美術の「闇」と闇が作る言葉のハザード(災害)
美術には闇があります。
くら~い、くらい、くらやみです。
で、私は怒っています。
何に対して? あ、美術に・・・、です。
え~と、やみくもに美術に怒るというより、勝手にモヤッと独り歩きしている煙のような、ん~実態のない、とにかく色々です。
で、とにかく、手当たり次第に責めても意味ないので言葉に絞ります。
言葉について怒ります。?
正しく言うと言葉に怒鳴っても意味ないので、曖昧な言葉を生んでいるもろもろとか、問題の出所に怒ります。
いい加減な感じが通用している所とか・・・。
まあようするに人です。
でも直接的に誰かを責めるということはしません。
そういった意味でいうと言葉とか概念を責めるといった方が正しいかもしれません。
そーですねー。いい加減な感じでぼーと流している採点とか。
きちんとした採点の仕方をコソッと公開したら、サクッと飛びついてくれて解決するので、そんな感じです。
これから無償の奉仕の精神でコツコツやっていきます。
生意気言って申し訳ないですが、誰も気づいていない明らかな間違いがあるのでそれを責めます。
で、多分、誰も生意気って言えなくなります。
日本中の美術の世界のどんな偉い人たちも。
生意気言ってごめんなさい。
闇が・・・などというと、
同業の方や美術の世界で仕事をして生活の基盤を得ている方には、はなから何を言い出すんだ!
と不快に思う方も多いと思います。
その点についてはお詫び申し上げます。
でも、闇。
あってはならないことですが、闇という部分に多くの共感を得られるんですね。
不思議と。
あってはならないんですよ。
これ、最低ですから。
美術関係者の中にも真面目に向かい合っている人がいるのはわかります。
でも、正直、殆どの人が一生懸命というより、長いものに巻かれるってかんじですよね?
後、美術の外の一般の人たちから美術ってよくわからない、ん~なんとなく生活くるしそーとか、暗いイメージを持たれているのは、わかりますよね?
私がこれから話す内容は、負の感情を引き出す発言ですので、
美術の発展のために今ある美術を信頼して真摯な態度で頑張って盛り上げようとしている美術の関係者に対しては、
水を差すような裏切り行為だと思います。
どこかで水を差さないと変われないのです。
美術の世界を変えたいので言わせて頂きます。
美術には闇があります。
あ、で、私、怒っています。
こーみえて。
誰ってわけではないですが、状況に。
さっき、不快に思う人も多い、といいました。
でも、美術の世界の中で仕事をされている人の大多数の方は、実際には逆に感じる方が多いですよね。
闇がある。と唐突に言われても、きっとこれのことを言っているのかな?
と思い当たる所が多々ありますよね。
なので、美術には闇があります。
・・・。ということに同意される人が殆どだと思います。
で、怒っています。という声も、
それを聞いて胸がすく思いをしている人は多いと思います。
で、私、やりますよ!徹底的に。
ていうか、もう始めてますけどね・・・。水面下で。水面ってどこ?内緒です。
理不尽を伝える場がないから黙っている。
皆さんそうですよね。
美術はその言葉の通り、美しさを追及する側面を持っています。沢山。
なので、負の声は上がりにくい。
私もそうですが、あらゆる負の声を美談に変える話術を持っています。
私も含めて美術の世界の中の人間はこの世界を美しい話で満たして闇を隠してきました。
私は美術の世界を大きく社会に貢献できる世界にしたい。
でも、皆さんの納得を得られない限りは美術が今以上に大きく変われる見込みはない。
そうですよね。
変われないのは隠してきた闇があまりにも大きくなりすぎたからです。
あ、しっぽがもう隠れていません。
不快に思う側にいる人でも、実際は多くの不快に思った人が、権力を持つ者に従わなければ食べていけないから従っているだけ。
本音では、目の前の上司や先生をポンコツと思っていても。
私みたいなポンコツも含めて。
私がこれまでに美術の中の人と内々に話をしてきた会話の全てがそのような話でした。
そうですよね。
美術の歴史を見ると印象派の頃から現在まで美術の世界は大きく変わってきました。
最初は大きかった揺れは次第に小さくなり、油絵についてはこの30年小さな波一つたっていません。
この波を変える油絵の天才は世界のどこかから現れるはずですが、
いったい何時何処から現れるのか?
あ、天才育成計画は日本から世界を塗り替える油絵の天才を出すつもりでいますが・・・。
一応いけるつもりです。
この10年、時を待っていました。
やっほーい。 ほっほっ。
何の波も、何の作品も生み出せない世界は年々規模が縮小します。
作品はなくとも組織の形だけは残り、年功序列で偉くもないのに偉くなり。
勘違いする者も現れ・・・。
生徒も先生もこの人の何がすごいのかさっぱりわからず、
でも、会話の中の語尾に必ずつける「ご活躍」という言葉を聞くと、その響きがなんかすごいような感覚を呼び起こし、
感覚が自己暗示をかけるための都合のいい幻想を生む。
「ご活躍」幻想が積み重ねる構造・・・それは幻想。
中身は・・・か。
私は現在の、美術の正しいと言われる場所の、どまんなかの、中心にいる人間の話がまったく頭に入ってきません。
そこに、なんの正義も、トキメキも、ロマンも感じません。
逆に負の世界の方に巨大な正義、トキメキ、ロマンをビンビン感じます。
世界には正と負があります。
世の中の「正しい」という認識は今後大きく変わります。
美術の多くの組織の幻想で構築した正は一瞬にして負に変わるでしょう。
消毒されるように。
そのための外堀を徹底的に埋めなければなりません。
それを実現するのは正しい言葉です。
「脱ご活躍」
美術の世界の生と負は間違いなく入れ替わる。
と確信しています。
これまでの美術の正は一部の人間の手による、一部の人間のための正でした。
でも、美術と言えば限られた人間にしか扱えない代物でした。
美術をやるには、とにかくお金がかかりました。
でも今は違います。
画材が安価になりました。
発表の手段がインターネットで変わりました。
かつては美術館、少し前は画廊で発表するしかなかった。
学芸員と審査員に観る眼がなくても、でも公募に出品するしかなかった。
これまでの美術は一部の人間の手による、一部を対象にした正でした。
なので全体には実は負です。
それを隠蔽するための言葉が「天才」「才能」です。
例えば社会的な需要がないにも関わらず学校は多くの生徒を入学させます。
先生が食べていくために。
それを隠蔽するために多用したのが「天才」という言葉です。
「10年に一人の天才」
聞いたことがある人はいますよね。
彫刻家は日本に数人いればいい。
でも芸大美大の彫刻科の卒業生は数百人。
ほぼ全員があぶれます。
油絵を描く画家は日本に数人いればいい。
証拠に世界を揺るがすような油絵を描く画家は日本にはいない。
日本の芸大美大の油絵科では「絵なんか描いていてもしょうがない」という言葉がある。
その証拠に世界に油絵を描く画家で評価できる人は数人しかいない。
これまでの卒業生で、評価できる人と作品は、映像やインスタレーションや、絵画と言っても、油絵とは違います。
そのような状況であるにもかかわらず、全国で毎年数百名の油絵科生が卒業します。
世の中にそれだけの学生を輩出する必要がある!というわけではなく、
大学が運営するために学費を集める学生数がそれだけ必要というだけで。
学生たちは定員ほどの需要がないことくらいはわかります。
でもまさか殆どの生徒が彫刻や油絵で食べていけない!
そのことが予備校の段階でわかっていたら彫刻科と油絵科を専攻していないはず。
卒業後の実態を公にしないのは受験生が激減するからです。
大学と予備校はやらないでしょうね。
なんで私がやります。
負の世界に人を誘うのは学校だけではありませんが、
学校が生んだこの闇は他の業界にも伝搬し学校以外の世界とつながり闇を共有しています。
あ、闇って例えば儲けです。
例えばゲームやアニメの専門学校から企業へ!
しっかり伝わっています。
就職できる優良企業はほんの一部で、殆どがブラックであるにも関わらず、実態は闇に隠されている。
これについては国が動くしかないと考えています。
こればっかりは私にはどうにもならないですね。
多分。
実態を知らない大多数の人は負の道を進み、そこに甘んじるしかありません。
何もわるいことはしていないのに。
お金がないわけではないのに。
サボりたいわけではないのに。
知らなかったというだけで。
このような状況に甘んじるしかなかったのは情報が一部の人間にしか入らないからです。
企業には優良企業とブラック企業があります。
進路を決定する前の高校生にこの認識は大切です。
優良企業は一握りですが、社会がブラック企業の実態を隠し、
どことはいいませんが、専門学校や大学が自らが運営するために生徒を集め、集めた生徒はブラック企業へ連れていく。
高校の先生は実情を知っていても進路未定者を出さないためにスッと流す。
巷ではブラック企業を問題視して話題になっていますが、実態を解体するには程遠く、殆どが闇の中に隠れています。
企業に学校が関わっていることも。
根深い問題です。
かたや生涯を美術で楽しく食べてすごし、
かたや身も心も朽ち果てて労働力として無償の奉仕の精神で専門学校や大学に大金を払い、ブラック会社に就職。
尽くしにつくして限界を超えた30代までに辞めていく。
闇を撃ち払い、すべての情報が公開されるべきです。
闇にいた人たちは闇を最悪だと思っています。
公開して実態を精査した後。
ブラック企業と言われるところでも、残すべき価値のある会社はあるかもしれません。
というかあるでしょう。
学校からブラック企業への流れ、
学校から大手企業への流れの全てをインターネットで公開して世論に問いましょう。
ブラック企業を排除するには法による規制が必要です。
法を動かすには世論を動かすしかないんでしょうね。
ブラック企業の問題は美術の外の世界と変わりませんが、
美術の世界の独特な問題として「天才」と「才能」という実態のない言葉がさらなる問題を生み出す仕組みがあります。
「天才」「才能」という言葉が正と負を極端な人数比で振り分けることを可能にしています。
闇は正っぽく見える負で大儲けできるのです。
くら~い、くらい、くらやみです。
で、私は怒っています。
何に対して? あ、美術に・・・、です。
え~と、やみくもに美術に怒るというより、勝手にモヤッと独り歩きしている煙のような、ん~実態のない、とにかく色々です。
で、とにかく、手当たり次第に責めても意味ないので言葉に絞ります。
言葉について怒ります。?
正しく言うと言葉に怒鳴っても意味ないので、曖昧な言葉を生んでいるもろもろとか、問題の出所に怒ります。
いい加減な感じが通用している所とか・・・。
まあようするに人です。
でも直接的に誰かを責めるということはしません。
そういった意味でいうと言葉とか概念を責めるといった方が正しいかもしれません。
そーですねー。いい加減な感じでぼーと流している採点とか。
きちんとした採点の仕方をコソッと公開したら、サクッと飛びついてくれて解決するので、そんな感じです。
これから無償の奉仕の精神でコツコツやっていきます。
生意気言って申し訳ないですが、誰も気づいていない明らかな間違いがあるのでそれを責めます。
で、多分、誰も生意気って言えなくなります。
日本中の美術の世界のどんな偉い人たちも。
生意気言ってごめんなさい。
闇が・・・などというと、
同業の方や美術の世界で仕事をして生活の基盤を得ている方には、はなから何を言い出すんだ!
と不快に思う方も多いと思います。
その点についてはお詫び申し上げます。
でも、闇。
あってはならないことですが、闇という部分に多くの共感を得られるんですね。
不思議と。
あってはならないんですよ。
これ、最低ですから。
美術関係者の中にも真面目に向かい合っている人がいるのはわかります。
でも、正直、殆どの人が一生懸命というより、長いものに巻かれるってかんじですよね?
後、美術の外の一般の人たちから美術ってよくわからない、ん~なんとなく生活くるしそーとか、暗いイメージを持たれているのは、わかりますよね?
私がこれから話す内容は、負の感情を引き出す発言ですので、
美術の発展のために今ある美術を信頼して真摯な態度で頑張って盛り上げようとしている美術の関係者に対しては、
水を差すような裏切り行為だと思います。
どこかで水を差さないと変われないのです。
美術の世界を変えたいので言わせて頂きます。
美術には闇があります。
あ、で、私、怒っています。
こーみえて。
誰ってわけではないですが、状況に。
さっき、不快に思う人も多い、といいました。
でも、美術の世界の中で仕事をされている人の大多数の方は、実際には逆に感じる方が多いですよね。
闇がある。と唐突に言われても、きっとこれのことを言っているのかな?
と思い当たる所が多々ありますよね。
なので、美術には闇があります。
・・・。ということに同意される人が殆どだと思います。
で、怒っています。という声も、
それを聞いて胸がすく思いをしている人は多いと思います。
で、私、やりますよ!徹底的に。
ていうか、もう始めてますけどね・・・。水面下で。水面ってどこ?内緒です。
理不尽を伝える場がないから黙っている。
皆さんそうですよね。
美術はその言葉の通り、美しさを追及する側面を持っています。沢山。
なので、負の声は上がりにくい。
私もそうですが、あらゆる負の声を美談に変える話術を持っています。
私も含めて美術の世界の中の人間はこの世界を美しい話で満たして闇を隠してきました。
私は美術の世界を大きく社会に貢献できる世界にしたい。
でも、皆さんの納得を得られない限りは美術が今以上に大きく変われる見込みはない。
そうですよね。
変われないのは隠してきた闇があまりにも大きくなりすぎたからです。
あ、しっぽがもう隠れていません。
不快に思う側にいる人でも、実際は多くの不快に思った人が、権力を持つ者に従わなければ食べていけないから従っているだけ。
本音では、目の前の上司や先生をポンコツと思っていても。
私みたいなポンコツも含めて。
私がこれまでに美術の中の人と内々に話をしてきた会話の全てがそのような話でした。
そうですよね。
美術の歴史を見ると印象派の頃から現在まで美術の世界は大きく変わってきました。
最初は大きかった揺れは次第に小さくなり、油絵についてはこの30年小さな波一つたっていません。
この波を変える油絵の天才は世界のどこかから現れるはずですが、
いったい何時何処から現れるのか?
あ、天才育成計画は日本から世界を塗り替える油絵の天才を出すつもりでいますが・・・。
一応いけるつもりです。
この10年、時を待っていました。
やっほーい。 ほっほっ。
何の波も、何の作品も生み出せない世界は年々規模が縮小します。
作品はなくとも組織の形だけは残り、年功序列で偉くもないのに偉くなり。
勘違いする者も現れ・・・。
生徒も先生もこの人の何がすごいのかさっぱりわからず、
でも、会話の中の語尾に必ずつける「ご活躍」という言葉を聞くと、その響きがなんかすごいような感覚を呼び起こし、
感覚が自己暗示をかけるための都合のいい幻想を生む。
「ご活躍」幻想が積み重ねる構造・・・それは幻想。
中身は・・・か。
私は現在の、美術の正しいと言われる場所の、どまんなかの、中心にいる人間の話がまったく頭に入ってきません。
そこに、なんの正義も、トキメキも、ロマンも感じません。
逆に負の世界の方に巨大な正義、トキメキ、ロマンをビンビン感じます。
世界には正と負があります。
世の中の「正しい」という認識は今後大きく変わります。
美術の多くの組織の幻想で構築した正は一瞬にして負に変わるでしょう。
消毒されるように。
そのための外堀を徹底的に埋めなければなりません。
それを実現するのは正しい言葉です。
「脱ご活躍」
美術の世界の生と負は間違いなく入れ替わる。
と確信しています。
これまでの美術の正は一部の人間の手による、一部の人間のための正でした。
でも、美術と言えば限られた人間にしか扱えない代物でした。
美術をやるには、とにかくお金がかかりました。
でも今は違います。
画材が安価になりました。
発表の手段がインターネットで変わりました。
かつては美術館、少し前は画廊で発表するしかなかった。
学芸員と審査員に観る眼がなくても、でも公募に出品するしかなかった。
これまでの美術は一部の人間の手による、一部を対象にした正でした。
なので全体には実は負です。
それを隠蔽するための言葉が「天才」「才能」です。
例えば社会的な需要がないにも関わらず学校は多くの生徒を入学させます。
先生が食べていくために。
それを隠蔽するために多用したのが「天才」という言葉です。
「10年に一人の天才」
聞いたことがある人はいますよね。
彫刻家は日本に数人いればいい。
でも芸大美大の彫刻科の卒業生は数百人。
ほぼ全員があぶれます。
油絵を描く画家は日本に数人いればいい。
証拠に世界を揺るがすような油絵を描く画家は日本にはいない。
日本の芸大美大の油絵科では「絵なんか描いていてもしょうがない」という言葉がある。
その証拠に世界に油絵を描く画家で評価できる人は数人しかいない。
これまでの卒業生で、評価できる人と作品は、映像やインスタレーションや、絵画と言っても、油絵とは違います。
そのような状況であるにもかかわらず、全国で毎年数百名の油絵科生が卒業します。
世の中にそれだけの学生を輩出する必要がある!というわけではなく、
大学が運営するために学費を集める学生数がそれだけ必要というだけで。
学生たちは定員ほどの需要がないことくらいはわかります。
でもまさか殆どの生徒が彫刻や油絵で食べていけない!
そのことが予備校の段階でわかっていたら彫刻科と油絵科を専攻していないはず。
卒業後の実態を公にしないのは受験生が激減するからです。
大学と予備校はやらないでしょうね。
なんで私がやります。
負の世界に人を誘うのは学校だけではありませんが、
学校が生んだこの闇は他の業界にも伝搬し学校以外の世界とつながり闇を共有しています。
あ、闇って例えば儲けです。
例えばゲームやアニメの専門学校から企業へ!
しっかり伝わっています。
就職できる優良企業はほんの一部で、殆どがブラックであるにも関わらず、実態は闇に隠されている。
これについては国が動くしかないと考えています。
こればっかりは私にはどうにもならないですね。
多分。
実態を知らない大多数の人は負の道を進み、そこに甘んじるしかありません。
何もわるいことはしていないのに。
お金がないわけではないのに。
サボりたいわけではないのに。
知らなかったというだけで。
このような状況に甘んじるしかなかったのは情報が一部の人間にしか入らないからです。
企業には優良企業とブラック企業があります。
進路を決定する前の高校生にこの認識は大切です。
優良企業は一握りですが、社会がブラック企業の実態を隠し、
どことはいいませんが、専門学校や大学が自らが運営するために生徒を集め、集めた生徒はブラック企業へ連れていく。
高校の先生は実情を知っていても進路未定者を出さないためにスッと流す。
巷ではブラック企業を問題視して話題になっていますが、実態を解体するには程遠く、殆どが闇の中に隠れています。
企業に学校が関わっていることも。
根深い問題です。
かたや生涯を美術で楽しく食べてすごし、
かたや身も心も朽ち果てて労働力として無償の奉仕の精神で専門学校や大学に大金を払い、ブラック会社に就職。
尽くしにつくして限界を超えた30代までに辞めていく。
闇を撃ち払い、すべての情報が公開されるべきです。
闇にいた人たちは闇を最悪だと思っています。
公開して実態を精査した後。
ブラック企業と言われるところでも、残すべき価値のある会社はあるかもしれません。
というかあるでしょう。
学校からブラック企業への流れ、
学校から大手企業への流れの全てをインターネットで公開して世論に問いましょう。
ブラック企業を排除するには法による規制が必要です。
法を動かすには世論を動かすしかないんでしょうね。
ブラック企業の問題は美術の外の世界と変わりませんが、
美術の世界の独特な問題として「天才」と「才能」という実態のない言葉がさらなる問題を生み出す仕組みがあります。
「天才」「才能」という言葉が正と負を極端な人数比で振り分けることを可能にしています。
闇は正っぽく見える負で大儲けできるのです。