権力者蹂躙ハザード
美術とデザインの世界には必ずその場を取り仕切る人がいます。
美術とデザインの世界を俯瞰すれば権力を持つものとそれに従うものという避けられない形が見えてきます。
権力者の掌の上でなら、与えられた時間の中では自由にのびのびすごすことは許されます。でもそれでは、その外に出れば途端に自由は無くなります。
つまりこの場合の自由は制約の中にいっとき「演出された自由」だったり、「制約によって権力者に許された自由」なのです。
制約の中では、
掌の中で可愛い子供のような「作り笑い」をして幸せそうな顔をしている人がいわゆる美術の中で自由にのびのびしている人です。
掌の中で苦悶の表情をしている人が最初の話と違うので勇気を持って掌の外へ出るかどうか迷っている人です。
疲れはてた顔で黙って必死に何かを作っている人が権力者になろうとしている人です。
さて、本当の自由とはなんでしょうか?
権力者になることですか?
私はこのシステム自体を壊すことだと思います。
美術の世界には、学校、企業、美術館、画廊、市場があります。
特に話題に上がるのは美術館と画廊と市場です。
学校に日が当たることはありません。
それは権力者が主に、美術館と画廊と市場にいるからです。
私が興味を持っているのは学校です。
なぜなら日本人にとっての美術とデザインは主に学校の美術と企業のデザインだからです。ほぼ全ての日本人にとって美術館と画廊と市場の実情は関係ありません。蚊帳の外の関与する必要のない無関係のものです。
とるに足らないものなので勝手にやらせておけばいい。
学内で権力者の掌から外へ出ることは許されません。
さらに学校を出ても、その先に開かれた世界も自由でのびのびで、自分の思い通り遊んでもいてもいい、明るい世界ではありません。
いつも必ず権力者がいて完全に言われたことに従わなければなりません。
つまり、美術の世界は人のいうことをよく聞ける人しか残れません。
権力者の権力を受け入れなければならない世界です。
学校の先には、画廊や美術館、企業、さらに学校があります。その全てが権力者の世界です。
難関校を出た方が制約の中でのパーソナルスペースは広い。
簡単に入れる大学を出ればそれだけパーソナルスペースが狭まります。
なので美術予備校では難関校に入るために受験生が受験勉強に励んでいます。
人に支配されているので「自由にのびのび」とは真逆の世界。
美術の世界には「自由にのびのび」を目指そうとする思想があります。
でも皆さんよく考えてみてください。
人が集まった時に全員が自分の好きなように自由にのびのびできますか❔
本当に自由にのびのびできるのはグループや集団の中の一人です。
つまり権力を持った人間のみが自由にのびのびできる。
それが美術の世界です。
「自由にのびのび」できるようにするには権力者になるしかない。
自由にのびのびをうたって本当に自由にのびのびできるのはたった一人。
例えば子供の図画工作コンクールで皆んなが一番欲しいいい賞がもらえるのはたったの1名です。
美術の世界は世の中から不可解だと思われています。
その原因の1つが権力者を隠していることだと私は考えています
。 最初から権力者がいるとわかっていたら誰も来ないかもしれませんよね。
自由にのびのびを誘い文句に声高らかにうたいながら実は権力者1名が自由にものを考えてそれ以外の人間は従うしかない。
グループの中の全員が自由にのびのび行動したらどうなりますか?
一瞬で崩壊しますよね。
崩壊を誰かが止めなければならないですよね。
なので必ず現場を統率する権力者が必要なのです。
美術とデザインの世界を俯瞰すれば権力を持つものとそれに従うものという避けられない形が見えてきます。
権力者の掌の上でなら、与えられた時間の中では自由にのびのびすごすことは許されます。でもそれでは、その外に出れば途端に自由は無くなります。
つまりこの場合の自由は制約の中にいっとき「演出された自由」だったり、「制約によって権力者に許された自由」なのです。
制約の中では、
掌の中で可愛い子供のような「作り笑い」をして幸せそうな顔をしている人がいわゆる美術の中で自由にのびのびしている人です。
掌の中で苦悶の表情をしている人が最初の話と違うので勇気を持って掌の外へ出るかどうか迷っている人です。
疲れはてた顔で黙って必死に何かを作っている人が権力者になろうとしている人です。
さて、本当の自由とはなんでしょうか?
権力者になることですか?
私はこのシステム自体を壊すことだと思います。
美術の世界には、学校、企業、美術館、画廊、市場があります。
特に話題に上がるのは美術館と画廊と市場です。
学校に日が当たることはありません。
それは権力者が主に、美術館と画廊と市場にいるからです。
私が興味を持っているのは学校です。
なぜなら日本人にとっての美術とデザインは主に学校の美術と企業のデザインだからです。ほぼ全ての日本人にとって美術館と画廊と市場の実情は関係ありません。蚊帳の外の関与する必要のない無関係のものです。
とるに足らないものなので勝手にやらせておけばいい。
学内で権力者の掌から外へ出ることは許されません。
さらに学校を出ても、その先に開かれた世界も自由でのびのびで、自分の思い通り遊んでもいてもいい、明るい世界ではありません。
いつも必ず権力者がいて完全に言われたことに従わなければなりません。
つまり、美術の世界は人のいうことをよく聞ける人しか残れません。
権力者の権力を受け入れなければならない世界です。
学校の先には、画廊や美術館、企業、さらに学校があります。その全てが権力者の世界です。
難関校を出た方が制約の中でのパーソナルスペースは広い。
簡単に入れる大学を出ればそれだけパーソナルスペースが狭まります。
なので美術予備校では難関校に入るために受験生が受験勉強に励んでいます。
人に支配されているので「自由にのびのび」とは真逆の世界。
美術の世界には「自由にのびのび」を目指そうとする思想があります。
でも皆さんよく考えてみてください。
人が集まった時に全員が自分の好きなように自由にのびのびできますか❔
本当に自由にのびのびできるのはグループや集団の中の一人です。
つまり権力を持った人間のみが自由にのびのびできる。
それが美術の世界です。
「自由にのびのび」できるようにするには権力者になるしかない。
自由にのびのびをうたって本当に自由にのびのびできるのはたった一人。
例えば子供の図画工作コンクールで皆んなが一番欲しいいい賞がもらえるのはたったの1名です。
美術の世界は世の中から不可解だと思われています。
その原因の1つが権力者を隠していることだと私は考えています
。 最初から権力者がいるとわかっていたら誰も来ないかもしれませんよね。
自由にのびのびを誘い文句に声高らかにうたいながら実は権力者1名が自由にものを考えてそれ以外の人間は従うしかない。
グループの中の全員が自由にのびのび行動したらどうなりますか?
一瞬で崩壊しますよね。
崩壊を誰かが止めなければならないですよね。
なので必ず現場を統率する権力者が必要なのです。