天育実験工房★幻想公開講座「うんこの図画工作教室」
● 創作という記号化
世の中にはないものが沢山あります。 グルメ番組で食べた時の感想が「おいしい」しかない・・。 それは言葉の限界が見えている瞬間です。 日本語にはおいしいの中にある様々な違いを表す言葉がないのです。 これは言葉の欠点でもあります。同時に言葉の可能性が見えることでもあります。 おいしいの中にある細かな違いを図画工作で表現することはできません。 新しい言葉はまだまだ創作が必要です。● 図画と工作はめんどくさい
絵を描いたり、粘土で何か作るのはめんどくさいことです。 多くの人がやらなくても良いならやりません。 日頃からやるように教育していなければやらないことです。 心からやりたいと思わなければ講座に参加しても絶対に上達しません。 勉強はもちろん野球やサッカーのように毎日テレビで放送されるようなものであればやる気にもなるでしょう。 図画工作はそのようなやる気を引き出せるような活動はしていません。なので講座を開講するにはみなさんを心からやる気にさせなければなりません。最初に言っておかなければならないのは、家で何もしたくない時に何もしないで良い時間が持てることは大切です。 いずれ詳しくお話ししなければならないことですが、家で休めるということは大切なことです。 図画工作がめんどくさいからやらないという以上に家で休めるようにしておくことは大切です。 めんどくさくて図画工作がしたくない子は家でそっとしてあげておいてください。 問題は何もやりたくないので何もやらない状態になってしまった場合にどのようにスイッチを入れなければならないか?です。 これも改めて詳しくお話ししなければなりません。 美術とデザインの世界は過労死する人がいるくらいのめり込むと激しい激務の世界です。 まずい状態になった時には人間はリセットするようになっています。なので基本人間も動物も休めるだけ休むようにできているのです。で も、過労死する場合はその時計が壊れてしまう・・。人間でも動物でも動く時は命の危険がある時です・・。 命が救われるから勉強をしたり、美術とデザインの仕事をするのです。それがわからなければやる気にはなりません。 人に働かせて自分がのんびりできる場合は働かずに温存した方が長生きできます・・。 家で働かずに学校にもいかずに寝ているだけで生きていける場合はそれも本能的には正解という答えが出る生き方です。 そうすると頭で働かなければとわかっていても体は動こうとしません。それを避けるにはそうなる前の長い長い長年のやりとりが大切なのです。 残念ながら図画工作でそれはできません。又詳しくお話しします。
図画工作は楽な遊びととられがちです。 実はそれが大間違いです。 よく考えてみてください。 図画工作でどうやって仕事をしますか?大変なのです。 図画工作は子供を集めるために「自由にのびのび」というキャンペーンを打って、勉強もスポーツも音楽も面倒。 遊んでいるか?寝ていたい!という子供でも図画工作なら「才能」で上手くいくというイメージを親御さんと先生に持たせて子供や学生をかき集めています。 で、集めた子供達にコンクールでは賞をあげたりしますが、将来それがそのまま上手くいくことは絶対にありません。
やる気にはモチベーションが必要です。 モチベートするには具体的に得るものがなければなりません。 図画工作の力でしかできないことがあればモチベーションは自然に湧きます。 面倒なことをする時は何か問題がある時です。問題があって仕事をする時。 つまり仕事をしなくてものんびり休んでいてもいい時にはやる気にはなりません。 図画工作の講座はのんびりしたい感じで受講する子が多いですがお休みモードの時には何を作っても上手くはいきません。 後は遊んでいたいのに無理に絵画教室に来ている時。絵画教室は強制的に叱りつけて描かせる所ではありませんから上手くいきません。 よく親御さんに家では躾をしないから躾て欲しいと言われますが、私にはやる気のある子に図画工作は教えられてもやる気のない子に躾たり図画工作を教えることは無理です。 私に強制的に制作させる感覚は全くありません。 制作してもうまくいかないのはのんびり休んでいたいのに仕事をしようとするからです。 子供にとって、大人にとっても取り組まなければならない仕事があります。 それが図画工作でしかできない仕事である時に図画工作のモチベーションは上がります。
● うんこの図画工作講座の背景
図画工作をすることは日常ではありません。図画工作を日常にするには日常で役にたつことでなければなりません。 お金になるからではなく、自然に役立つもの。表現しなければならない物事があるのは日常です。 でも、ほとんどの表現は言葉でできてしまいます。なので日常で言葉ではなく図画工作で表現しなければならない物事がモチベーションの湧く物事です。子供は、いや大人も多くの「隠し事」があります。 それらの多くは良かれと思って隠します。大抵のことは隠して正解でしょうが、中には表に出した方がいいこともあります。 出した方がいいとわかっていても、その時に困るのは表現の仕方がわからないことです。
「隠し事」にも色々あります。例えば「いじめ」や「虐待」、「パワハラ」「セクハラ」。親や先生に遠慮して発達障害で苦しんでいるなどです。 それらが長く続くようであれば「隠す」ことかどうか迷います。 カミングアウトすればこれまで大事にしてきた何かが大きく変わってしまいます。 できればそれは避けたい。やり過ごせるかどうか?多くの場合はやり過ごせてしまいます。 でも、やり過ごせないケースがあるのです。
やり過ごせない場合は隠す必要は一切ありません。 でもどうして良いかわからない場合は隠してしまいます。 本能的に隠してしまうこともあります。 自分の弱い部分を隠すのは人間だけに限りません。 飼い犬でも弱っていることが悟られると命の危険があるので隠します。 人間は犬とは違います。周りに弱いと思われたくない、親に迷惑かけたくないのはよくわかります。 でも理由はともかく重大な被害や問題は「隠してはならない」はずです。 でも実際は表に出すこともためらわれる。そして何を何からどう伝えていいか・・・伝えようとした時に上手い表現の方法がありません・・・。 図画工作の力は表現することです。慌てず、1つずつ、丁寧に、徹底的にあったこと、思ったことを完璧な図解にして、漫画にして絵や工作にすることができます。 完璧な教科書を作るかのように、言葉と絵を紡ぎます。それを繰り返していけば、図画工作や美術やデザインのことを気にしなくても表現力は養われます。 それが「天才」です。 親御さんにとっても「天才」かもしれませんし、いじめっこに対する「天才」かもしれません。 言えることはコンクールのための「天才」ではないこと。 言葉にできることは言葉にして、言葉にできないことは色と形に記録して残しておくことができます。 この講座の目的は「表現できるようにする」こと、特にもしもの時のために「嫌なことを表現できるようにすること」です。 普段は我慢が大切です。 でも度を超えることはあります。 そのような時にどんな考えで、どんな心に切り替えればいいのか?スイッチの入れ方も指導します。 表現者とはそもそも普段から何もないのにピーチクパーチクやるものではありません。 伝えなければならないことがあるから日常を捨てて表現者にならなければならないのです。 その多くは実はネガティブなこと。表現する内容がないのに表現者という概念はありません。 そして、いじめの現場の状況など余程巧みな文章力がなければ言葉で描写することが困難なことでも工作で伝えれば簡単な場合があります。 人形を作って誰がどこにいてこう・・・。 講座で扱う題材は世の中でタブーとされている物事です。 「いじめ」「発達障害」「セクハラ」は実践課題・・「うんこ」はタブーにする心理に打ち勝つ為の練習課題・・といったことを扱います。 これらをタブーにしてはならない。というのは誰もが抱く想いです。 それを形にします。 タブーにしないようにするためには誰もがいつでも表現者になれるように備えておくことができます。 「いじめ」「パワハラ」などが横行しているのは「バレない」と思われているからです。 簡単にバレる社会にすれば彼らの陰謀は消毒されて一瞬で消えます。 これらのことを公開されると困る人からすればこの講座は「クソ」です。 なのでこの講座は「うんこの図画工作教室」です。私がいた大学の研究室でも、前に勤めていた職場でも、クソ扱いされるようなこと。 クソ扱い・・大歓迎です。いじめをしている子には絵画教室で何をしているのか聞かれても「うんこ」の絵を夢中で描いているとでもいっておきましょう。 なのでこの講座で描いているものは全て「うんこ」です。 世の中からはおぞましいと考えられているものです。 クマビもおぞましいと思われるでしょう・・あ、大歓迎です。
子供はうんこを嫌がりますが、一部の大人はうんこが平気です。 子供はいじめを嫌がりますが、一部の大人はいじめが平気です。 あなたはいじめが平気ですか? 全てを敵に回してでも戦いませんか? 大人と子供を単純に比較はできないかもしれませんが、大人は強い面を持っています。 大人が強いのは色んな壁を超えているからだと思います。 でも大人の課題は「子供のいじめを止められないこと」。 この講座では「うんこ」を使って心の扉を開きます。 表現しなければならないことを描き連ねたうんこの図画工作日記「今日のうんこ」図画工作によってみんなの表現力を養い様々な問題の解決に役立てます。 「うんこ」は悪いものではないんですよ・・。 悪いものでなくなった瞬間に本当の悪人は慌てふためます。
「子供の(大人の)心の鍵を開くツールを作っておく」
うんこは汚いものです。先生や教育委員会やいじめている子が嫌うものです。 うんこの図画工作教室は嫌われているものを明るみにするのですから嫌われます。 汚いものを外に晒すなと思われるでしょう。 でもそれをいつでも出せるようにしておくことは大切なのです。 「いじめ」は多くの場合遺伝します。 つまり「いじめをする子」の親御さんも元は散々人をいじめていたり、未だに現役だったりします。 そのようなノウハウが家庭にあったりもします。 逆に「いじめられる子」も遺伝していることは多いです。 1つ言えることは悪いことや汚いことを「隠す子」が狙われることが多いです。 そして彼らの特徴は出し方がわからないこと。 「うんこ」の出し方を知りません。 だからいじめ放題です。 「隠す子」は「大人の振る舞い」をしっかりと躾けられた子に多いです。 そこを見越した上で狙われる場合があります。 つまり、いつでも晒せるようにしておくことが大切です。 「うんこ」をいつでも晒せる根性があれば舐められないんじゃないかな・・? 私、羞恥心ないので人前でうんこできます。
うんこは子供の心を開く鍵です。 普段はしまいこんでいなければならない隠し事を解放してみる機会を設けることで、いざとなればしまいこまずに表に出して良いことを印象付けておきます。 そもそも「うんこ」を隠すように教育したのは大人ですよね・・。 それと同じように隠してはならないことを隠してしまいます。 それはとても不味いことですよね・・。 生活をしながら何が起きるかはわかりません。 子供の大人が引き出さなければならない様々なことを引き出す切っ掛けを作ってください。 しまいこんでいなければならないことでも引き出さなければならない時はあります。 いじめの問題や病気など子供が大人に出し方がわからないために出せずにいることは少なくありません。 本来は例えば親子であれば大事なことで打ち明けられないことはないはずです。 「虐待」がある場合は言えませんね・・。 打ち明けられないのは信頼関係がないからかもしれませんし、打ち明けてはならないと考えているからかもしれません。 普段隠さなければならないことでも打ち明ける時に打ち明けるようにしておけば信頼関係を持っておくことができます。 うんこは子供の心の鍵を開くことができるツールの1つです。そもそも「うんこ」で隠すようにトレーニングしているのですから・・。 いじめや発達障害などのことを最初から扱うのは大変な場合や今の時点で何も問題がない場合は、最初は「うんこ」を描くところから始めます。