先生細菌ハザード
美術とデザインの世界が「自由にのびのび」と称して人集めをするのは人の幼児性を巧みに利用した手法です。
この手法はうまく行けば、幼児性の抜けない心の発達の遅れた子供が、図画工作を受け入れ、遊びを通じて上手く大人の感覚にシフトしてくれればいつの間にか「自由にのびのび」を卒業してくれます。
但し、幼児性が抜けない子供はそもそも家庭などに図画工作では解決しようのない根深い問題を抱えており、予想や理想に反して「自由にのびのび」が空回りしたり、幼児性をそのまま美術とデザインの世界に持ち込めるという誤解をしています。
(幼児性を一度抑えて大人として振る舞い、全てが軌道に乗ってから仕事で遊べるようになり、子供の頃のように幼児性を再び制作に取り入れられるようになることはあります。)
幼児性が上手く抜ける子は発達に問題のない学習能力のある子です。幼児性が抜けない子はつまり、発達障害があり、学習障害がある子です。
発達と学習ができないので幼児のまま芸大美大などの美術系の学校や職場に流れていきます。幼児に職場での仕事がつとまらないことは当然のことです。
当然のことでありながら、幼児性が抜けずに何万人という子が美術系の学校と職場に流れることについて誰も言及しません。
学校関係者の誰も口を出さないのは美術系の学校の収益のほとんどが実は幼児性の抜けない子を勧誘して美術系の学校に流している所から得ているからです。
幼児性をそのままこの世界に持ち込もうとする高校生に多いのは、例えば好きなイラストでそのまま仕事にしようとすることです。「自分の好きなキャラクターの顔を描くのは好きだけれども、それ以外は描きたくない。」と言った具合です。
幼児性の抜けた高校生は仕事にする際には自分の好きなキャラクター以外も描けなければならないことをすんなり受け入れることができます。 幼児性の抜けない高校生はそう言ったことを受け入れることができません。そのため幼児性の抜けない高校生の多くはイラストやアニメを進路に選びます。 イラストやアニメの世界がどれだけ厳しい世界か頭で知っていても、体と心で大人として振る舞い行動したり、勉強したり、仕事をしたりする経験がないために体で理解できずに何千何万という高校生が行方不明になります。
ゲームをするのは好きだけれども作るのはしたくなかったり。
自由に絵を描くのは好きだけれども物を見ながらデッサンするのは嫌だったり。
キャラの正面は描くのは好きだけれど背景は絶対拒否だったり。
最初にこの問題の結論をお話しすると、美術とデザインと図画工作が指導の中で幼児性が抜けない場合に起きる問題を想定しきれていない問題点。 幼児性が抜けない場合でも美術とデザインの世界なら「自由にのびのび」なのでなんとかなるんじゃないかな〜くらいの認識を持たせてしまっている問題点。 全てが高校卒業と同時に美術予備校や専門学校やFランクの大学に丸投げになっている問題点。これらが問題であり、結論は社会から見ればこれらの問題は当然先生の解決すべき問題だと見えるだろうということで、解決に尽力しなければならないだろうということが結論です。
私はこれを世の中に深く、強く、激しく訴えていきます。少しでも広く伝わるように幼児的に目線を下げた話し方をしながら徹底的に訴え、皆さんの幼児性に話しかけたいと思います。 本当に皆んなの中に眠る幼児性が解放できるように、死んだ魚のような眼をしながら無理して大人のように振舞って生かされるのではなく、納得をして大人として振る舞い、納得をして幼児性を解放できるようにしなければなりません。
先生細菌に感染した多くの子供たちが美術とデザインの世界を素敵なユートピアのように想像してしまうのは悪の組織「日陰社」(=造語です)の陰謀によるものです。
日陰社は美術とデザインの「自由にのびのび」によって「才能」「天才」の新人類「天才クリエーチャー」(=造語です)を生み出そうとしています。 今の世の中を先生細菌によって汚染し、自分たちの理想の世界、自由にのびのびで生きていける「新世界」を作ろうとしています。
この陰謀の失敗は「才能」「天才」のプログラムに重大な欠陥があることです。重大な欠陥は日陰社のAI「赤茶色」(=これも造語です)が作り出してしまったものです。 重大な欠陥とは「自由にのびのび」が高校の美術部とFランクの美大までしか徹底されておらず、肝心の芸大美大の難関校と卒業後の職場にまで根付いておらず、職場は日陰社が勝手に捏造している自由にのびのびなど干渉しているのは無駄以外の何物でもないので何処吹く風〜な感じで、現実とは完全に乖離して、誰も責任を取らずに放置されたままになっていることです。 放置され続けて今ではすっかり錆びだらけです。職場が自由にのびのびなどバカバカしい以外の何物でもないので全く干渉しないので、この問題は錆つきはするものの誰からも叩かれることなく、風化することもなく放置されたまま惰性でここまで大きくなっています。
この惰性を止めるのは真の「天才」です。
「自由にのびのび」は中途半端です。1つは幼児たちに本当の「自由にのびのび」を与えていません。
もう1つは美術予備校に来た時点で急に一切「自由にのびのび」させなくなることです。
「自由にのびのび」の元の思想は素晴らしいものです。でも、長年に渡りプログラムに重大な欠陥があることを誰もが知りながら不問にしています。
その悪の組織の陰謀を解決するのが本当の天才「ありんす」(=Alince)です。
日陰社の新世界創造の陰謀によって生み出された先生細菌で生み出された子供は赤錆だらけになりやがて「アンデッド」になってしまいます。アンデッドになってしまうと水入れの水は筆を洗うものではなく床にまくものだし、筆についた絵の具は筆を振り回して絵の具をまき散らす道具となってしまいます。 アンデッドになった子供はやがて収容所「美術予備校」に収監されます。美術予備校に収監されたアンデッドは生体検査を受け芸大美大に進むことができるかどうかの選別を受けます。 「生体検査=幼児性検査」に引っかかり、ここで弾かれたアンデッドは「行方不明」となります。 選別の生き残ったアンデッドは本当の不死の力を試すべく課題の洗礼を受けます。 多くのアンデッドは最初の課題によって今までの能力が全く通用しないことを認識します。 そして生き残れるように必死にもがきます。 芸大美大入試という生体検査を受け合格したアンデッドは最後の検査に臨みます。 最後の検査をパスしたアンデッドは日陰社の幹部候補としてさらなる肉体改造を受け「クリエーチャー」になります。 最後の検査にパスしなかったアンデッドは日陰の世界に追放されます。 時が流れて日陰の世界には何万ものアンデッドが食うや食わずの生活を送っています。 日陰社の人間が日陰のアンデッドを見て楽しみながら言うのは「生きてたのか」です。
美術とデザインの世界は先生細菌によって支配されています。先生細菌が眼に見えることはありません。眼には直接見えなくても確かに存在するものです。 アンデッドは見えない神の手に導かれるかのように美術とデザインの世界に引き込まれます。引き込まれてたどり着く先の多くは草一本生えていない日陰です。 草一本生えていない日陰を見下ろしながら日陰社の人間は「まだ生きてるのか」と言って楽しみます。
日陰の中のアンデッドを救うのは「ありんす」です。ありんすは綺麗な泡で錆びで汚れた赤茶色を洗います。 ありんすは天才です。ありんすはエラーを修正するために、あるありんすは眠りから覚め、あるありんすは長きに渡る沈黙を破り、そしてあるありんすは記憶喪失から覚めて活動を始めます。 そしてこれから天才ありんすは世界中に大勢出現します。ありんすは日陰に陽を当てます。アンデッドに日光浴をさせながら丁寧に赤錆を洗い流し、そして最後はリンスに配合されたシャンプーの素晴らしいその殺菌力で先生細菌を死滅させます。 綺麗になったアンデッドはまだアンデッドです。アンデッドのままではまだ先生に汚い顔でほくそ笑みながら「生きていたのか」と言われてしまいます。大事なことは最後に抗ウィルス剤を注射して元の人間に戻すことです。
今の美術とデザインの世界の「自由にのびのび」という言葉は先生細菌に侵されています。
先生細菌に侵された「自由にのびのび」という言葉の陰には「行方不明」という言葉が潜む。「自由にのびのび」とは実はそれはそれはとても恐ろしい言葉なのです。
多く子供たちが行方不明になるので、それに気づいた周りの大人たちは流石に「胡散臭い」と感じて美術とデザインの世界を嫌煙します。
幼児性をそのままこの世界に持ち込もうとする高校生に多いのは、例えば好きなイラストでそのまま仕事にしようとすることです。「自分の好きなキャラクターの顔を描くのは好きだけれども、それ以外は描きたくない。」と言った具合です。
幼児性の抜けた高校生は仕事にする際には自分の好きなキャラクター以外も描けなければならないことをすんなり受け入れることができます。 幼児性の抜けない高校生はそう言ったことを受け入れることができません。そのため幼児性の抜けない高校生の多くはイラストやアニメを進路に選びます。 イラストやアニメの世界がどれだけ厳しい世界か頭で知っていても、体と心で大人として振る舞い行動したり、勉強したり、仕事をしたりする経験がないために体で理解できずに何千何万という高校生が行方不明になります。
ゲームをするのは好きだけれども作るのはしたくなかったり。
自由に絵を描くのは好きだけれども物を見ながらデッサンするのは嫌だったり。
キャラの正面は描くのは好きだけれど背景は絶対拒否だったり。
最初にこの問題の結論をお話しすると、美術とデザインと図画工作が指導の中で幼児性が抜けない場合に起きる問題を想定しきれていない問題点。 幼児性が抜けない場合でも美術とデザインの世界なら「自由にのびのび」なのでなんとかなるんじゃないかな〜くらいの認識を持たせてしまっている問題点。 全てが高校卒業と同時に美術予備校や専門学校やFランクの大学に丸投げになっている問題点。これらが問題であり、結論は社会から見ればこれらの問題は当然先生の解決すべき問題だと見えるだろうということで、解決に尽力しなければならないだろうということが結論です。
私はこれを世の中に深く、強く、激しく訴えていきます。少しでも広く伝わるように幼児的に目線を下げた話し方をしながら徹底的に訴え、皆さんの幼児性に話しかけたいと思います。 本当に皆んなの中に眠る幼児性が解放できるように、死んだ魚のような眼をしながら無理して大人のように振舞って生かされるのではなく、納得をして大人として振る舞い、納得をして幼児性を解放できるようにしなければなりません。
先生細菌に感染した多くの子供たちが美術とデザインの世界を素敵なユートピアのように想像してしまうのは悪の組織「日陰社」(=造語です)の陰謀によるものです。
日陰社は美術とデザインの「自由にのびのび」によって「才能」「天才」の新人類「天才クリエーチャー」(=造語です)を生み出そうとしています。 今の世の中を先生細菌によって汚染し、自分たちの理想の世界、自由にのびのびで生きていける「新世界」を作ろうとしています。
この陰謀の失敗は「才能」「天才」のプログラムに重大な欠陥があることです。重大な欠陥は日陰社のAI「赤茶色」(=これも造語です)が作り出してしまったものです。 重大な欠陥とは「自由にのびのび」が高校の美術部とFランクの美大までしか徹底されておらず、肝心の芸大美大の難関校と卒業後の職場にまで根付いておらず、職場は日陰社が勝手に捏造している自由にのびのびなど干渉しているのは無駄以外の何物でもないので何処吹く風〜な感じで、現実とは完全に乖離して、誰も責任を取らずに放置されたままになっていることです。 放置され続けて今ではすっかり錆びだらけです。職場が自由にのびのびなどバカバカしい以外の何物でもないので全く干渉しないので、この問題は錆つきはするものの誰からも叩かれることなく、風化することもなく放置されたまま惰性でここまで大きくなっています。
この惰性を止めるのは真の「天才」です。
「自由にのびのび」は中途半端です。1つは幼児たちに本当の「自由にのびのび」を与えていません。
もう1つは美術予備校に来た時点で急に一切「自由にのびのび」させなくなることです。
「自由にのびのび」の元の思想は素晴らしいものです。でも、長年に渡りプログラムに重大な欠陥があることを誰もが知りながら不問にしています。
その悪の組織の陰謀を解決するのが本当の天才「ありんす」(=Alince)です。
日陰社の新世界創造の陰謀によって生み出された先生細菌で生み出された子供は赤錆だらけになりやがて「アンデッド」になってしまいます。アンデッドになってしまうと水入れの水は筆を洗うものではなく床にまくものだし、筆についた絵の具は筆を振り回して絵の具をまき散らす道具となってしまいます。 アンデッドになった子供はやがて収容所「美術予備校」に収監されます。美術予備校に収監されたアンデッドは生体検査を受け芸大美大に進むことができるかどうかの選別を受けます。 「生体検査=幼児性検査」に引っかかり、ここで弾かれたアンデッドは「行方不明」となります。 選別の生き残ったアンデッドは本当の不死の力を試すべく課題の洗礼を受けます。 多くのアンデッドは最初の課題によって今までの能力が全く通用しないことを認識します。 そして生き残れるように必死にもがきます。 芸大美大入試という生体検査を受け合格したアンデッドは最後の検査に臨みます。 最後の検査をパスしたアンデッドは日陰社の幹部候補としてさらなる肉体改造を受け「クリエーチャー」になります。 最後の検査にパスしなかったアンデッドは日陰の世界に追放されます。 時が流れて日陰の世界には何万ものアンデッドが食うや食わずの生活を送っています。 日陰社の人間が日陰のアンデッドを見て楽しみながら言うのは「生きてたのか」です。
美術とデザインの世界は先生細菌によって支配されています。先生細菌が眼に見えることはありません。眼には直接見えなくても確かに存在するものです。 アンデッドは見えない神の手に導かれるかのように美術とデザインの世界に引き込まれます。引き込まれてたどり着く先の多くは草一本生えていない日陰です。 草一本生えていない日陰を見下ろしながら日陰社の人間は「まだ生きてるのか」と言って楽しみます。
日陰の中のアンデッドを救うのは「ありんす」です。ありんすは綺麗な泡で錆びで汚れた赤茶色を洗います。 ありんすは天才です。ありんすはエラーを修正するために、あるありんすは眠りから覚め、あるありんすは長きに渡る沈黙を破り、そしてあるありんすは記憶喪失から覚めて活動を始めます。 そしてこれから天才ありんすは世界中に大勢出現します。ありんすは日陰に陽を当てます。アンデッドに日光浴をさせながら丁寧に赤錆を洗い流し、そして最後はリンスに配合されたシャンプーの素晴らしいその殺菌力で先生細菌を死滅させます。 綺麗になったアンデッドはまだアンデッドです。アンデッドのままではまだ先生に汚い顔でほくそ笑みながら「生きていたのか」と言われてしまいます。大事なことは最後に抗ウィルス剤を注射して元の人間に戻すことです。
今の美術とデザインの世界の「自由にのびのび」という言葉は先生細菌に侵されています。
先生細菌に侵された「自由にのびのび」という言葉の陰には「行方不明」という言葉が潜む。「自由にのびのび」とは実はそれはそれはとても恐ろしい言葉なのです。
多く子供たちが行方不明になるので、それに気づいた周りの大人たちは流石に「胡散臭い」と感じて美術とデザインの世界を嫌煙します。