仕事ハザード
美術の世界には様々なハザードがあります。
日本はハザードによって「天才」の芽が潰されています。
私はこのハザードを取り払わなければならないと考えています。
私は美術の天才を潰すハザードを「天才ハザード」と表現することにしました。 そう表現して問題を徹底的に駆逐します。
今回のお話は美術の世界にまつわる仕事の問題です。 私はこれを「仕事ハザード」と表現します。 「仕事ハザード」は芸大美大生の多くが就職活動をし辛い空気の中にあること。 卒業後に美術にまつわる仕事につき辛い状況にあること。 又、いびつな状況が詐欺とも言えるようなおかしなビジネスを生んでいること。 そして今はビジネスとして成立していても時代の流れによって成立しなくなるビジネスがあることについて書いています。
今の芸大美大のデザイン系以外の多くの学部および専攻は学生を企業へ就職させることに対してまだまだ消極的です。 まだまだです・・。 かつてはまるでありませんでした。 デザイン系以外の多くの学生が第一に志望するのは作家への道です。 大学卒業後、専攻によっては現実的に作家としての活動のみで生涯生計を立て続けられるのはほんの一握りの学生です。 多くの学生は卒業後に就職をしてお金を稼がなければなりません。
私の見る限り、学生の間に卒業後、お金を稼がなければならないことを大学在学中に現実的に考えられているのはほんの一握りの学生です。 大学での指導は作家として生計を立てられる一握りの学生に対する作品への指導しかありません。 つまり、学生はその1点に向かうしかなく、「仕事をしながらアートと向かいあっていく」という大半の学生が向かい合う現実に対する指導は一切ないのです。 大学の教員が「大半の学生が卒業後に直面する“働く”という現実」と向かい合わないのは、そんなことをしなくても、みんなが大人しく右へならえして1点に特攻してくれるからです。 芸大美大の学生には特徴があります。 それは、勉強やスポーツが苦手で負い目を感じている点です。 劣等感を抱き、それを救ってくれたのが図画工作で賞を取れたりしたことでした。 そして勇気付けられて「才能」があると思って美術の世界に来ています。 つまり、自分に強みがあって、それを押し通す子は、元々勉強の世界に止まります。 漫画に興味のある子は芸大美大を迂回して直接プロの世界に進みます。 芸大美大に進む子の中に漫画に興味のある子は多いですが、大学に行かずにプロの世界に飛び込む勇気のない子が多いです。 スポーツも同じです。 音楽は幼い頃から英才教育を受けている子は強いと思います。 美術の世界に来る子は英才教育を受けている子はいません。 美術の世界の子の多くは勉強とスポーツで押し切れなかった子です。 なので大学の先生に1点を目指すように言われれば、それに逆らう勇気はありません。 多くの学生が先生の言うことに従ってしまいます。 彼らはそのように従順なのです。
大学の教員の多くは教員以外の仕事をしたことのない人間です。 そのため、教員以外の仕事をする感覚がないため、大学卒業後に教員以外の仕事をする人に対して「もったいない」という印象を持ちます。 「もったいない」という感覚は親御さんから制作に不自由しない十分なお金の支援がある学生が持ち得る感覚です。 十分なお金の支援を受けながら、制作以外のことに労力や時間を割くのは確かに「もったいない」ことです。 でも、そのような恵まれた家庭環境にある人間はほんの一握りで、多くの学生は卒業したら仕事をしなければなりません。 実際には殆どの学生が仕事をしながらアートと向かい合うことになります。 つまり、現状で不可欠な指導は大学を出た後に仕事をしながらいかに制作を続けていくか?ということで、その際役立つ活きる手立てです。 芸大美大生の大半が進む道となるその先には多くの学生の夢を叶える無限の可能性があります。 つまり、今の芸大美大はその可能性に眼を向ける意識がないのです。 その可能性には消極的で仕事をしなくても作家になれる運のいい学生を育てる機能しかありません。 それだけ運のいい学生には、そもそもそれといった指導はもともと必要ありません。 殆どの学生は卒業後、美術的に死にます。 本来芸大美大は努力をしなければ死んでしまう学生に対してどのように指導すべきか考え、研究し、実践するべきです。 でもそのような考えはありません。殆どの学生が死ぬ理由は生活の手段がないからです。 大学は美術的に死をむかえた学生を見つけると「行方不明」と言ってほくそ笑みます。 彼らがほくそ笑むのは自らが親の擁護を受けて長い間学生を続けられた運のいい人間で、「行方不明」になった卒業生を見つけた時に、自らの幸運を体の芯から実感するからです。 なので彼らはいつもついついほくそ笑んでしまいます。 多くの教員が学生の前ではほくそ笑みませんが、人目をはばからずほくそ笑む教員は少なくありません。 あえて見せつけて自らを誇示する愚かな教員もいます。情けない・・。 でも、そのような無能な教員にその無能さをわからせて反省させる機能は今の大学にはないのです。
大学が学生を作家に育て上げるために一番必要なことはアートを目指す学生の、わかりやく言えば「保育」です。 みっともない印象を与えてしまうので大声では言えませんが「芸大美大卒業生の保育」です。 「保育」という言葉がピッタリはまってしまうほど芸大美大の卒業生は弱く「保育」するくらいに擁護しなければすぐに死んでしまいます。 仕事をしない、仕事のことを考えない学生は、現実に触れた一瞬で崩れ去る赤ん坊や幼児のように脆く、弱い存在です。 仕事をさせず、考えさせないなら保育をするべきです。 保育をしないのであれば、仕事をさせるべきです。 現状では親御さんが保育してくれる学生のみが生き残っています。 それは、芸大美大がいかに非力か?ということです。 つまり、そこまで擁護していただける親御さんがいれば、それは親御さんの実力がすごいのであって、大学は何もする必要はないのです。 大学の教員にできることは縁故の大学に縁故の学生を就職させることしかありません。 そして、社会が子供を芸大美大、美術、図画工作に預けられないのは、美術の世界に入らずとも親御さんが大学を卒業させた後まで経済的な支援ができるわけがないことと、それができなければ子供が確実に潰れることがわかるからです。
今は芸大美大に対して社会と時代からの具体的な要請がある珍しいタイミングでもあります。 それでも尚且つ芸大美大にはこれまでの思想の残像が邪魔をして、学生に、作品を作る以外の、生活のための経済活動を考え行動させる指導に対して消極的であり、教員の意識が希薄で、教員は、学生に卒業後生きていくために不可欠な仕事をさせるための具体的な指導の手立てが極端になく考え方があさはかで発想が貧困です。 学生全員を活かすためには、夢を頓挫させないように制作の傍や、制作の手を一旦止めて仕事をさせる時が必要です。 学生の将来を一生涯の長いスパンで仮定して潰さないように活かす計画を立てることができれば、これまでほんの一握りの運の良い人間にしか光が当たらなかった状況が一変し「学生全員を活かす」ことができます。 その中から必ず「天才」が出てくる。 それを実現させるためには、就職に対する寛容な姿勢と、学生全員の将来に対応できるだけの心を教員が持ち合わせ、仕事を観る眼を持ち、複雑で柔軟な頭で考え、学生が社会に出て実行できる具体的な計画を構想することが必要です。 多くの教員が作家活動に向かわせる手立てしか持ち合わせていない。 それ・・すごく楽で恐ろしく怠慢ですよね・・。
美術が・・芸大美大が、今の時代を乗り切るには、学生をアーティストに育てていきながら、その傍で学生にはいつでも路線変更できるように優良企業への就職を軸に、仕事を探して就職するまでのインフラ整備をして、いつでも仕事ができるようにわかりやすく示すことが必要です。 それによって学生は在学中に思う存分制作に打ち込めるようになります。 一度作家活動の道に進んだ後も生活を破綻させないセカンドキャリアの道を作り上げて安心させることも必要です。 間違っても、就職活動への興味を高めないようにしたり、持たないように、就職活動に目が向かないように生徒たちの言動をコントロールするような邪魔はするべきではありません。 これからは仕事をすることに眼を向けて積極的に勧めるべきです。 学生が制作を続けていくことが困難になり、限界に達した時にいつでも優良企業への就職に切り替えることができれば、時間の許す限り、心置きなくアーティストへの道に突き進むことができます。
受験生減少が下げ止まらないのは学生の多くが玉砕する事実を社会がよく認識しているからです。 つまり玉砕する芸大美大には社会にとって価値はない。 と言われているのです。 私が美術予備校にいて微かに聞こえてくるのは子供に芸大美大を目指させない親御さんや目指すように勧めない高校の先生のそのような声です。 その声の音の大きさは微かでも、その声の体は芸大美大を簡単に軽く飲み干せるほど巨大です。 でも、その通りですよね?大学は現状で学生に対して卒業後に生活をしていくための有効な、具体的に指導できる手段が教員免許しかない・・。 あまりにも馬鹿げてませんか?
芸大美大の学生たちの玉砕をなくすには、アートのセカンドキャリアサポートセンターが必要です。 日本にはないので天才育成計画で構想は立てています。急がなければ・・。
現状では学生たちは背水の陣でアーティストへの道を目指します。 科によっては大学や友達のために自分を犠牲にしなければなりません。 背水の陣ということが受験生と大学生にとってそれぞれが将来のビジョンを思い描く際に大きな弊害になっています。
人は生きていくためには仕事をしなければならない。 この論理を見失ったり、考え方を間違えてしまえば人を育てることはできません。 今の芸大美大は大きな過ちを犯していると思います。
芸大美大の先生方に是非とも想像してみていただきたい。 自分が大学の教員を辞めたらどうなるか? 今の仕事を辞めれば生きていけませんよね? あなた方にその力はないはずです。 学生たちの多くは大学の教員という恵まれたポジションにつくことはできません。 それどころかあなた方ほど長く学生生活を続けることは殆どの学生のご家庭には不可能です。 学生のほぼ全員に対して大学がパーフォーマンスを最大限に発揮して与えられる最良の仕事は優良企業への就職です。 まず、軸にするのはそこです。 他にはありません。 生きていくためには仕事をしなければならない。 仕事がないということは即ち死です。 学生を美術的に死なせてはなりません。 美術的に死んだゾンビが日本に何万人いるか・・。 彼らを美術的に生き返らせることもしなければなりません。 てんいくの「ありんす計画」・・。 早く実行しなければ・・・。
私は美術の天才を潰すハザードを「天才ハザード」と表現することにしました。 そう表現して問題を徹底的に駆逐します。
今回のお話は美術の世界にまつわる仕事の問題です。 私はこれを「仕事ハザード」と表現します。 「仕事ハザード」は芸大美大生の多くが就職活動をし辛い空気の中にあること。 卒業後に美術にまつわる仕事につき辛い状況にあること。 又、いびつな状況が詐欺とも言えるようなおかしなビジネスを生んでいること。 そして今はビジネスとして成立していても時代の流れによって成立しなくなるビジネスがあることについて書いています。
今の芸大美大のデザイン系以外の多くの学部および専攻は学生を企業へ就職させることに対してまだまだ消極的です。 まだまだです・・。 かつてはまるでありませんでした。 デザイン系以外の多くの学生が第一に志望するのは作家への道です。 大学卒業後、専攻によっては現実的に作家としての活動のみで生涯生計を立て続けられるのはほんの一握りの学生です。 多くの学生は卒業後に就職をしてお金を稼がなければなりません。
私の見る限り、学生の間に卒業後、お金を稼がなければならないことを大学在学中に現実的に考えられているのはほんの一握りの学生です。 大学での指導は作家として生計を立てられる一握りの学生に対する作品への指導しかありません。 つまり、学生はその1点に向かうしかなく、「仕事をしながらアートと向かいあっていく」という大半の学生が向かい合う現実に対する指導は一切ないのです。 大学の教員が「大半の学生が卒業後に直面する“働く”という現実」と向かい合わないのは、そんなことをしなくても、みんなが大人しく右へならえして1点に特攻してくれるからです。 芸大美大の学生には特徴があります。 それは、勉強やスポーツが苦手で負い目を感じている点です。 劣等感を抱き、それを救ってくれたのが図画工作で賞を取れたりしたことでした。 そして勇気付けられて「才能」があると思って美術の世界に来ています。 つまり、自分に強みがあって、それを押し通す子は、元々勉強の世界に止まります。 漫画に興味のある子は芸大美大を迂回して直接プロの世界に進みます。 芸大美大に進む子の中に漫画に興味のある子は多いですが、大学に行かずにプロの世界に飛び込む勇気のない子が多いです。 スポーツも同じです。 音楽は幼い頃から英才教育を受けている子は強いと思います。 美術の世界に来る子は英才教育を受けている子はいません。 美術の世界の子の多くは勉強とスポーツで押し切れなかった子です。 なので大学の先生に1点を目指すように言われれば、それに逆らう勇気はありません。 多くの学生が先生の言うことに従ってしまいます。 彼らはそのように従順なのです。
大学の教員の多くは教員以外の仕事をしたことのない人間です。 そのため、教員以外の仕事をする感覚がないため、大学卒業後に教員以外の仕事をする人に対して「もったいない」という印象を持ちます。 「もったいない」という感覚は親御さんから制作に不自由しない十分なお金の支援がある学生が持ち得る感覚です。 十分なお金の支援を受けながら、制作以外のことに労力や時間を割くのは確かに「もったいない」ことです。 でも、そのような恵まれた家庭環境にある人間はほんの一握りで、多くの学生は卒業したら仕事をしなければなりません。 実際には殆どの学生が仕事をしながらアートと向かい合うことになります。 つまり、現状で不可欠な指導は大学を出た後に仕事をしながらいかに制作を続けていくか?ということで、その際役立つ活きる手立てです。 芸大美大生の大半が進む道となるその先には多くの学生の夢を叶える無限の可能性があります。 つまり、今の芸大美大はその可能性に眼を向ける意識がないのです。 その可能性には消極的で仕事をしなくても作家になれる運のいい学生を育てる機能しかありません。 それだけ運のいい学生には、そもそもそれといった指導はもともと必要ありません。 殆どの学生は卒業後、美術的に死にます。 本来芸大美大は努力をしなければ死んでしまう学生に対してどのように指導すべきか考え、研究し、実践するべきです。 でもそのような考えはありません。殆どの学生が死ぬ理由は生活の手段がないからです。 大学は美術的に死をむかえた学生を見つけると「行方不明」と言ってほくそ笑みます。 彼らがほくそ笑むのは自らが親の擁護を受けて長い間学生を続けられた運のいい人間で、「行方不明」になった卒業生を見つけた時に、自らの幸運を体の芯から実感するからです。 なので彼らはいつもついついほくそ笑んでしまいます。 多くの教員が学生の前ではほくそ笑みませんが、人目をはばからずほくそ笑む教員は少なくありません。 あえて見せつけて自らを誇示する愚かな教員もいます。情けない・・。 でも、そのような無能な教員にその無能さをわからせて反省させる機能は今の大学にはないのです。
大学が学生を作家に育て上げるために一番必要なことはアートを目指す学生の、わかりやく言えば「保育」です。 みっともない印象を与えてしまうので大声では言えませんが「芸大美大卒業生の保育」です。 「保育」という言葉がピッタリはまってしまうほど芸大美大の卒業生は弱く「保育」するくらいに擁護しなければすぐに死んでしまいます。 仕事をしない、仕事のことを考えない学生は、現実に触れた一瞬で崩れ去る赤ん坊や幼児のように脆く、弱い存在です。 仕事をさせず、考えさせないなら保育をするべきです。 保育をしないのであれば、仕事をさせるべきです。 現状では親御さんが保育してくれる学生のみが生き残っています。 それは、芸大美大がいかに非力か?ということです。 つまり、そこまで擁護していただける親御さんがいれば、それは親御さんの実力がすごいのであって、大学は何もする必要はないのです。 大学の教員にできることは縁故の大学に縁故の学生を就職させることしかありません。 そして、社会が子供を芸大美大、美術、図画工作に預けられないのは、美術の世界に入らずとも親御さんが大学を卒業させた後まで経済的な支援ができるわけがないことと、それができなければ子供が確実に潰れることがわかるからです。
今は芸大美大に対して社会と時代からの具体的な要請がある珍しいタイミングでもあります。 それでも尚且つ芸大美大にはこれまでの思想の残像が邪魔をして、学生に、作品を作る以外の、生活のための経済活動を考え行動させる指導に対して消極的であり、教員の意識が希薄で、教員は、学生に卒業後生きていくために不可欠な仕事をさせるための具体的な指導の手立てが極端になく考え方があさはかで発想が貧困です。 学生全員を活かすためには、夢を頓挫させないように制作の傍や、制作の手を一旦止めて仕事をさせる時が必要です。 学生の将来を一生涯の長いスパンで仮定して潰さないように活かす計画を立てることができれば、これまでほんの一握りの運の良い人間にしか光が当たらなかった状況が一変し「学生全員を活かす」ことができます。 その中から必ず「天才」が出てくる。 それを実現させるためには、就職に対する寛容な姿勢と、学生全員の将来に対応できるだけの心を教員が持ち合わせ、仕事を観る眼を持ち、複雑で柔軟な頭で考え、学生が社会に出て実行できる具体的な計画を構想することが必要です。 多くの教員が作家活動に向かわせる手立てしか持ち合わせていない。 それ・・すごく楽で恐ろしく怠慢ですよね・・。
美術が・・芸大美大が、今の時代を乗り切るには、学生をアーティストに育てていきながら、その傍で学生にはいつでも路線変更できるように優良企業への就職を軸に、仕事を探して就職するまでのインフラ整備をして、いつでも仕事ができるようにわかりやすく示すことが必要です。 それによって学生は在学中に思う存分制作に打ち込めるようになります。 一度作家活動の道に進んだ後も生活を破綻させないセカンドキャリアの道を作り上げて安心させることも必要です。 間違っても、就職活動への興味を高めないようにしたり、持たないように、就職活動に目が向かないように生徒たちの言動をコントロールするような邪魔はするべきではありません。 これからは仕事をすることに眼を向けて積極的に勧めるべきです。 学生が制作を続けていくことが困難になり、限界に達した時にいつでも優良企業への就職に切り替えることができれば、時間の許す限り、心置きなくアーティストへの道に突き進むことができます。
受験生減少が下げ止まらないのは学生の多くが玉砕する事実を社会がよく認識しているからです。 つまり玉砕する芸大美大には社会にとって価値はない。 と言われているのです。 私が美術予備校にいて微かに聞こえてくるのは子供に芸大美大を目指させない親御さんや目指すように勧めない高校の先生のそのような声です。 その声の音の大きさは微かでも、その声の体は芸大美大を簡単に軽く飲み干せるほど巨大です。 でも、その通りですよね?大学は現状で学生に対して卒業後に生活をしていくための有効な、具体的に指導できる手段が教員免許しかない・・。 あまりにも馬鹿げてませんか?
芸大美大の学生たちの玉砕をなくすには、アートのセカンドキャリアサポートセンターが必要です。 日本にはないので天才育成計画で構想は立てています。急がなければ・・。
現状では学生たちは背水の陣でアーティストへの道を目指します。 科によっては大学や友達のために自分を犠牲にしなければなりません。 背水の陣ということが受験生と大学生にとってそれぞれが将来のビジョンを思い描く際に大きな弊害になっています。
人は生きていくためには仕事をしなければならない。 この論理を見失ったり、考え方を間違えてしまえば人を育てることはできません。 今の芸大美大は大きな過ちを犯していると思います。
芸大美大の先生方に是非とも想像してみていただきたい。 自分が大学の教員を辞めたらどうなるか? 今の仕事を辞めれば生きていけませんよね? あなた方にその力はないはずです。 学生たちの多くは大学の教員という恵まれたポジションにつくことはできません。 それどころかあなた方ほど長く学生生活を続けることは殆どの学生のご家庭には不可能です。 学生のほぼ全員に対して大学がパーフォーマンスを最大限に発揮して与えられる最良の仕事は優良企業への就職です。 まず、軸にするのはそこです。 他にはありません。 生きていくためには仕事をしなければならない。 仕事がないということは即ち死です。 学生を美術的に死なせてはなりません。 美術的に死んだゾンビが日本に何万人いるか・・。 彼らを美術的に生き返らせることもしなければなりません。 てんいくの「ありんす計画」・・。 早く実行しなければ・・・。