちなみに絵画の評価をする際にも正確なすり合わせが必要ですし、指導の際も詳細に区別してそれぞれの形について指導しなければなりません。 でも、絵画の評価において「形が取れているか?」は不可欠な評価ですが「形」から先の詳細をすり合わせる現場はありません。 芸大美大入試でもありません。 つまりそれだけあやふやな評価を流しています。 この評価を詳細なものに変えることは天育で行います。 多分私以外の人間に詳細な分類はできません。 (ごめんなさい、でも多分そうです。) 日本中のどんな偉い大学の先生様にもできないことなので、彼らの既得権益を考えると私がこのHPから独自に世の中に公開していくしかありません。 なので、ここから皆んな内緒でこそっとパクってね!
今回の講座でお教えする形とは輪郭の形です。 絵の中に描く物の、一番外側の輪郭の形です。絵の中で描かれる物が花瓶1つの場合は花瓶の一番外側の輪郭の形です。 台の上に花瓶が2つ描かれている場合は台と2つの花瓶が合体してできる1つのシルエットの輪郭です。 一番外側の縁辺のことを言うのでアウトラインとも言います。 構図とも言い換えることもできます。 台と花瓶を合体させて静物の輪郭と表現してもいいと思います。 ついでにいうとアウトライン=概念とも言えます。 ややこしいですね・・。 でも実際はもっともっと細かい話です。 ここではしませんが・・。 クマビでは毎日しつこくこれらの話をしていますがほとんど皆んな無視です。 大事な話ですが、中には寝ている者もいます。つまり話がつまらないんですね。 でも私は教えなければならないので、めげずに悪しき強制的な詰め込み教育を実践しています。 中には白目を向いて寝ている奴もいます。そういう奴に限って勉強はできたりしますからディスられているようで憎たらしいです。 そいつに対して私のできることと言えば白目を向き返すことくらいです。
で、自分がどの縁辺を輪郭とするのかを決めることが大切です。 形の取れない人の場合、多くがどの縁辺をとるかが途中から変わってしまいプチパニックを起こしていることが多いのです。 まずここが形の取れない人に多い弱点の1つです。 後は落ち着くこと。 そしてクマビでは私と簡単なゲームをしてもらいます。 ゲームの詳細についてはクマビで・・。 今書いているこの話は講座の背景にある問題を幻想公開講座と絡めて話します。 私としては「形を取る」ということに纏わる少しでも多くの問題を芋ずる式に解決したいのです。
今回の講座では2つの形の取り方をお教えします。
形をとるということは世の中の皆さんのイメージからすれば難しい、描けと言われると苦悶の表情になってしまうとても苦しいことだと思います。
でも実際は難しいことではないのです。
形をきっちりとる=苦しい
これは美術教育が生んだ功罪です。
つまり美術教育がこの思い込みを植え付けてしまいました。 まずこの思い込みを取り払うことから始めなければ私の講座は上手くいきません。
美術教育の世界ではほとんどの先生が形を取れません。 そして取れる先生でも楽に取れません。 なので形をきっちりとるということはとても苦しい、拷問のようなイメージです。 拷問のようなイメージになってしまっているのは先生たちの多くが形を取れないから・・ということがありますが、それと美術教育の創世記にピアジェや日本であれば佐藤忠良らの彼らがきっちりと正確に形をとることを否定的に捉えていることの影響も大きいと思います。 確かに昔は幼い幼児に色んな可能性を見せずに英才教育をしてしまって幼い頃から職人に仕上げてしまい、偏った育て方をしてしまうことによって未発達な面が生まれ、発達障害を引き起こすと考えられてきました。 でも、私の眼からみて、子供や学生の中で未成熟な面を持っていない者はいません。 大切なことは成熟している面を如何に育ててやれるか?です。 美術とデザインを志望している中学生や高校生、芸大美大生の中に未成熟の学生があまりに多すぎるのです。このことについては改めて別の機会に詳細にお話しします。