フリーハザード
「自由」とは何か?
美術とデザインの世界では「自由」という言葉が多くの問題を巻き起こしています。なので後日改めてこの厄介な「自由」という言葉についてお話したいと思います。
「美術=フリー」という誤った認識が招く事故。
てんいくではこの事故を「フリーハザード」として徹底的に考えていきます。
私がこれまで30年間美術の世界を見てきた中で、努力をせずに、予め目の前に好きなようにやっていい自由が転がっていたことは、ただの一度もありません。
ピカソよりももっと古い時代、美術の世界でギルドという職人が活躍していた頃は、美術の世界にF=フリーの概念と実際の自由はありませんでした。現代でも未だペルシャ絨毯など幼い子供が技術を身につけさせられ、働かされている現実があります。
幼い子供から仕事を引き離すのはSchoolの語源が休養であることを考えれば必要なことです。ピカソや発達心理学のピアジェ以降、子供に自由にのびのびさせることを大切にするようになりました。
子供に自由にのびのびさせることはとても大切なことです。
全ての子供に仕事をさせるのではなく休養を与え教養することも。
でも、それと学生に完全な「自由」を与えることとは全く次元の違う話です。
ピカソが生きた当時、美術の世界で自由を推奨し子供から仕事を引き離して自由を与えていくことは、現場は反発するでしょうから、とても大変な仕事だったと思います。それ以来100年以上の歳月が流れて現代は当時の自由のキャンペーンの名残があります。
ギルドを前提とした「自由」のヴィジョンはバランスの取れたいわば自由と自由ではない境界線の見える「自由」でした。
現代では子供から美術の職業意識は完全に消えました。
つまり、子供にとっては美術は仕事と結びつかない完全な自由な世界。
そして、子供には美術の世界に具体的にどのような仕事があるのかを教育する機会はありません。よって多くの高校生と親御さんが「美術=フリー」と誤解して芸大美大、専門学校、美術予備校の門を叩きます。
一言ではよくよく考えれば言い表すことが難しい「自由」という言葉を今日は乱暴ですが現状ですぐにでも解決したい問題に焦点を当てるために割り切ります。そうすることで、Fランク=いわゆる軽い試験でフリーで入学できる学校の「自由=フリー」についてお話したいと思います。
世の中に美術とデザインの世界は自由だと誤解されています。正確に言えば「自由」という言葉の意味が誤解されているということです。あなたの頭の中にもそういうイメージはあるかもしれません。例えあなたが美術とデザインの世界で精通している人であってもそうだと思います。
こんなことを言うと困るかもしれませんが、あなたの思っている自由は実は自由ではありません。つまり、自由という言葉が示す物事が、そもそも曖昧で、ことFランクの学校においては特に実は実態がないのです。あなたが感じる自由の境界線は皆さんの頭の中で絶えず変わっています。Fランクのそれはあまりにも激しく動きます。そういった状況の物事を話題にすることは慎重に慎重をきします。Fランクのそれは実は「自由」と言う言葉を使うべきではないのかもしれません。
「自由」ではなく「自由を目指す」であれば当てはまる物事が出てきます。そもそも学生で「自由」が与えられ、担保されている人は本当はいないのです。でも世の中にはいつしか「目指す」とう言葉が外れて「自由」だけが一人歩きをして「美術=自由」「デザイン=自由」と認識されてしまっているように思います。美術の世界にある多くの制約の問題を改めるために表現の自由を目指すというのであればわかります。でもそのような感覚を持ったそこまで意識の高い学生はほぼいません。幼児を「自由にのびのび」育てたいという希望もわかります。でも幼児に完全に自由にのびのびできる環境を与えてあげることは遊んで暮らせるだけの裕福なご家庭でなければ不可能です。
最初に結論をお話ししておくと、美術予備校には少ないですが、美術とデザインの世界が「自由」だと思って入学しようとする子がいます。親御さんが「自由」だと思ってお子さんを連れてくることも多いです。多くの予備校がその子を受け入れると思いますが、クマビは入り口でクッと引き止めます。何故ならば絶対に上手くいかないからです。親御さんと生徒の頭の中に生まれる上手くいかなかった時の失望と怒りはかつては風化していました。でも今は美術とデザインの具体的な評価として返ってきます。 美術予備校には完全な自由を求めてくる子は少ないですが、専門学校と受験勉強をあまりしなくてもフリーで入学できるFランクの芸大美大には自由=フリーがその先も通用すると考えている多くの学生が入学しています。
関東の芸大美大では、多くの大学が受験倍率が高すぎます。倍率が高すぎることには問題があります。それに対して倍率が低いために無理な受験勉強をしなくても済むFランク校が楽な試験で入学できるのはFランク校の良い点だと思います。
ただ、問題は「フリー」で入学できることを最大の売り文句にして、さらに「自由でのびのび」を受験生に向けて売り文句にすることです。
受験倍率が低いためにフリーで入学できることと、大学入学した後も「自由でのびのび」できることとは話の本質が違います。
ただ、Fランク校に集まる生徒の多くが、勉強は大変なので、大学入学後もフリーであることを期待します。それは専門学校でも多いです。
Fランク校と専門学校はそういった子を搔き集めるために、学校入学後も「自由でのびのび」できる空気を作り、高校生に向けて「自由にのびのび」を最大限に広報します。そうすることで、世の中には美術とデザインの世界は「自由にのびのび」しながら食べていける世界だと思ってしまう人が増えるのです。
最大限に広告し、自由を求める学生をかき集めて、大学入学後も「自由」な空気感を引っ張っても学校を出た後の職場で「自由でのびのび」はありえません。ブラック企業の多くは人手不足です。なので就職先はブラック企業で良ければいくらでもあります。「自由」を求めて就職した学生たちのほとんどが仕事が続かないことは言うまでもありません。
美術とデザインの世界では「自由」という言葉が多くの問題を巻き起こしています。なので後日改めてこの厄介な「自由」という言葉についてお話したいと思います。
「美術=フリー」という誤った認識が招く事故。
てんいくではこの事故を「フリーハザード」として徹底的に考えていきます。
私がこれまで30年間美術の世界を見てきた中で、努力をせずに、予め目の前に好きなようにやっていい自由が転がっていたことは、ただの一度もありません。
ピカソよりももっと古い時代、美術の世界でギルドという職人が活躍していた頃は、美術の世界にF=フリーの概念と実際の自由はありませんでした。現代でも未だペルシャ絨毯など幼い子供が技術を身につけさせられ、働かされている現実があります。
幼い子供から仕事を引き離すのはSchoolの語源が休養であることを考えれば必要なことです。ピカソや発達心理学のピアジェ以降、子供に自由にのびのびさせることを大切にするようになりました。
子供に自由にのびのびさせることはとても大切なことです。
全ての子供に仕事をさせるのではなく休養を与え教養することも。
でも、それと学生に完全な「自由」を与えることとは全く次元の違う話です。
ピカソが生きた当時、美術の世界で自由を推奨し子供から仕事を引き離して自由を与えていくことは、現場は反発するでしょうから、とても大変な仕事だったと思います。それ以来100年以上の歳月が流れて現代は当時の自由のキャンペーンの名残があります。
ギルドを前提とした「自由」のヴィジョンはバランスの取れたいわば自由と自由ではない境界線の見える「自由」でした。
現代では子供から美術の職業意識は完全に消えました。
つまり、子供にとっては美術は仕事と結びつかない完全な自由な世界。
そして、子供には美術の世界に具体的にどのような仕事があるのかを教育する機会はありません。よって多くの高校生と親御さんが「美術=フリー」と誤解して芸大美大、専門学校、美術予備校の門を叩きます。
一言ではよくよく考えれば言い表すことが難しい「自由」という言葉を今日は乱暴ですが現状ですぐにでも解決したい問題に焦点を当てるために割り切ります。そうすることで、Fランク=いわゆる軽い試験でフリーで入学できる学校の「自由=フリー」についてお話したいと思います。
世の中に美術とデザインの世界は自由だと誤解されています。正確に言えば「自由」という言葉の意味が誤解されているということです。あなたの頭の中にもそういうイメージはあるかもしれません。例えあなたが美術とデザインの世界で精通している人であってもそうだと思います。
こんなことを言うと困るかもしれませんが、あなたの思っている自由は実は自由ではありません。つまり、自由という言葉が示す物事が、そもそも曖昧で、ことFランクの学校においては特に実は実態がないのです。あなたが感じる自由の境界線は皆さんの頭の中で絶えず変わっています。Fランクのそれはあまりにも激しく動きます。そういった状況の物事を話題にすることは慎重に慎重をきします。Fランクのそれは実は「自由」と言う言葉を使うべきではないのかもしれません。
「自由」ではなく「自由を目指す」であれば当てはまる物事が出てきます。そもそも学生で「自由」が与えられ、担保されている人は本当はいないのです。でも世の中にはいつしか「目指す」とう言葉が外れて「自由」だけが一人歩きをして「美術=自由」「デザイン=自由」と認識されてしまっているように思います。美術の世界にある多くの制約の問題を改めるために表現の自由を目指すというのであればわかります。でもそのような感覚を持ったそこまで意識の高い学生はほぼいません。幼児を「自由にのびのび」育てたいという希望もわかります。でも幼児に完全に自由にのびのびできる環境を与えてあげることは遊んで暮らせるだけの裕福なご家庭でなければ不可能です。
最初に結論をお話ししておくと、美術予備校には少ないですが、美術とデザインの世界が「自由」だと思って入学しようとする子がいます。親御さんが「自由」だと思ってお子さんを連れてくることも多いです。多くの予備校がその子を受け入れると思いますが、クマビは入り口でクッと引き止めます。何故ならば絶対に上手くいかないからです。親御さんと生徒の頭の中に生まれる上手くいかなかった時の失望と怒りはかつては風化していました。でも今は美術とデザインの具体的な評価として返ってきます。 美術予備校には完全な自由を求めてくる子は少ないですが、専門学校と受験勉強をあまりしなくてもフリーで入学できるFランクの芸大美大には自由=フリーがその先も通用すると考えている多くの学生が入学しています。
関東の芸大美大では、多くの大学が受験倍率が高すぎます。倍率が高すぎることには問題があります。それに対して倍率が低いために無理な受験勉強をしなくても済むFランク校が楽な試験で入学できるのはFランク校の良い点だと思います。
ただ、問題は「フリー」で入学できることを最大の売り文句にして、さらに「自由でのびのび」を受験生に向けて売り文句にすることです。
受験倍率が低いためにフリーで入学できることと、大学入学した後も「自由でのびのび」できることとは話の本質が違います。
ただ、Fランク校に集まる生徒の多くが、勉強は大変なので、大学入学後もフリーであることを期待します。それは専門学校でも多いです。
Fランク校と専門学校はそういった子を搔き集めるために、学校入学後も「自由でのびのび」できる空気を作り、高校生に向けて「自由にのびのび」を最大限に広報します。そうすることで、世の中には美術とデザインの世界は「自由にのびのび」しながら食べていける世界だと思ってしまう人が増えるのです。
最大限に広告し、自由を求める学生をかき集めて、大学入学後も「自由」な空気感を引っ張っても学校を出た後の職場で「自由でのびのび」はありえません。ブラック企業の多くは人手不足です。なので就職先はブラック企業で良ければいくらでもあります。「自由」を求めて就職した学生たちのほとんどが仕事が続かないことは言うまでもありません。