閉鎖ハザード
日本人の多くは幼稚園か小学校低学年の時に水彩絵の具と出会って水彩絵の具でそっくりに色んなものを描きたいのに、のびのび教育がそれを阻み、誰一人として上手に描くための水彩絵の具の使い方を教えることができないので、教わる機会がなく、グチャグチャになってストレスで水彩が嫌いになります。
全員が「才能がないから」と騙されます。
のびのび教育によって水彩で上手に絵を描く道は閉鎖されました。
油絵の世界では東京芸術大学に入学するまでに油絵を極めたとしても大学に入ってから油絵なんか描いていても仕方がないと指導されます。
インスタレーションを中心とした先生の手により絵を描こうとする学生は駆逐されます。
油絵を学内で描く道は閉鎖されました。
最近は緩くなってきたようですが油絵を描き続けられる道はまだ確立されていません。
市場では、画廊がコレクターを集めて若い画家の作品を販売します。
美術の市場以外の世界とは別の評価軸で作品の値段をつけて作品を販売し、「売れる」ことすなわち美術の世界で「評価された」と称し営業努力をして作品が沢山売れるようにします。
作品が沢山売れれば画廊は儲かります。
でも、そこで作品が売れているのは売り方が上手いからで作品の良し悪しではありません。
これによってコレクターは本当に価値の上がる作品を購入する機会が閉鎖されました。
さて、作家が亡くなって物故作家になり、コレクターも亡くなった時に何が残りますか?どこにも売れない作品とコレクターの家族にかかる相続税です。
営業によって売れた作品は営業からコレクターに売れても、コレクターから他へ売れることはありません。
今まではこの事実が明るみになることはありませんでした。
でも今後は違います。
騙されて作品を買わされてコレクターの不信感はどこかで爆発するでしょう。
私の方でも落ち着いたら徹底的にリサーチするつもりです。
市場とは本来そのようなことがあってはならない場です。
市場の中だけで作られた絵画の価値は他では通用しません。
そしてそのことは市場の価値そのものを無くします。
油絵を描く画家が作品を販売する道は閉鎖されました。
又、今現在画廊に作品を下ろしている画家は枚数をこなすことに夢中で美術の世界で作品が評価される道を閉鎖されます。
販売目的で量産されている絵が絵画として市場の外で評価されることはありません。
美術館は、絵の展示やコンクールを行い権威を誇示していますが、コンクールの結果によって与えられた栄誉は実際にはなんの役にも立ちません。
いかがわしい賞をもらった人の多くがそれが実際には役に立たないことはわかります。
しかし、発達障害や心の問題を抱えている子の中にはそれがわからない子もいます。
賞を取ったことで美術で食べていく道を目指して学校に入ってくる子が大勢います。
言うまでもなく美術系の学校運営の何割かは障害のある学生から支払われる授業料で成り立っています。
でもその学生たちは全員美術の世界で仕事をして食べていくことはできません。
その子たちと親御さんに淡い期待を抱かせているのがコンクールです。
この事実をこれも徹底的にリサーチして突きつけたいと思います。
コンクールの内閣総理大臣賞や都知事賞や県知事賞は上っ面の無意味な賞です。
内閣総理大臣賞をとった学生はそのまま東京芸術大学に合格しますか?
箸にも棒にもかかりませんよね?
認めてください。
又は賞を与えた美術館が本当に力があって権威があるならしっかりと実力行使してください。
内閣総理大臣賞をとった学生が東京芸術大学に合格できなかったらあなた方のその素晴らしい権威で内閣勝利大臣賞を取った子を東京芸術大学に合格させてください。
又は内閣総理大臣賞を取った子を落とした間違った採点を行った東京芸術大学を潰してください。
世の中の皆が人生をかけて絵を描いて美術館を目指す道は閉鎖されました。
これでもう絵に人生をかけてコンクールに出品して健全に賞を狙う道は閉鎖されてありません。
素晴らしいですね美術館は!!
美術館にもし、そのような力のないのであればそういった力のないことを正直にしっかりと世の中に示してください。
障害のある子の人生を惑わせないために。
賞によって人生を惑わされた子たちのことは徹底的にリサーチして白日の下にさらします。
わかっているはずですよ、そういった子が美術を目指して年間に何万人にも上ることぐらい。
それを無視し続けるのはどうなのですか?
コンクールは行っても誤解を招き人を惑わす可能性のある賞はいらないのではないのですか?
美術館の真似をして日本中で多くのコンクールが開かれていますが、美術のコンクールは何一つ機能していませんよ。
認めませんか?
美術館に賞の意味を正しく論じることができる学芸員が一人もいないことを・・・。
残る道は・・。
美術の歴史が紡いだ現代までの流れは否定を前提とした正です。
自由を開拓することと同時にすみわけを行い様々なカテゴライズを行ってきました。
カテゴライズはやがて規制となり、円滑にすみわけを行うために規制は大きな壁を作ります。
大学が正しく機能していない壁、美術館が正しく機能していない壁、市場が正しく機能していない壁、幼児教育が正しく機能していない壁・・・。
これらの機能していない無用の長物とも言える壁を最も感じやすいのは油絵の世界だと思います。
大きな壁を作り、それまでの古いとされる物事の進行を阻むことでその代わりに新しい道を作り、又壁を造り・・・。
知らず知らずのうちに油絵の世界は壁だらけになりました。
そして結果、芸大でも、市場でも、美術館でも、写実以外は油絵を描けなくなった。
美術関係者の意図は決して油絵を駆逐するものではありません。
でも実際は油絵に全身全霊をかけて生きようとする画家が東京芸大に進み油絵を描き、美術館を目指し、画廊を目指し、市場を目指す皆が成功するために開かれていなければならない道は閉鎖されました。
どうですか?私の言っていることは間違っていますか?
市場が写実以外の油絵を積極的に受け入れますか?
油絵科は皆油絵を描いていますか?
油絵科ですよね?
美術以外の社会から見ればこの状況はこっけいではないですか?
世の中に油絵を描く画家を輩出するのが油絵科ですよね?やってますか?
できないなら辞めたらどうですか油絵科という名称で生徒を募集するのは??
美術の世界は・・。
例えば、「今の時代はコレ!」といった具合に正しいとする道を選んできました。
今風に言えば「愛はコレ!!」ですかね・・。
その愛が高い障壁を作ってしまっていることに気付いてはいないようですね・・・。
否定を前提とした正は正しくありたいとする人間の心理をうまくつきます。
でも、知らない内に美術の世界はコレはだめ!!という否定で雁字搦めになってしまいました。
観方を変えれてみましょう。
美術の世界を雁字搦めにしている正は一瞬にして消えてしまいます。
それはなぜか?正と負が一瞬にして入れ替わるからです。
壁の頂きにいる人間の正は社会、言い換えれば日本全体にとっての負だからです。
美術の本当の大きな力。
残念ですが、大学も、美術館も、市場も、画廊も自分の足元の正義にしか目が行かないので誰も気づいていませんね・・・。
全員が「才能がないから」と騙されます。
のびのび教育によって水彩で上手に絵を描く道は閉鎖されました。
油絵の世界では東京芸術大学に入学するまでに油絵を極めたとしても大学に入ってから油絵なんか描いていても仕方がないと指導されます。
インスタレーションを中心とした先生の手により絵を描こうとする学生は駆逐されます。
油絵を学内で描く道は閉鎖されました。
最近は緩くなってきたようですが油絵を描き続けられる道はまだ確立されていません。
市場では、画廊がコレクターを集めて若い画家の作品を販売します。
美術の市場以外の世界とは別の評価軸で作品の値段をつけて作品を販売し、「売れる」ことすなわち美術の世界で「評価された」と称し営業努力をして作品が沢山売れるようにします。
作品が沢山売れれば画廊は儲かります。
でも、そこで作品が売れているのは売り方が上手いからで作品の良し悪しではありません。
これによってコレクターは本当に価値の上がる作品を購入する機会が閉鎖されました。
さて、作家が亡くなって物故作家になり、コレクターも亡くなった時に何が残りますか?どこにも売れない作品とコレクターの家族にかかる相続税です。
営業によって売れた作品は営業からコレクターに売れても、コレクターから他へ売れることはありません。
今まではこの事実が明るみになることはありませんでした。
でも今後は違います。
騙されて作品を買わされてコレクターの不信感はどこかで爆発するでしょう。
私の方でも落ち着いたら徹底的にリサーチするつもりです。
市場とは本来そのようなことがあってはならない場です。
市場の中だけで作られた絵画の価値は他では通用しません。
そしてそのことは市場の価値そのものを無くします。
油絵を描く画家が作品を販売する道は閉鎖されました。
又、今現在画廊に作品を下ろしている画家は枚数をこなすことに夢中で美術の世界で作品が評価される道を閉鎖されます。
販売目的で量産されている絵が絵画として市場の外で評価されることはありません。
美術館は、絵の展示やコンクールを行い権威を誇示していますが、コンクールの結果によって与えられた栄誉は実際にはなんの役にも立ちません。
いかがわしい賞をもらった人の多くがそれが実際には役に立たないことはわかります。
しかし、発達障害や心の問題を抱えている子の中にはそれがわからない子もいます。
賞を取ったことで美術で食べていく道を目指して学校に入ってくる子が大勢います。
言うまでもなく美術系の学校運営の何割かは障害のある学生から支払われる授業料で成り立っています。
でもその学生たちは全員美術の世界で仕事をして食べていくことはできません。
その子たちと親御さんに淡い期待を抱かせているのがコンクールです。
この事実をこれも徹底的にリサーチして突きつけたいと思います。
コンクールの内閣総理大臣賞や都知事賞や県知事賞は上っ面の無意味な賞です。
内閣総理大臣賞をとった学生はそのまま東京芸術大学に合格しますか?
箸にも棒にもかかりませんよね?
認めてください。
又は賞を与えた美術館が本当に力があって権威があるならしっかりと実力行使してください。
内閣総理大臣賞をとった学生が東京芸術大学に合格できなかったらあなた方のその素晴らしい権威で内閣勝利大臣賞を取った子を東京芸術大学に合格させてください。
又は内閣総理大臣賞を取った子を落とした間違った採点を行った東京芸術大学を潰してください。
世の中の皆が人生をかけて絵を描いて美術館を目指す道は閉鎖されました。
これでもう絵に人生をかけてコンクールに出品して健全に賞を狙う道は閉鎖されてありません。
素晴らしいですね美術館は!!
美術館にもし、そのような力のないのであればそういった力のないことを正直にしっかりと世の中に示してください。
障害のある子の人生を惑わせないために。
賞によって人生を惑わされた子たちのことは徹底的にリサーチして白日の下にさらします。
わかっているはずですよ、そういった子が美術を目指して年間に何万人にも上ることぐらい。
それを無視し続けるのはどうなのですか?
コンクールは行っても誤解を招き人を惑わす可能性のある賞はいらないのではないのですか?
美術館の真似をして日本中で多くのコンクールが開かれていますが、美術のコンクールは何一つ機能していませんよ。
認めませんか?
美術館に賞の意味を正しく論じることができる学芸員が一人もいないことを・・・。
残る道は・・。
美術の歴史が紡いだ現代までの流れは否定を前提とした正です。
自由を開拓することと同時にすみわけを行い様々なカテゴライズを行ってきました。
カテゴライズはやがて規制となり、円滑にすみわけを行うために規制は大きな壁を作ります。
大学が正しく機能していない壁、美術館が正しく機能していない壁、市場が正しく機能していない壁、幼児教育が正しく機能していない壁・・・。
これらの機能していない無用の長物とも言える壁を最も感じやすいのは油絵の世界だと思います。
大きな壁を作り、それまでの古いとされる物事の進行を阻むことでその代わりに新しい道を作り、又壁を造り・・・。
知らず知らずのうちに油絵の世界は壁だらけになりました。
そして結果、芸大でも、市場でも、美術館でも、写実以外は油絵を描けなくなった。
美術関係者の意図は決して油絵を駆逐するものではありません。
でも実際は油絵に全身全霊をかけて生きようとする画家が東京芸大に進み油絵を描き、美術館を目指し、画廊を目指し、市場を目指す皆が成功するために開かれていなければならない道は閉鎖されました。
どうですか?私の言っていることは間違っていますか?
市場が写実以外の油絵を積極的に受け入れますか?
油絵科は皆油絵を描いていますか?
油絵科ですよね?
美術以外の社会から見ればこの状況はこっけいではないですか?
世の中に油絵を描く画家を輩出するのが油絵科ですよね?やってますか?
できないなら辞めたらどうですか油絵科という名称で生徒を募集するのは??
美術の世界は・・。
例えば、「今の時代はコレ!」といった具合に正しいとする道を選んできました。
今風に言えば「愛はコレ!!」ですかね・・。
その愛が高い障壁を作ってしまっていることに気付いてはいないようですね・・・。
否定を前提とした正は正しくありたいとする人間の心理をうまくつきます。
でも、知らない内に美術の世界はコレはだめ!!という否定で雁字搦めになってしまいました。
観方を変えれてみましょう。
美術の世界を雁字搦めにしている正は一瞬にして消えてしまいます。
それはなぜか?正と負が一瞬にして入れ替わるからです。
壁の頂きにいる人間の正は社会、言い換えれば日本全体にとっての負だからです。
美術の本当の大きな力。
残念ですが、大学も、美術館も、市場も、画廊も自分の足元の正義にしか目が行かないので誰も気づいていませんね・・・。