天才育成計画てんいく「奇人変人エピソードハザード」
私は画家です。
色んな画家の中でも私は絵を描かない画家です。
ちなみに絵を描かない画家というジャンルはないです。
ないから私が作ろうかと考えています。
なので今は認められていないジャンルですが私は「絵を描かない画家」第1号です。
で、おいおい「絵を描かない絵画教室」を開こうと考えています。
老後の私は「絵を描かない絵画教室」でのんびり、楽に、のびのび余生を過ごします。
世界中の絵画をここ熊谷から変えるために。
ゆっくりと浅煎りコーヒーを飲みながら。
誰もが羨むスーパー楽チン生活です。
なぜ「絵を描かない絵画教室」で収益が上がるのか・・。
それは今まだここでは言えません。
あ、でも今日の文章を読んで頂ければ少し見えると思います。
「絵を描かない画家」などというと、?となる人が・・。というか皆んな首をかしげます。
話の最初に言っておきますが、私は真面目です。
気をてらうつもりはありませんし、変わった人キャラで売る気もありません。
誰よりも真面目だから絵を描かない選択をした。
ということが成立するのです。
私が通った東京藝術大学の油画専攻では、油絵のことを真摯に考えて断腸の想いで多くの画学生が筆をおき静観する姿勢をとりました。
私がこうして文章を書き始めたのは、現状を打破するヴィジョンが固まったからです。
20年見続けて。
結論を簡単に言えば、これからは絵を売る世界ではなく、賞をとる世界でもなく、絵を美術館で鑑賞する時代でもありません。
世の中の誰もが絵を描く世界。
絵を描くという価値に気づき、才能でも天才でもない皆が実は絵を描いて良い時代。
社会が絵の本当の価値を知る時代に入ります。
そういった時代に入れる確信があるのは、その論法が出来上がっているからです。
申し訳ないけれども既存のいい加減な「才能」「天才」を完膚なきまでに叩きつぶさせてもらう。
その後まやかしではない真実の絵画の話をします。
今の時代は社会の皆がアート、特に絵と距離を置く時代です。
そのような時代ではなく、社会の皆んなが絵の価値を知って描くようになる。
そうなってからの絵画の賞は本当に意味のある賞になります。
売れる作品も本当に価値のある作品です。
誰もが良い作品の評価ができるようにネットで評価の方法を流します。
そうすれば現状でいい加減な評価の仕方をしている全てのコンクールが社会の目を恐れていい加減な評価の仕方を見直しネットで本当の正しい評価の仕方を学びます。
美術の世界がわけがわからない世界と思われている原因の一つが不可解な作品の評価です。
これからはいい加減な不可解な評価は一切できなくなります。
評価について簡単に触れれば、実は絵画の評価とは無数のフィルターにかけなければ正確な評価ができないのです。
現状のコンクールは単一的なものの見方で単一の答えを出しています。
つまり、絵画の評価とは複数のものの見方によって複数の答えが生まれてくるものなのです。
例えばアレルギーの検査の項目のようなもので真実の評価を下すには項目は多岐にわたります。
なのでアレルギーと一言で言って単一の答えしか得られない今の評価は本来あり得ません。
今の時代は写実が特別な才能のある人にしか描けないと思われていますが、普通に社会生活がおくれる程度に情緒が安定している人であれば誰でも写真のように写実的に絵を描くことができます。
誰でも写実的に絵を描くことができるという話は現在写実で才能を評価されている画家とその作品で収益を上げている画廊は反発すると思います。
でも、これは私的にはすでに詰んでいる話なのです。
つまり、ズブの素人の初心者の人で写実に興味がある人を少し説得して簡単なトレーニングをしてもらい1年以内に本物そっくりの写実的に、少なくとも芸大美大生が描く作品の同等かそれ以上の精度に上がるように作品を完成させる。
ということを今まで繰り返しています。
描き上げた人は「才能」が必要で絵画は神秘的なものという最初の認識は完全に塗り替えられるので、ある意味冷めてしまって皆んな絵を描くのを辞めます。
つまり、写実が特別な才能ではなく誰でも描けるものだと冷めてしまうということは確実に実態を掴めて理解できたということの証明なのです。
絵は本当に描く意味があります。
能力として単純に本物そっくりに描きたい。
という所には実は本当の絵の価値はありません。
誰でも描けるものですから。
現在の絵画がいまひとつ盛り上がらない理由もそこにあります。
絵の本当の価値が見えていない。
そのような状況では盛り上がるわけはありません。
世の中に本当の絵の意味や価値が伝わった時、初めて絵画の中での特殊な技能世の中に透けて見えてきます。
その輪郭も明瞭にしなければなりませんね。
私はそういった絵画を構築するために「絵を描かない絵画教室」を開くのです。
描くよりも前にまず説明しなければならない。
色んな画家の中でも私は絵を描かない画家です。
ちなみに絵を描かない画家というジャンルはないです。
ないから私が作ろうかと考えています。
なので今は認められていないジャンルですが私は「絵を描かない画家」第1号です。
で、おいおい「絵を描かない絵画教室」を開こうと考えています。
老後の私は「絵を描かない絵画教室」でのんびり、楽に、のびのび余生を過ごします。
世界中の絵画をここ熊谷から変えるために。
ゆっくりと浅煎りコーヒーを飲みながら。
誰もが羨むスーパー楽チン生活です。
なぜ「絵を描かない絵画教室」で収益が上がるのか・・。
それは今まだここでは言えません。
あ、でも今日の文章を読んで頂ければ少し見えると思います。
「絵を描かない画家」などというと、?となる人が・・。というか皆んな首をかしげます。
話の最初に言っておきますが、私は真面目です。
気をてらうつもりはありませんし、変わった人キャラで売る気もありません。
誰よりも真面目だから絵を描かない選択をした。
ということが成立するのです。
私が通った東京藝術大学の油画専攻では、油絵のことを真摯に考えて断腸の想いで多くの画学生が筆をおき静観する姿勢をとりました。
私がこうして文章を書き始めたのは、現状を打破するヴィジョンが固まったからです。
20年見続けて。
結論を簡単に言えば、これからは絵を売る世界ではなく、賞をとる世界でもなく、絵を美術館で鑑賞する時代でもありません。
世の中の誰もが絵を描く世界。
絵を描くという価値に気づき、才能でも天才でもない皆が実は絵を描いて良い時代。
社会が絵の本当の価値を知る時代に入ります。
そういった時代に入れる確信があるのは、その論法が出来上がっているからです。
申し訳ないけれども既存のいい加減な「才能」「天才」を完膚なきまでに叩きつぶさせてもらう。
その後まやかしではない真実の絵画の話をします。
今の時代は社会の皆がアート、特に絵と距離を置く時代です。
そのような時代ではなく、社会の皆んなが絵の価値を知って描くようになる。
そうなってからの絵画の賞は本当に意味のある賞になります。
売れる作品も本当に価値のある作品です。
誰もが良い作品の評価ができるようにネットで評価の方法を流します。
そうすれば現状でいい加減な評価の仕方をしている全てのコンクールが社会の目を恐れていい加減な評価の仕方を見直しネットで本当の正しい評価の仕方を学びます。
美術の世界がわけがわからない世界と思われている原因の一つが不可解な作品の評価です。
これからはいい加減な不可解な評価は一切できなくなります。
評価について簡単に触れれば、実は絵画の評価とは無数のフィルターにかけなければ正確な評価ができないのです。
現状のコンクールは単一的なものの見方で単一の答えを出しています。
つまり、絵画の評価とは複数のものの見方によって複数の答えが生まれてくるものなのです。
例えばアレルギーの検査の項目のようなもので真実の評価を下すには項目は多岐にわたります。
なのでアレルギーと一言で言って単一の答えしか得られない今の評価は本来あり得ません。
今の時代は写実が特別な才能のある人にしか描けないと思われていますが、普通に社会生活がおくれる程度に情緒が安定している人であれば誰でも写真のように写実的に絵を描くことができます。
誰でも写実的に絵を描くことができるという話は現在写実で才能を評価されている画家とその作品で収益を上げている画廊は反発すると思います。
でも、これは私的にはすでに詰んでいる話なのです。
つまり、ズブの素人の初心者の人で写実に興味がある人を少し説得して簡単なトレーニングをしてもらい1年以内に本物そっくりの写実的に、少なくとも芸大美大生が描く作品の同等かそれ以上の精度に上がるように作品を完成させる。
ということを今まで繰り返しています。
描き上げた人は「才能」が必要で絵画は神秘的なものという最初の認識は完全に塗り替えられるので、ある意味冷めてしまって皆んな絵を描くのを辞めます。
つまり、写実が特別な才能ではなく誰でも描けるものだと冷めてしまうということは確実に実態を掴めて理解できたということの証明なのです。
絵は本当に描く意味があります。
能力として単純に本物そっくりに描きたい。
という所には実は本当の絵の価値はありません。
誰でも描けるものですから。
現在の絵画がいまひとつ盛り上がらない理由もそこにあります。
絵の本当の価値が見えていない。
そのような状況では盛り上がるわけはありません。
世の中に本当の絵の意味や価値が伝わった時、初めて絵画の中での特殊な技能世の中に透けて見えてきます。
その輪郭も明瞭にしなければなりませんね。
私はそういった絵画を構築するために「絵を描かない絵画教室」を開くのです。
描くよりも前にまず説明しなければならない。