人によって仕掛けられた美術の罠/美術の誤解ハザード
「発達障害と学習障害のある人特有の誤解ハザード」
熊谷美術研究所(=クマビ)の代表の小平です。私は重度の学習障害です。
まず、私が障害を持っていることを最初に言うのは今回のお話が障害のある子を冷やかすためのものではないと最初にお伝えしておきたいからです。
今回のお話の内容は美術が誤解を利用して犯す社会的な問題です。
私はこれを人によって仕掛けられた美術の罠/美術の「誤解ハザード」と呼ぶことにしました。
誤解ハザードとして問題が世の中に認知されることによってこれから上げる問題がしっかりと社会問題として皆が向かいあうことを望んでいます。
問題と向かい合ってもらえることで私の中にある学習障害で苦しんだトラウマが解消される、と思っています。
安易に障害者を美術の道に引き込むことが、障害者をどれだけ過酷な状況に立たせることになるか?
ということが世の中に認知されることを望みます。
「誤解ハザード」には様々な誤解からくるハザードがあります。
今回は発達障害と学習障害がある人特有の誤解ハザードについてお話させて頂きます。
美術の世界はモヤモヤと曖昧に誤魔化していることが多く、それをビジネスに利用して成り立っている部分が実は大いにあります。
私が話をモヤモヤさせるのは美術自体がモヤモアしているからです。
モヤモヤの中に複雑な問題がはらんでいるので、出来るだけその中の化けの皮をすべてはっきりとあぶり出すためにモヤモヤした所に同調させて調子を合わせながら話しています。
なので、最初から竹を割ったようにスパッとした切り口で話をしてしまっては殆どの問題がザルから水があふれ出るようにこぼれてしまうので全てすくえるように細心の注意を払っています。
今回の誤解ハザードは発達障害と学習障害を抱えた子が美術の世界は楽に上手くいくと誤解してしまっているために努力することができずに美術の世界に入ってきても上手くいかない大きな壁に必ずぶつかることを表現させて頂いています。
今後、誤解ハザードという言葉を使って皆さんが問題について考えて皆で解決していけるようになることを期待しています。
ちなみに誤解ハザードは健常者の中でも起こります。
美術予備校に来る前に大きな賞を受賞している子には必ず見られる極度の気持ちの高揚が招く一種の心の病でもあります。
私の長年の懸念は発達障害と学習障害を抱えた多くの子が美術予備校の門を叩き、その全員が自分の障害を乗り越えられずに受験を挫折することです。
最初に言っておきたいですが、障害があっても受験を乗り越えることは可能です。
しかし普通の人の何倍も苦労をします。
そのためそれを乗り越える覚悟が必要です。
残念ながら私の教え子の中では障害を乗り越えるという厳しい試練をクリアした子はいません。
厳しいようですが真実なので言いますが、障害のある子の多くが総じてメンタルが弱く、実際は現状の普通の子との能力差を越えるために普通の子の何倍も自分自身に厳しくなければならない所をメンタルが弱いために普通の子以上に自分に甘えてしまいます。
私は自らの強い意志で障害を越えたいと考えている子に会いたいと心の底から思っています。
でも、実際に目の前に現れる子は自分に甘い子ばかりです。
ここで今回のお話をする理由は、
保育園、幼稚園、小学校、中学校、高校の先生方と親御さんにこの事実を知って頂き、コンクールで賞を取ることと美術の道に進むこととは違うことを受賞した子にはしっかりと指導して頂きたいからです。
現状では障害のある子たちの多くが美術の道を選択します。
賞を受賞して美術系の進学を目指す理由は何でしょうか?
それは美術以外の道に失望して失意のどん底にいる状態で受賞という突然のサプライズが起き、気持ちが高揚し、自己承認の欲求が満たされた結果、理由はわからないけれども自分には天性の才能があると思い美術の道で上手くいくという想像が成り立つからです。
図画工作は技術指導ではなく、のびのび自由に描かせて子供の感性や創造力を養うためのものです。
自由にのびのび描かせることに私は賛成です。
現状ではのびのび教育は全然自由度が足りないと考えています。
図画工作の中で完全に自由に制作できる状況はありません。
必ず強い抑止が入ってしまいます。
今の方法ではだめです。
高い効果は期待できません。
大切な図画工作の授業ですが、でも私は図画工作のコンクールに子供たちを出品させて受賞させることには反対です。
正確に言えば賞を与えることに反対です。
誰が賞を決めるのですか?
自由にのびのび描かせるのではないのですか?
どんな物差しで何を図るのですか?
この話は徹底的に詳細に、後日改めてお話します。
モヤモヤと適当に採点している図画工作のコンクールを許すわけにはいきません。
図画工作のコンクールを知らない幼児は自ら出品したいとは言いません。
大人がコンクールに出品させることになります。
勉強や体育や音楽が苦手な子に自信を持たせるためにコンクールへの出品をさせて受賞させて自信を持たせたい気持ちはわかります。
でも、その時に高揚した気持ちがそのまま将来の道は美術という選択につながったとしたら、結果は確実に学力の低さに比例して確実に挫折します。
まず、私が障害を持っていることを最初に言うのは今回のお話が障害のある子を冷やかすためのものではないと最初にお伝えしておきたいからです。
今回のお話の内容は美術が誤解を利用して犯す社会的な問題です。
私はこれを人によって仕掛けられた美術の罠/美術の「誤解ハザード」と呼ぶことにしました。
誤解ハザードとして問題が世の中に認知されることによってこれから上げる問題がしっかりと社会問題として皆が向かいあうことを望んでいます。
問題と向かい合ってもらえることで私の中にある学習障害で苦しんだトラウマが解消される、と思っています。
安易に障害者を美術の道に引き込むことが、障害者をどれだけ過酷な状況に立たせることになるか?
ということが世の中に認知されることを望みます。
「誤解ハザード」には様々な誤解からくるハザードがあります。
今回は発達障害と学習障害がある人特有の誤解ハザードについてお話させて頂きます。
美術の世界はモヤモヤと曖昧に誤魔化していることが多く、それをビジネスに利用して成り立っている部分が実は大いにあります。
私が話をモヤモヤさせるのは美術自体がモヤモアしているからです。
モヤモヤの中に複雑な問題がはらんでいるので、出来るだけその中の化けの皮をすべてはっきりとあぶり出すためにモヤモヤした所に同調させて調子を合わせながら話しています。
なので、最初から竹を割ったようにスパッとした切り口で話をしてしまっては殆どの問題がザルから水があふれ出るようにこぼれてしまうので全てすくえるように細心の注意を払っています。
今回の誤解ハザードは発達障害と学習障害を抱えた子が美術の世界は楽に上手くいくと誤解してしまっているために努力することができずに美術の世界に入ってきても上手くいかない大きな壁に必ずぶつかることを表現させて頂いています。
今後、誤解ハザードという言葉を使って皆さんが問題について考えて皆で解決していけるようになることを期待しています。
ちなみに誤解ハザードは健常者の中でも起こります。
美術予備校に来る前に大きな賞を受賞している子には必ず見られる極度の気持ちの高揚が招く一種の心の病でもあります。
私の長年の懸念は発達障害と学習障害を抱えた多くの子が美術予備校の門を叩き、その全員が自分の障害を乗り越えられずに受験を挫折することです。
最初に言っておきたいですが、障害があっても受験を乗り越えることは可能です。
しかし普通の人の何倍も苦労をします。
そのためそれを乗り越える覚悟が必要です。
残念ながら私の教え子の中では障害を乗り越えるという厳しい試練をクリアした子はいません。
厳しいようですが真実なので言いますが、障害のある子の多くが総じてメンタルが弱く、実際は現状の普通の子との能力差を越えるために普通の子の何倍も自分自身に厳しくなければならない所をメンタルが弱いために普通の子以上に自分に甘えてしまいます。
私は自らの強い意志で障害を越えたいと考えている子に会いたいと心の底から思っています。
でも、実際に目の前に現れる子は自分に甘い子ばかりです。
ここで今回のお話をする理由は、
保育園、幼稚園、小学校、中学校、高校の先生方と親御さんにこの事実を知って頂き、コンクールで賞を取ることと美術の道に進むこととは違うことを受賞した子にはしっかりと指導して頂きたいからです。
現状では障害のある子たちの多くが美術の道を選択します。
賞を受賞して美術系の進学を目指す理由は何でしょうか?
それは美術以外の道に失望して失意のどん底にいる状態で受賞という突然のサプライズが起き、気持ちが高揚し、自己承認の欲求が満たされた結果、理由はわからないけれども自分には天性の才能があると思い美術の道で上手くいくという想像が成り立つからです。
図画工作は技術指導ではなく、のびのび自由に描かせて子供の感性や創造力を養うためのものです。
自由にのびのび描かせることに私は賛成です。
現状ではのびのび教育は全然自由度が足りないと考えています。
図画工作の中で完全に自由に制作できる状況はありません。
必ず強い抑止が入ってしまいます。
今の方法ではだめです。
高い効果は期待できません。
大切な図画工作の授業ですが、でも私は図画工作のコンクールに子供たちを出品させて受賞させることには反対です。
正確に言えば賞を与えることに反対です。
誰が賞を決めるのですか?
自由にのびのび描かせるのではないのですか?
どんな物差しで何を図るのですか?
この話は徹底的に詳細に、後日改めてお話します。
モヤモヤと適当に採点している図画工作のコンクールを許すわけにはいきません。
図画工作のコンクールを知らない幼児は自ら出品したいとは言いません。
大人がコンクールに出品させることになります。
勉強や体育や音楽が苦手な子に自信を持たせるためにコンクールへの出品をさせて受賞させて自信を持たせたい気持ちはわかります。
でも、その時に高揚した気持ちがそのまま将来の道は美術という選択につながったとしたら、結果は確実に学力の低さに比例して確実に挫折します。