閉鎖ハザード
今回のお話はいつも以上にネガティブなお話から始めます。
このようなネガティブなお話をするのは、美術の世界の、今は隠れて見えない本当の大きな力を引き出したいからです。
美術の本当の力は今回のようなネガティブな問題を解決した先にあります。
美術予備校としてはこのようなネガティブな話をすれば怖がって生徒は離れていくのでしない方がいいのかもしれません。
でも今回の問題が誰でもわかっているのに根深い問題になってしまっているのは、誰もが声を挙げないからです。
なので声を挙げます。
わざわざリスクを冒してまで声を挙げるのは、しっかり問題と向かい合った後に本当の美術予備校の価値が、必ず皆さんに見えてくると信じているからです。それまでは歯を食いしばって辛抱して戦っていきたいと思っています。
今回のお話のような影には美術の魅力が隠れています。
魅力の部分を先に話すと問題がかすれてしまうのでできませんが、内部生にはいつも美術の世界を安心して渡り歩けるように大事な話をしています。
きれいごとを言って生徒を集めようと思えばいくらでも集めることは可能です。
でも、それをすることは斜陽にあるこの世界の流れに沿うことになります。
潔く時代の流れに抗わず散っていくのも美しいと思います。
おそらく殆どの美術予備校がみっともない姿をさらすのではなく潔い道を選ぶのだと思います。
でも、熊谷美術研究所が選んだ道は時代に抗う道です。
これから先、弱小予備校の我々は倒産に危機に何度も直面するでしょう。
でも、この天才育成計画は机と椅子がある限り続けます。
さて、突然ですが、クマビは強いです。
美術の新しい道を切り開くために美術の世界に立ちはだかる巨大な壁を、すみません遠慮なくぶっ壊します。
戦う気がない人はどうかスッと道を開けてください。
私のことをご存じの方は少ないと思いますが私は強いです。
それでは本題に入ります。
美術の世界は閉塞感に包まれている世界だと私は感じています。
皆さんは美術に対して閉塞感を感じたことはありませんか?
あ、そう。感じたことがない?とおっしゃる。
うそですよね
腹を割って話しましょうよ。
後の人たちのために。
美術の世界は様々な壁を造り、人の侵入を阻みます。
人の侵入を阻むのは厳しい美術の世界でほそぼそ生きる利権者が自分の利益を守るためです。
でもけして彼らが直接悪いわけではありません。
言い換えればこの美術の世界でサバイバルを乗り越えて生き残っているのですから立派です。
私もそうですが、高い壁を越えて生き残れたら、自分の超えた壁が今度は自分を守る壁になります。
でも、その壁が美術の世界の閉塞感を生み出しているのだと私は思います。
それで、その壁は外から壊すか、内から壊すか、その選択をするべきタイミングが来ている感じがします。
なので、今回のお話は美術の外の人にも内の人にも聞いて頂きたいのです。
美術の人々は阻まれ、けっして自由に先に進むことが許されずに巨大な壁によって閉鎖された世界。
それが美術です。
自由を目指して進んできているようで実はこの100年で壁を作り続けてきたにすぎない。
と私は考えています。
美術の世界が作り上げてきたものを全て考えてみて下さい。
自由の名のもとに作ってきたものは全て障壁です。
公募団体は時代の流れを拒み、新しい考えを持つ者やその作品を阻み、時代を担う新しい若者からは見放されて、出品者は生き残るために会員を「ご活躍」という言葉で称えます。
出品者は生き永らえるために上納金を支払い、そういったしきたりを受け入れたものがけっして団体以外の社会で通用することのないパスを手に入れ幻の栄誉を手に入れ歌い踊ります。
絵を描いて、特に油絵描いて研鑽を積みたいと思う人たちがスポーツのオリンピックのようにコンクールを目指す道は完全に閉鎖されました。
唯一日本では日本画と油絵では白日会はまだ生きています。
東京芸術大学美術学部の主な学部は関東の美術予備校に通わなければ合格することはできません。
東京芸術大学は広報や入試説明で地方から多くの学生が合格していることを歌い誤魔化しますが、それは地方から関東の美術予備校に通えた受験生の話であって、関東の美術予備校に通うことが出来ない学生が東京芸術大学に合格するのは1割にも満たない人数です。
学生や関係者の中では常識であるこのことを、大学側が事実であると受け入れることはありません。
このことがどれだけ多くの受験生にとてつもなく大きな閉塞感を与えているのかは東京芸術大学美術学部は今の所これを正義だと思っているので変える気はありません。
地方の東京芸術大学の油絵科、デザイン科、彫刻科、工芸科、日本画科を目指す受験生で関東の予備校に通えない人の合格の可能性は閉鎖されました。
このことを安易に否定する人は実際に関東の予備校に通うわずに合格した人の人数を公開してください。
大学内にとっては馬鹿みたいに「いるじゃん、それでいいじゃん」といった感じでも、地方の受験生全員にとってはものすごく悲観的な数字です。
さて、自らを正義だと語る先生、あなたはこの問題と真摯に向かい合う気はありますか?
このようなネガティブなお話をするのは、美術の世界の、今は隠れて見えない本当の大きな力を引き出したいからです。
美術の本当の力は今回のようなネガティブな問題を解決した先にあります。
美術予備校としてはこのようなネガティブな話をすれば怖がって生徒は離れていくのでしない方がいいのかもしれません。
でも今回の問題が誰でもわかっているのに根深い問題になってしまっているのは、誰もが声を挙げないからです。
なので声を挙げます。
わざわざリスクを冒してまで声を挙げるのは、しっかり問題と向かい合った後に本当の美術予備校の価値が、必ず皆さんに見えてくると信じているからです。それまでは歯を食いしばって辛抱して戦っていきたいと思っています。
今回のお話のような影には美術の魅力が隠れています。
魅力の部分を先に話すと問題がかすれてしまうのでできませんが、内部生にはいつも美術の世界を安心して渡り歩けるように大事な話をしています。
きれいごとを言って生徒を集めようと思えばいくらでも集めることは可能です。
でも、それをすることは斜陽にあるこの世界の流れに沿うことになります。
潔く時代の流れに抗わず散っていくのも美しいと思います。
おそらく殆どの美術予備校がみっともない姿をさらすのではなく潔い道を選ぶのだと思います。
でも、熊谷美術研究所が選んだ道は時代に抗う道です。
これから先、弱小予備校の我々は倒産に危機に何度も直面するでしょう。
でも、この天才育成計画は机と椅子がある限り続けます。
さて、突然ですが、クマビは強いです。
美術の新しい道を切り開くために美術の世界に立ちはだかる巨大な壁を、すみません遠慮なくぶっ壊します。
戦う気がない人はどうかスッと道を開けてください。
私のことをご存じの方は少ないと思いますが私は強いです。
それでは本題に入ります。
美術の世界は閉塞感に包まれている世界だと私は感じています。
皆さんは美術に対して閉塞感を感じたことはありませんか?
あ、そう。感じたことがない?とおっしゃる。
うそですよね
腹を割って話しましょうよ。
後の人たちのために。
美術の世界は様々な壁を造り、人の侵入を阻みます。
人の侵入を阻むのは厳しい美術の世界でほそぼそ生きる利権者が自分の利益を守るためです。
でもけして彼らが直接悪いわけではありません。
言い換えればこの美術の世界でサバイバルを乗り越えて生き残っているのですから立派です。
私もそうですが、高い壁を越えて生き残れたら、自分の超えた壁が今度は自分を守る壁になります。
でも、その壁が美術の世界の閉塞感を生み出しているのだと私は思います。
それで、その壁は外から壊すか、内から壊すか、その選択をするべきタイミングが来ている感じがします。
なので、今回のお話は美術の外の人にも内の人にも聞いて頂きたいのです。
美術の人々は阻まれ、けっして自由に先に進むことが許されずに巨大な壁によって閉鎖された世界。
それが美術です。
自由を目指して進んできているようで実はこの100年で壁を作り続けてきたにすぎない。
と私は考えています。
美術の世界が作り上げてきたものを全て考えてみて下さい。
自由の名のもとに作ってきたものは全て障壁です。
公募団体は時代の流れを拒み、新しい考えを持つ者やその作品を阻み、時代を担う新しい若者からは見放されて、出品者は生き残るために会員を「ご活躍」という言葉で称えます。
出品者は生き永らえるために上納金を支払い、そういったしきたりを受け入れたものがけっして団体以外の社会で通用することのないパスを手に入れ幻の栄誉を手に入れ歌い踊ります。
絵を描いて、特に油絵描いて研鑽を積みたいと思う人たちがスポーツのオリンピックのようにコンクールを目指す道は完全に閉鎖されました。
唯一日本では日本画と油絵では白日会はまだ生きています。
東京芸術大学美術学部の主な学部は関東の美術予備校に通わなければ合格することはできません。
東京芸術大学は広報や入試説明で地方から多くの学生が合格していることを歌い誤魔化しますが、それは地方から関東の美術予備校に通えた受験生の話であって、関東の美術予備校に通うことが出来ない学生が東京芸術大学に合格するのは1割にも満たない人数です。
学生や関係者の中では常識であるこのことを、大学側が事実であると受け入れることはありません。
このことがどれだけ多くの受験生にとてつもなく大きな閉塞感を与えているのかは東京芸術大学美術学部は今の所これを正義だと思っているので変える気はありません。
地方の東京芸術大学の油絵科、デザイン科、彫刻科、工芸科、日本画科を目指す受験生で関東の予備校に通えない人の合格の可能性は閉鎖されました。
このことを安易に否定する人は実際に関東の予備校に通うわずに合格した人の人数を公開してください。
大学内にとっては馬鹿みたいに「いるじゃん、それでいいじゃん」といった感じでも、地方の受験生全員にとってはものすごく悲観的な数字です。
さて、自らを正義だと語る先生、あなたはこの問題と真摯に向かい合う気はありますか?