モラトリアムハザード
「想い」には様々な形があります。
日本人は「笑い」の「感情」を形にして「想い」を表現することは長けています。
でもそれ以外のことで表現することが苦手です。
「笑い」が抜きに出て長けているのは「笑い」が様々な制約と壁を乗り越えたからです。
つまり「いじめ」などの「憎悪」でさえも幾多の壁と社会にある制約を乗り越えることでうまく表現できるようになります。
そのようなことを実現させるために「自由にのびのび」「モラトリアム」は絶対に必要なものなのです。
あ、間違っても犯罪を起こすということではありません。
残念ながら未熟な美術とデザインの場合、まず、子供と学生のほぼ全員に「笑い」を美術とデザインで表現しようとする感覚はまずありません。 まず、この点が一番遅れている点です。 ものすごく少ないですが笑える絵はあります。 そして「笑い」が一番高度な技術が必要です。 美術とデザインのそのような遅れは「笑い」以外の「想い」についても同じです。 「いじめ」の問題をデザインの力で越えられますか?今はまだできませんよね?絶対にやるべきです。 それを実現する「天才」はこれから必ず現れます。 あなたがその「天才」になってください。
「いじめ」の問題だけではなく、表現できなければならないものごとは世の中に沢山あります。 あるにも関わらず、ほとんど気づくことができません。 このような状況になるのは日本人があまり「表現」を得意とする人たちではないからです。 そして日本人は制約と壁の中でおとなしく生きている。 そのような中で美術と違いお笑いの世界は「笑い」をうまく、社会にはばかれることなく、教育委員会だかなんだかに突かれながら、ゆっくりと年月をかけてそっと前に出ることに成功しています。
何かあればつつかれるような表現しづらい雰囲気の中で「自由にのびのび」という言葉は一見優しい言葉のように聞こえますが、基本的には日本の子供たちのほぼ全員に対して正しく機能せず完全に空を切って空回りしています。 まず、あまりにも短い時間で答えを出させようとすること。(そんな短時間で答えなんか出ませんよ・・) 特に図画工作の時間では答えが出るわけはありません。 そして表現が苦手だということ。 苦手すぎて表現できていないにも関わらず、成績をつけて流してしまうことが当たり前の慣習になっています。 多くの子供にとって図画工作は流すためのもの。それに指導をされている先生方ご自身が人を感動させるような作品を作れません。 つまり、子供達はメディアを通じて痛快な笑いは経験しています。子供たちは「笑い」を流しません。 しかし、美術とデザインを通じて痛快な笑いや「悲しみ」「憎悪」「愛情」「精神性」などに心の底から感動する美術の経験をしていません。 「笑い」のとれない「お笑い芸人」に笑いの指導を受けたいですか?美術とデザインは人を感動させる作品を作れない先生が指導をしています。 それに「笑い」は学校で指導していません。 美術は学校で指導しています。 何か間違っていますよね?何を教えているのですか?私にはわかりません。 私は「笑い」に教育の本質が見えます。学校では本当の教育はしていません。 美術は「笑い」と同じようにインターネットを通じて本当の教育を実践するべきです。 インターネットで本当の教育を実践して、その後数十年かけて学校教育がインターネットから正しい教育を学ぶと思います。 インターネットに真実が上がっているにも関わらず学校がすぐに変われないのは今現在大きな利益を得ている権力者とその周辺の人たちの都合が悪いからです。 特に大学の腰は重いでしょうね・・。
最初にも言いましたが義務教育は大切です。 しかし「自由にのびのび」「モラトリアム」は、よくよく考えてみたり、芸大生に向けたような専門性を帯びた時点で難解な魔物に化けるのです。 私のようなクズに美術や英語や算数に触れさせようとする程度の話であれば義務教育は絶対に必要なものです。 私のようなクズに学校で英語を教えても全く話せるようになりませんし、そもそも生まれてこのかた一度として英語を使わなければならない状況になったことがありません。 なので基本的に義務教育は間違ってはいないのです。
表現について何もわからない状態で、例えば、生きていく中ですごく辛い経験をして、強い「想い」を持っている人間にいきなり、授業で作品を作るから「自由にのびのびしろ」というのはなんとも酷な話です。 多分言われた本人はキョトンとするだけだと思います。 実際に子供達に「自由」に図画を描かせても、只々放置プレイになるだけです。 仮に「大人の振る舞い」が出来ている子供が忖度をして何か描いたとしても、それは本音で想像して、思い巡らせて描いたものではなく、これまでに覚えた描き方で描いた作品です。 それはいつも通り忖度のスキルをアップしたにすぎません。 そしてそのような要領の良い作品が賞をとります。
答えを出すには出るまで続けなければなりません。 成績は全く関係ない。それには時間制限は設けてはならないのです。 「自由にのびのびしろ」と言われて、かくいう私自身、最初に何年も苦しみました。 この文章を読んで頂いている方の中には、何年も?そこまで無理をしなくてもいいと考える方は多いと思います。 私はそれで正解だと思います。 つまり、どれだけ時間がかかることなのか、どれだけ過酷なことなのかに気づかずに無理をして大事故になってしまうことがこの世界ではあまりに多いのです。 なので、そうならないようにこの文章を書いています。何年かかってでも解決したいと思う人だけがやればいいと思います。
「想い」を社会に表現するには、大切な物事を乱暴にギュッと握り潰すように奪い取って、乱暴に差し出すのではなく。 優しく大きな手でそっと包み込むように持ち上げて、優しく差し出すようでなければなりません。 そのように大事な問題に取り組めるようにどのような局面でも「のびのび」できるようでなければならないのです。
あなたがもし「のびのび」できるような心の状態ではなくて、乱暴にギュッと掴もうとして握り潰してしまったら、眼を閉じてその原因をじっくりと探ってみてください。 原因は「嫉妬」「憎しみ」「野心」「欲望」「焦り」「不安」どのようなものでしょうか❔探り当てたら、考えてみてください。 探り当てた感情や感覚が美術とデザインと社会にとって大切なものかどうか?それはきっと必要ないものですよね。 でもそれを消し去るのは大変です。 でも、あなたがそれを消すか、そのままにするかの選択が最も大切なことなのです。 もし消せないのであれば美術とデザインの世界から一度離れてみてもいいかもしれません。 そこで無理をすることで多くの学生が大失敗しています。後は「大人の振る舞い」を徹底すること。 実際は「大人の振る舞い」を押し通して乗り切る学生が多いかもしれません。
できれば、勇気を持って一度離れて、気持ちを落ち着けて、ネガティブな気持ちを消して、情緒を安定させて、本当に大切なことに手を伸ばしてください。 そうすれば今度は握り潰さなくなると思います。
つまり「自由にのびのび」「モラトリアム」は情緒を安定させてはじめて成立することだったり、そのことに気づいた人が目的を果たすために、まず情緒を徹底的に安定させる時間を設けることを言います。
それを踏まえずに美術とデザインの世界はこの2つの言葉を振り回します。私はそれに注意を促したいのです。
残念ながら未熟な美術とデザインの場合、まず、子供と学生のほぼ全員に「笑い」を美術とデザインで表現しようとする感覚はまずありません。 まず、この点が一番遅れている点です。 ものすごく少ないですが笑える絵はあります。 そして「笑い」が一番高度な技術が必要です。 美術とデザインのそのような遅れは「笑い」以外の「想い」についても同じです。 「いじめ」の問題をデザインの力で越えられますか?今はまだできませんよね?絶対にやるべきです。 それを実現する「天才」はこれから必ず現れます。 あなたがその「天才」になってください。
「いじめ」の問題だけではなく、表現できなければならないものごとは世の中に沢山あります。 あるにも関わらず、ほとんど気づくことができません。 このような状況になるのは日本人があまり「表現」を得意とする人たちではないからです。 そして日本人は制約と壁の中でおとなしく生きている。 そのような中で美術と違いお笑いの世界は「笑い」をうまく、社会にはばかれることなく、教育委員会だかなんだかに突かれながら、ゆっくりと年月をかけてそっと前に出ることに成功しています。
何かあればつつかれるような表現しづらい雰囲気の中で「自由にのびのび」という言葉は一見優しい言葉のように聞こえますが、基本的には日本の子供たちのほぼ全員に対して正しく機能せず完全に空を切って空回りしています。 まず、あまりにも短い時間で答えを出させようとすること。(そんな短時間で答えなんか出ませんよ・・) 特に図画工作の時間では答えが出るわけはありません。 そして表現が苦手だということ。 苦手すぎて表現できていないにも関わらず、成績をつけて流してしまうことが当たり前の慣習になっています。 多くの子供にとって図画工作は流すためのもの。それに指導をされている先生方ご自身が人を感動させるような作品を作れません。 つまり、子供達はメディアを通じて痛快な笑いは経験しています。子供たちは「笑い」を流しません。 しかし、美術とデザインを通じて痛快な笑いや「悲しみ」「憎悪」「愛情」「精神性」などに心の底から感動する美術の経験をしていません。 「笑い」のとれない「お笑い芸人」に笑いの指導を受けたいですか?美術とデザインは人を感動させる作品を作れない先生が指導をしています。 それに「笑い」は学校で指導していません。 美術は学校で指導しています。 何か間違っていますよね?何を教えているのですか?私にはわかりません。 私は「笑い」に教育の本質が見えます。学校では本当の教育はしていません。 美術は「笑い」と同じようにインターネットを通じて本当の教育を実践するべきです。 インターネットで本当の教育を実践して、その後数十年かけて学校教育がインターネットから正しい教育を学ぶと思います。 インターネットに真実が上がっているにも関わらず学校がすぐに変われないのは今現在大きな利益を得ている権力者とその周辺の人たちの都合が悪いからです。 特に大学の腰は重いでしょうね・・。
最初にも言いましたが義務教育は大切です。 しかし「自由にのびのび」「モラトリアム」は、よくよく考えてみたり、芸大生に向けたような専門性を帯びた時点で難解な魔物に化けるのです。 私のようなクズに美術や英語や算数に触れさせようとする程度の話であれば義務教育は絶対に必要なものです。 私のようなクズに学校で英語を教えても全く話せるようになりませんし、そもそも生まれてこのかた一度として英語を使わなければならない状況になったことがありません。 なので基本的に義務教育は間違ってはいないのです。
表現について何もわからない状態で、例えば、生きていく中ですごく辛い経験をして、強い「想い」を持っている人間にいきなり、授業で作品を作るから「自由にのびのびしろ」というのはなんとも酷な話です。 多分言われた本人はキョトンとするだけだと思います。 実際に子供達に「自由」に図画を描かせても、只々放置プレイになるだけです。 仮に「大人の振る舞い」が出来ている子供が忖度をして何か描いたとしても、それは本音で想像して、思い巡らせて描いたものではなく、これまでに覚えた描き方で描いた作品です。 それはいつも通り忖度のスキルをアップしたにすぎません。 そしてそのような要領の良い作品が賞をとります。
答えを出すには出るまで続けなければなりません。 成績は全く関係ない。それには時間制限は設けてはならないのです。 「自由にのびのびしろ」と言われて、かくいう私自身、最初に何年も苦しみました。 この文章を読んで頂いている方の中には、何年も?そこまで無理をしなくてもいいと考える方は多いと思います。 私はそれで正解だと思います。 つまり、どれだけ時間がかかることなのか、どれだけ過酷なことなのかに気づかずに無理をして大事故になってしまうことがこの世界ではあまりに多いのです。 なので、そうならないようにこの文章を書いています。何年かかってでも解決したいと思う人だけがやればいいと思います。
「想い」を社会に表現するには、大切な物事を乱暴にギュッと握り潰すように奪い取って、乱暴に差し出すのではなく。 優しく大きな手でそっと包み込むように持ち上げて、優しく差し出すようでなければなりません。 そのように大事な問題に取り組めるようにどのような局面でも「のびのび」できるようでなければならないのです。
あなたがもし「のびのび」できるような心の状態ではなくて、乱暴にギュッと掴もうとして握り潰してしまったら、眼を閉じてその原因をじっくりと探ってみてください。 原因は「嫉妬」「憎しみ」「野心」「欲望」「焦り」「不安」どのようなものでしょうか❔探り当てたら、考えてみてください。 探り当てた感情や感覚が美術とデザインと社会にとって大切なものかどうか?それはきっと必要ないものですよね。 でもそれを消し去るのは大変です。 でも、あなたがそれを消すか、そのままにするかの選択が最も大切なことなのです。 もし消せないのであれば美術とデザインの世界から一度離れてみてもいいかもしれません。 そこで無理をすることで多くの学生が大失敗しています。後は「大人の振る舞い」を徹底すること。 実際は「大人の振る舞い」を押し通して乗り切る学生が多いかもしれません。
できれば、勇気を持って一度離れて、気持ちを落ち着けて、ネガティブな気持ちを消して、情緒を安定させて、本当に大切なことに手を伸ばしてください。 そうすれば今度は握り潰さなくなると思います。
つまり「自由にのびのび」「モラトリアム」は情緒を安定させてはじめて成立することだったり、そのことに気づいた人が目的を果たすために、まず情緒を徹底的に安定させる時間を設けることを言います。
それを踏まえずに美術とデザインの世界はこの2つの言葉を振り回します。私はそれに注意を促したいのです。