天育実験工房★幻想公開講座「うんこの図画工作教室」
● 図画の力
言葉よりも絵の方が伝えやすいものがあります。
それが図画の力です。
2つの花びらを並べて形の違いを細かく説明する時。
言葉を羅列しなくても図解をすれば各所の違いが一瞬にして一目瞭然にわかります。
写真があったとしても特徴を表していれば図の方がわかりやすいです。
記憶の中にある物を説明する時は写真を使えないので言葉か図が頼りです。
特にみなさんが講座で使う力は記憶を図に起こすことだと思います。
記憶にあるものを形として残す習慣は今はありませんが、必要であれば講座を通じてみなさんができるようになると思います。
記憶にあるものは見たものの特徴が「記号化」されて記憶されたものです。
皆さんには記号化という力が生まれながらに備わっています。
一度記号化されて記憶された図像であれば図が一瞬で頭に表出されるので説明するのが言葉よりも早いと思います。
記号化の力を使って絵を描くのは簡単ですが、その技術を知る人は少ないです。
(とても簡単なので学校の美術教育で実践するべきです。)
言葉にならないような色や形があります。
それは絵で表すしかありません。
物事を記憶して頭の中でその物事が言葉に置き換えられる「言葉化」がされて記憶された言葉であれば言葉を頭に思い浮かべて説明するのが楽です。
記憶にあるものを説明する時に主に使われるのは言葉だと思います。
問題はみなさんに図を描く苦手意識があること。
今以上にみなさんが図を簡単に描けるようになれば図の本当の力がみなさんに認めてもらえると思います。
記憶が形になるということは本当に便利なものです。
● 図画の力の弊害
図画に力があることがわかっても、絵の描き方がわからなかったり、難しいと思っていたり、才能がないので上達できないと思っている人は多いと思います。
でもそれらの全ては誤った指導からきている誤解です。
見たものを簡略化して記号化する力は皆さん既にお持ちです。
でも美術の世界はその力を使った指導をうまくできませんでした。
主な理由はテキストにすることが難しいからです。
テキストになっているものはテキストにしやすいけれど殆どの人が使わない測り棒の使い方ばかり・・。
うまくできなかった理由は誤解があるからです。
そもそも絵は簡単です。
生まれ持った力を引き出せばいいのですから。
それと自由にのびのび描かなければならないと誤解している人も多いです。
上手に描かなかなければならない時はのびのび描かなくても構いません。
実はのびのび描くことは上手に描くことの大きな弊害になるのです。
小学生であればまる描いてちょんか、異様に強く気持ち悪いほうれい線。
つまりそもそも記号化されて記憶されている形は上手く出せるものなのです。上手く描かせない指導がその力を引き出す機会を奪いました。
昔は絵を描く時に定規を使ったり、まっすぐ線を引いただけで、キチッと上手に描く考えについて「間違っている」と怒る先生がいましたが、上手に絵を描く時に定規が便利であれば使っても構いません。
昔は上手に描く人たちと権力闘争をするために絵は「自由にのびのび」描くものだと歌い続けた人たちがいましたが、それもいい加減うんざり。
そろそろ卒業です。
● 記号化された記憶
記憶の中にある物は写真に写すことはできません。
AIでも不可能です。
「記憶にある物」は言語化されていたり、記号化されています。
記号化されて映像で記憶しているものに関しては全般的に言葉で表すよりも絵で表した方が伝わりやすいことが多いです。
● デッサンとデザイン
デッサンのサンとデザインのザインは記号というサインからきています。
デッサンもデザインも見えたものを記号化すること。
文字も図も人間の記号化する力でできています。
● 覚えやすい記号化
記号化されて記憶しやすくなっているもの物は覚えやすいです。
記号化=漫画化、イラスト化、デザイン化、簡略化・・・などと解釈してもいいと思います
。歴史上の事実などの事柄は漫画にすると覚えやすいのはそのためです。
つまり記号化して覚えやすくなるものはどんどん漫画にした方がいいです。
教科書の全てを漫画と図解にすればよりわかりやすくなることは間違いありません。
漫画大国日本ならできるんじゃないかな・・。
言葉で学ぶ力を養うことは大切ですが、それには学校教育以上に家庭環境と家庭内の親御さんの子供への言葉の指導が重要です。
文法、発音、話しているうちに話が変わっているなどの問題を親御さんが持っている場合は言葉の力を養うことは難しいです。
(我が家がそうでした・・。)
言葉を学ぶ力は生得的な力ではありません。
脳の代替機能を使って言葉を理解しています。
それが行われるのは赤ちゃんの時です。
それに比べて図で理解する図像理解は生得的な人間が生まれ持った能力です。
言葉は養う必要がありますが、図像理解は養わずとも生まれ持っている能力です。
なので、言葉で勉強することはできない人が多いですが、図像で勉強することは誰にでもできるのです。
勉強できなくても色んなことを勉強してみんな生きてますよね・・。
そのため言葉による勉強ができるできないは生まれ育った環境に左右されますが図像理解は環境に左右されません。
図像理解の偏差値はみんな高いはずです。いわゆる地頭です。
みんな感じていることですよね・・。
なので勉強はできなくても社会で成功することはできますし、頭が悪いということではありません。
今の世の中は言語で評価しすぎですね・・。仕方ありません。言語による評価の仕方しかまだないのですから・・。
不思議なことに生得的な感覚の評価の方が遅れています。
うんこの図画工作教室では図画と工作を通じて生得的な力を引き出します。そ
れと日記に言葉を書き込むことで言葉の力を養っていきます。
● 絵画の力
私の家の子供は犬です。
家の子のわんちゃんが亡くなった時大きな紙に鉛筆で輪郭をなぞって型取りしました。
実際の大きさがそのまま残っているその絵は目の前で広げると今でもその子の姿がありありと蘇ります。
抱き上げた時の腕の感触も鮮明に戻ります。
私にとって絵はかけがえのないものです。
写真では実物のスケール感はそこまでわかりません。
家の子の写真も勿論大切ですが・・。
物は絵で表した方がわかりやすいことがあります。
それは絵画(図画、絵)の大きな力です。
家の子のことを言葉で説明してもらうより、絵や写真がいい時があります。
型取りは鉛筆でなぞるだけですから全く難しくありません。才能も必要ありません。
ほとんどの絵は難しいものでもなんでもなく、みんなの身近なものです。
決して近づきがたい高尚なものではありません。
高尚な先生には大変申し訳ありませんが、みんなの身近なものという認識から図画工作は仕切り直しです。
● 工作の力
工作は言葉以上に表しやすく伝えやすい事があります。
例えば友達が集まって何かをしていた時に誰がどこにいて、どのような姿勢で何をしていたのか?
記憶を頼りに説明しなければならない時、言葉と絵では表しづらいし、伝えづらいと思います。
紙粘土で人の形を作りその場を想定して配置し、姿勢を作れば状況は表しやすく、伝えやすいです。
このように工作には言葉や絵では表しづらいものを表しやすくする力があります。
出来事は全般的に言葉や絵で表すよりも立体の方が伝わりやすいことが多いです。
これは工作の大きな力です。
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