モラトリアムハザード
私はこの2つの言葉は両方とも社会にその効果を十分に認知されていない言葉だと考えています。
この言葉の効果を一人でも多くの人に伝えなければならないと考えている大人。
つまり「自由でのびのび」「モラトリアム」によって人生の中で大切な何かを掴んだ人は少なくないはずです。
私もその一人です。
「自由にのびのび」「モラトリアム」この2つの言葉は「天才」を育てるために重要な言葉です。 そして「天才」になれなくても自分の大きな問題を解決してくれる重要な言葉です。
あなたが超えなければならない困難と直面した時「自由にのびのび」してください。そうすればこの言葉の意味が実感できると思います。
「自由にのびのび」「モラトリアム」この2つの言葉は色んな問題をはらんでいます。 悪意のある人に世間一般で十分に理解されていないことをいいことに悪用されています。
「自由にのびのび」によって私自身大きく成長させてもらえたと感謝しています。 ただし、美術に関わる全ての人に眼を向けた時、この言葉は誰にでも幸運を与えてくれる言葉になった。 又なるとは言えないのです。 なので教え子がどうなるか考えた時、自分の気分は「自由でのびのび」という言葉がイメージさせるような陽気なものではなく、眼は死んだ魚のような眼のままで「自由でのびのび」を見つめ続けています。 私には美術の関係者の皆さんが歓喜の声を挙げて「自由にのびのび」のポジティブキャンペーンを行い、眼を爛々と輝かして意気揚々としている雰囲気に乗って、諸手を挙げて喜ぶ気には到底なれないのです。 あの元気はどこからくるのでしょうか?中に何にも入ってないのに。 大抵「自由にのびのび」と言っている大人の眼は死んでいるんですけどね。
幼児や小学生や中学生ぐらいの子供と親御さん。 そして高校の美術部の皆さんには「自由にのびのび」と言います。Fランクの大学生には「自由」芸大生には「モラトリアム」。 専門学校生には「自由」もしくは「自由」「モラトリアム」双方を拒絶されるかもしれませんね。
私が諸手を挙げて喜べないのは実害があるからです。
実害から眼を背けつつ諸手を挙げて喜ぶことは私にはできません。
実はこの言葉の功罪は大きいのです。
私が「自由にのびのび」の「罪」を見過ごすことができないのは、私自身が「罪」の部分で苦悩したことが大きかったことと、それが今のおじさんの歳になるまで誰にもいうことができなかったこと。 そして何よりも手を出さなければ自分の関わる生徒たちに同じような悪いことが降りかかること。 それと美術から人が離れ、美術が市民権を得るのが随分先延ばしになることが眼に見えるからです。
私の教え子たちも多くの子はこの言葉の恩恵を受けて、多くの生徒は順調に成長しています。
ただし、その影では涙を飲む生徒がいることも確かです。
その涙の原因は受験に失敗したからというようなことではありません。
普通に努力して受験に失敗するのは健康的なことです。
そうではなく予定調和的に失敗することが眼に見えているのです。
いわゆる未必の故意なのでなんとかこれを無くしたいのです。
私がてんいくで計画的に問題提起していくのは、避けられるはずの事故があまりにも多くて眼に余るからです。
つまり、「自由にのびのび」という言葉の影を利用して生徒を金儲けの道具にしたり、「自由にのびのび」が全ての生徒に通用すると誤解している先生や親御さんが多いこと。 そしてそれを学校は気づいているにも関わらず受け流してブラック企業に就職させたり、卒業させてうやむやにさせています。
美術とデザインの世界は今、社会から人離れを受けています。
受験倍率は下がり、中学高校から美術の授業は減る。 画廊は減り、美術館の来客も減る。 この現象は美術の世界に実害があるから起きている現象です。 つまり社会には手づかみできるほど明瞭に見えてはいないものの、実害を薄々察知できているから嫌煙されているのです。
つまり、この問題の発端や解決方法がわからなくて苦しんでいる美術関係者は多いですが、この問題が起きているのははっきりとした実害があるからです。 実害は美術関係者の全ての人の眼に映って見えています。 でも、眼に写り込んでいる実害に気づかずに、それに誰も触れないのは、まだ見て見ぬ振りをして誤魔化せると考えているからです。 仮に解決方法が薄っすら見えたとしても自分自身に降りかかるリスクを恐れて誰も手が出せないでいます。
「自由でのびのび」が作る美術の影は巨大です。
実は光の当たる部分はほんの一部。
つまりうやむやにしている影の部分が全体で、そのうやむやの中に眠る全ての可能性を無駄にしています。
「自由でのびのび」の陽が当たる部分が極端に狭いのは陽の当たる世界の人間が情報を隠蔽し、境界にある壁をひたすら高くそびえ勃たせて、陽の外の影の世界を制約で雁字搦めにしているからです。
てんいくはうやむやにしている部分の可能性を証明し、そこから天才を生み出す計画です。
なので陽の世界が守っている情報を影の世界に公開します。 そうすれば影の世界に陽が当たり、陽と影のはざまにそびえ立つ「才能という偽りの巨大な虚構の壁」「天才という偽りの巨大な虚構の壁」は何もなかったかのように打ち消されます。
そうすることで巨大な影の世界に光が注がれます。 それによって陽の世界で儲けている人は儲からなくなりますが、その代わりに広大な影の世界から本当の「天才」が生まれる可能性が出てきます。
「自由にのびのび」「モラトリアム」この2つの言葉は「天才」を育てるために重要な言葉です。 そして「天才」になれなくても自分の大きな問題を解決してくれる重要な言葉です。
あなたが超えなければならない困難と直面した時「自由にのびのび」してください。そうすればこの言葉の意味が実感できると思います。
「自由にのびのび」「モラトリアム」この2つの言葉は色んな問題をはらんでいます。 悪意のある人に世間一般で十分に理解されていないことをいいことに悪用されています。
「自由にのびのび」によって私自身大きく成長させてもらえたと感謝しています。 ただし、美術に関わる全ての人に眼を向けた時、この言葉は誰にでも幸運を与えてくれる言葉になった。 又なるとは言えないのです。 なので教え子がどうなるか考えた時、自分の気分は「自由でのびのび」という言葉がイメージさせるような陽気なものではなく、眼は死んだ魚のような眼のままで「自由でのびのび」を見つめ続けています。 私には美術の関係者の皆さんが歓喜の声を挙げて「自由にのびのび」のポジティブキャンペーンを行い、眼を爛々と輝かして意気揚々としている雰囲気に乗って、諸手を挙げて喜ぶ気には到底なれないのです。 あの元気はどこからくるのでしょうか?中に何にも入ってないのに。 大抵「自由にのびのび」と言っている大人の眼は死んでいるんですけどね。
幼児や小学生や中学生ぐらいの子供と親御さん。 そして高校の美術部の皆さんには「自由にのびのび」と言います。Fランクの大学生には「自由」芸大生には「モラトリアム」。 専門学校生には「自由」もしくは「自由」「モラトリアム」双方を拒絶されるかもしれませんね。
私が諸手を挙げて喜べないのは実害があるからです。
実害から眼を背けつつ諸手を挙げて喜ぶことは私にはできません。
実はこの言葉の功罪は大きいのです。
私が「自由にのびのび」の「罪」を見過ごすことができないのは、私自身が「罪」の部分で苦悩したことが大きかったことと、それが今のおじさんの歳になるまで誰にもいうことができなかったこと。 そして何よりも手を出さなければ自分の関わる生徒たちに同じような悪いことが降りかかること。 それと美術から人が離れ、美術が市民権を得るのが随分先延ばしになることが眼に見えるからです。
私の教え子たちも多くの子はこの言葉の恩恵を受けて、多くの生徒は順調に成長しています。
ただし、その影では涙を飲む生徒がいることも確かです。
その涙の原因は受験に失敗したからというようなことではありません。
普通に努力して受験に失敗するのは健康的なことです。
そうではなく予定調和的に失敗することが眼に見えているのです。
いわゆる未必の故意なのでなんとかこれを無くしたいのです。
私がてんいくで計画的に問題提起していくのは、避けられるはずの事故があまりにも多くて眼に余るからです。
つまり、「自由にのびのび」という言葉の影を利用して生徒を金儲けの道具にしたり、「自由にのびのび」が全ての生徒に通用すると誤解している先生や親御さんが多いこと。 そしてそれを学校は気づいているにも関わらず受け流してブラック企業に就職させたり、卒業させてうやむやにさせています。
美術とデザインの世界は今、社会から人離れを受けています。
受験倍率は下がり、中学高校から美術の授業は減る。 画廊は減り、美術館の来客も減る。 この現象は美術の世界に実害があるから起きている現象です。 つまり社会には手づかみできるほど明瞭に見えてはいないものの、実害を薄々察知できているから嫌煙されているのです。
つまり、この問題の発端や解決方法がわからなくて苦しんでいる美術関係者は多いですが、この問題が起きているのははっきりとした実害があるからです。 実害は美術関係者の全ての人の眼に映って見えています。 でも、眼に写り込んでいる実害に気づかずに、それに誰も触れないのは、まだ見て見ぬ振りをして誤魔化せると考えているからです。 仮に解決方法が薄っすら見えたとしても自分自身に降りかかるリスクを恐れて誰も手が出せないでいます。
「自由でのびのび」が作る美術の影は巨大です。
実は光の当たる部分はほんの一部。
つまりうやむやにしている影の部分が全体で、そのうやむやの中に眠る全ての可能性を無駄にしています。
「自由でのびのび」の陽が当たる部分が極端に狭いのは陽の当たる世界の人間が情報を隠蔽し、境界にある壁をひたすら高くそびえ勃たせて、陽の外の影の世界を制約で雁字搦めにしているからです。
てんいくはうやむやにしている部分の可能性を証明し、そこから天才を生み出す計画です。
なので陽の世界が守っている情報を影の世界に公開します。 そうすれば影の世界に陽が当たり、陽と影のはざまにそびえ立つ「才能という偽りの巨大な虚構の壁」「天才という偽りの巨大な虚構の壁」は何もなかったかのように打ち消されます。
そうすることで巨大な影の世界に光が注がれます。 それによって陽の世界で儲けている人は儲からなくなりますが、その代わりに広大な影の世界から本当の「天才」が生まれる可能性が出てきます。