天育実験工房★幻想公開講座「暗闇図画工作」
● あなたのカッコいい形って何ですか?美術とデザインの認識の仕方と作法
人間が人でもなく、まだ脳が動物の時は綺麗な形とか・・・カッコいい形はわかりません。つまりカッコいいとは人と人の間にあるものです。 そしてコミュニケーションを取るために必要なものです。 世界にあなたと彼しか存在しなければイケメンとカッコいいとかいう評価の概念は生まれません。 イケメンとカッコいいは残念ながら、血とか毒とか危険なものとか汚いものの延長で生まれてしまったものです。 なので完璧に清潔なはずのイケメンと付き合えたとしても汚い部分が見えた瞬間に冷めてしまったり、飽きてしまったりします。 先入観に打ち勝つ際に役立つものが美術ではないかな・・?と私は思います。
綺麗、カッコいいは幼い頃に誰かに教わったものです。
なのでこれらは生得的なものではありません
。 なのでこれらは実は生まれながらの感性に響くことはありません。
本当に感性に響いているのは多分生まれてからすぐに見た顔。 例えばお母さんの顔やお父さんの顔です。 その時にイケメンとは思いはしないと思いますが感性に響いているはずです。 確認しようがありませんが・・。
感性に響かないのはこれらがみんなが知らず知らずのうちに行っている「認識の仕方」の手順を踏むことによって、これはこういう風に認識しようという風に作られたものだからです。 あなたはお父さんを臭い、きもい、汚い、うざいというものにしてしまっていると思いますが、実際はそれほど臭くないし、きもくないし、汚いものでも、うざいものでもないのですよ!! 本当はわかっていますよね??
綺麗、カッコいいは幼い頃に誰かに教わったものです。
だからまあ・・なんとなく図画工作は上手に描くことを否定しています・・誰も理由をしっかりと説明しませんが・・。 説明できませんよね・・なんか話がカオスですから・・。
綺麗、カッコいいは誰かから真似して学ぶものです。 なので美術とデザインは基本真似て学びます。 つまりパクって学びます。 表面的な色と形に限らず、それ以前に認識の作法の時点でパクっているのです。 これは全部証明して告訴するしかありませんね?
それで完全に話が脱線しますが・・・図画工作が否定する上手く描くことも、絵画の世界でも誰も何も言いませんが、上手く描く写実はもはや、見る人が鑑賞の前にどの程度細かく描いていると想像するか?を予測して、鑑賞者の想定以上に細密に描くしかサプライズの方法がないんですね・・・。 それってしんどいし、それにもはや意味ありますか?スポーツ・・みたいな・・努力みたいな称賛ですね。 つまり色と形を純粋に感じて評価していない。 細かいなどの認識の仕方の手順と市場の評価の手順に即して評価しています。 そんな市場の評価も何だかいい加減で、不思議なんですよね・・。 世の中で最も細密な絵画はルーペを覗いて描いているものでありえないほどミクロなのに、そのような絵を描いても作品自体の大きさが小さいので作品として大した市場価値はつかないんですよね・・。 それにルーペを見ながらでも細密に描くことはそれ自体誰にでも簡単にできます。 簡単すぎるので細かく描くことに対する評価はいつでも根底から覆される危うさを孕んでいます。 そのような危機感を持ってはいるのでしょうが・・・。(劇場のイドラ・・・かな?)
人間はこれをカッコいいとしてこれを綺麗と判断して決めています。 もっとわかりやすく言えばこれを清潔ということにしよう・・。 これを不潔な色ということにしよう・・・。 もっとわかりやすくいえば、これを汚い人にして・・。カッコいい人にしよう・・。 これを「自由にのびのび」ということにしよう・・!これを才能ある人にしよう!これを天才ということにしよう!!これを県知事賞にしよう!!
「これを落選にしよう!!」
「こいつをいじめよう!!」
なんかふざけているな・・と思うのは私だけでしょうか?
いじめをなくすには認識の作法についてみんなが考えなければなりません。
学校のクラスの中で行われる愚かなデザイン。
でも私も人のことは言えません。 こんな風にすることが美術とデザインなわけですから私はこの度「暗闇」をパクります。
世の中では前例のあるものを賞賛されて、前例のないものにチャレンジすることを愚かなこととされています。 その素晴らしい考えにならって私は「暗闇」をパクります(アゲ)!!
細密に描かれている売れそうな作品を「特別な才能がある」ということにしよう!!
どこかおかしなお話です。 現実ではなく誰かが作った物語を見ているかのような感覚を感じえません。
私はガンダムが超カッコいいと思います。
ガンダムのフォルムのソリッドなカッコよさや流線型の美しさの特徴に一致する形が目に飛び込んだ!と脳が判断した瞬間、頭にカッコいいというロジックが浮かびます。 その時の感性への刺激はさほど強いものではありません。
それは先入観だからです。
私は物心がつく時、ガンプラでカッコいい形というものを学びました。
ガンプラが私の人生最初のカッコいいです。
それを学んだのは付いていこうとする大人や少し年上の友達がそれをカッコいいと言っていたからです。 そのカッコよさを最初はわかりませんでしたが、仲間に入るためにそれをカッコいいものと必死に学びました。 そこでカッコいいものへの作法を学びました。以来私が潜在的にカッコいいと感じる形はガンプラのフォルムと頭の中で合致するフォルムのことを言います。 それが私の審美眼の正体です。 そして私の作品がカッコいいと言ってもらえるときの正体でもあります。 なので、私がカッコいいという発言を生徒の皆んなが鵜呑みにして真似をすると全部ガンプラになります。 それは全く意味をなさないことなのです。それを迷惑だと感じる人は私を無視してください。 ガンプラのお陰で普通の感覚から見ると私の愛車はこれでもかというほど流線型でいかついです。 そのため幸いガンプラの感覚のない人からすると下品なので真似されません。 流線型ではなくて自分が正直にこれがカッコいいと思うものを選ぶ・・車でも服でも・・そう言った所を真似してもらいたいです。 そしてできれば何故かっこいいかわからないけれどカッコいい。 世の中の美術とデザインにないカッコよさがある・・。と かすかに感じているなら、それに静かに耳をすませて、しっかりと掴んでください。 そうすればあなたは世の中にない認識の作法に乗っ取らない美術かデザインを造ることができます。 誰もが目指して成し得ないことですが、それに興味があるなら貫いてください。
私がカッコいい形だというのはガンダムです。 後、私がプリンを美味しいと評価する時の基準はプッチンプリンです。 カレーはボンカレー。 私のような貧しい家庭で育った人間はカレーと言えばボンカレーです。 安心の味。 プッチンプリンを高尚なものと崇めたければ私の味覚のプッチンを高尚なものとして評価してください。 図画工作の評価もそのようなものです。 蓋を開けてみれば大したもんでもありません。 誰にでも触れられるものですし、権威でも何でもないものです。 プッチンプリンって権威ですか?私の図画工作の評価もプッチンプリンです。 高尚な権威に興味がある方は私の側には来ない方がいいと思います。 プッチンに人を見下すことはできません。 同じ目線に立って一緒に遊びたいならいいと思います。
暗闇ボクシング、暗闇バイク、次は・・・。 暗闇図画工作です。
全く高尚ではないですが・・それでもよければ・・よろしくお願いします。
暗闇図画工作は世の中で言われる誤った図画工作の認識には一切従いません。
それは図画工作に関わる人全員が「自由にのびのび」という決められた作法にのっとり、綺麗、カッコいい、面白い・・とされている型と一致したり類似する作品を評価し、決められた作法にのっとり「才能」「天才」と賞賛して、決められた作法にのっとり「輝かしい賞」を与えて、それを信じた子供たちが美術とデザインの世界に進みフルスウィングで空振りした後に玉砕するからです。 彼らが玉砕するのは図画工作の作法が美術とデザインの作法と全く似ても似つかないものだからです。 図画工作でガンダムやプッチンプリンを教えるわけにはいきません。 少なくとも時代錯誤でしょう。 他社様でどう見ても時代錯誤な感覚をご指導されて子供達が古臭い絵を描いてしまっている様子をよく見ますが、正直・・私にはできません。 図画工作の作法が問題なくそのまま通用するのであれば何もいいません。でも全く続かないのです。 これについて何も言わないのも美術とデザインの中にある作法です。私は礼儀がなっていませんね。 生徒をかき集めるための「時計仕掛けの作法」。