権力者ファースト企業秘密ハザード
美術の世界は立場の弱い人が集まっています。
そして集団の中心には必ずリーダーや権力者がいます。
弱い立場の人は従わなければなりません。
つまり弱い立場の人は自由にのびのびできません。
その集団は多分、仕事でなければ、ほとんどの集まり、今風に言えばコレクティブですかね、そのほとんどが優しい人の集まりです。
人のわがままを容認してくれる優しい人がこの世界には実に多いです。
優しい人たちはわがままを聞いてくれます。わがままを容認してくれる人がいてはじめて自由にのびのびできます。
全ての集まりが優しい人の集まりなら問題はないのですが、中には色んな人がいるものです。
問題を起こす人もいます。言うまでもなく当然です。そんなことより学生は優しいだけで収まっていてはいけません。
しっかりと食べていけるようにするためには弱者のままでは駄目なのです。
弱い自分を突き放して強者にならなければなりません。
「弱者が弱者でなくなる」そんな時代がくれば最高です。
インターネットは皆んなが情報を発信できるようにしました。
実はこのことは美術とデザインの世界に大きな変革をもたらす一大事です。
私はインターネットによって皆が(弱者)が発言できる機会を得たと思っています。
そうなると本当に「弱者が弱者で無くなる時代が来る」そのような感じがします。
優しい強者を作るためには弱者にどんどん情報を伝えていかなければなりません。実は美術とデザインの世界には優しい強者がいません。
優しい強者を作ることがこれからの美術とデザインの課題です。
今まで、ものを言う場を与えられなかった弱者は少なくとも発言力においてはもう弱者ではないかもしれません。
これまでの強者の中にはインターネットによってすでに強者でなくなった人もいるはずです。
これまで美術の世界で勝敗をわけていたものは情報です。
その情報が誰にでも手に入るようになりつつある今。これからの強者に求められる能力は何か?
それは開発力だと思います。
現在の美術の中の人間の権力は情報によって作られています。
そしてその情報の瓦解がすでに始まっています。
美術の中の権力者は握っている情報が漏れれば権力を失います。
「情報=権力」の美術の世界は閉鎖的です。
古くはギルドが門外不出の絵画の技術を持っていました。
絵を描く力は特別な才能だと言われ、画家は天才と称されました。
でも、実際は絵は健康な人なら誰でも描くことができます。
絵を描けることが「才能」「天才」とするのは今の時代では演出です。
ギルドの時代は科学者でなければ絵を描くことはできなかった。
今はすでに絵の具を作り出す天才でなくても絵が描けるのに未だにそのことを世の中に伏せています。
つまり、これも情報を閉じる権力者の処世術です。
美術とデザインが情報を閉鎖する癖は未だに続いています。
誰にでも絵が描けることが社会の全ての人に伝わって、癖がなくなり、美術とデザインが閉鎖的でなくなるのは時間の問題です。
この過渡期に美術とデザインに関わる人は考えなければなりません。
解放する側にまわるか、それでも閉じる側にまわるかはあなた次第です。
情報の閉じた、閉鎖的な美術の世界は、情報を持つ権力者が支配する世界です。
美術の世界は権力者が支配する権力者ファースト。
学校も、画廊も、美術館も、市場も。
美術の世界はどこに行っても権力者ファーストです。
美術の世界に市民ファーストやアーティストファーストはどこにもありません。
美術の世界は「自由でのびのび」を歌う世界。
でも、実際には「自由でのびのび」はどこにも見当たりません。
権力者が権力を握り続けることができるのは、情報を握り続けることができるからです。
インターネットによって情報が外に出せるようになった今、権力図は壊れます。皆さんよく考えてください。そして良く観察してください。そうすれば直にわかると思います。
美術が権力者ファーストから抜ける時は刻一刻と近づいています。
インターネットによって簡単に情報を上げて、発言できるようになりました。
そうすると安易に情報が上げられることに対して危惧する声が上がるようになりました。
しかし基本的には道が拓けたことによる変革の方が大きい。
皆さん変革に乗ってください。
危惧をなぜ感じるか、
例えばどこからどこまで個人の判断で情報を上げていいものなのかが定まっていないことや、上げてはならない情報を事前に察知して上がる前に抑止する術がないこと。モラルを守っている人でも他人の守られるべき情報を気づかずに上げてしまうといったことが起きて他人の利益が傷つけられることが容易に予想できるし、すでに起きているからです。
他にも様々な危惧がフッと頭に浮かびますが、どちらかと言えば、美術の世界はこの機に乗じて生まれ変わるべきだと考えています。
なので、美術の問題をスムーズに解決していくために情報を楽観的に上げていくべきだと考えています。
皆んなが情報を上げながら、皆んなで美術にとってより良い上げ方をこれから美術に関わる人間が責任感を持って考えていけばいいと思います。
現状では実際に簡単に情報を上げられるようになったことで、軽微な迷惑を被った人が出てき始めているようです。
ただ、私の知るところ、今迷惑や被害を訴え始めている人はすでに大きな権力を持っている人が多い印象です。
つまり、今まで不遇だった人は歓喜の声を、今まで権力を握っていた人は悲鳴を。
そんな風に見えてしまいます。そう見えてしまうのはなぜでしょうか。私だけかもしれませんね。
このように考える中で改めて美術を見て浮かんだ言葉は「権力者ファーストハザード」です。
そして集団の中心には必ずリーダーや権力者がいます。
弱い立場の人は従わなければなりません。
つまり弱い立場の人は自由にのびのびできません。
その集団は多分、仕事でなければ、ほとんどの集まり、今風に言えばコレクティブですかね、そのほとんどが優しい人の集まりです。
人のわがままを容認してくれる優しい人がこの世界には実に多いです。
優しい人たちはわがままを聞いてくれます。わがままを容認してくれる人がいてはじめて自由にのびのびできます。
全ての集まりが優しい人の集まりなら問題はないのですが、中には色んな人がいるものです。
問題を起こす人もいます。言うまでもなく当然です。そんなことより学生は優しいだけで収まっていてはいけません。
しっかりと食べていけるようにするためには弱者のままでは駄目なのです。
弱い自分を突き放して強者にならなければなりません。
「弱者が弱者でなくなる」そんな時代がくれば最高です。
インターネットは皆んなが情報を発信できるようにしました。
実はこのことは美術とデザインの世界に大きな変革をもたらす一大事です。
私はインターネットによって皆が(弱者)が発言できる機会を得たと思っています。
そうなると本当に「弱者が弱者で無くなる時代が来る」そのような感じがします。
優しい強者を作るためには弱者にどんどん情報を伝えていかなければなりません。実は美術とデザインの世界には優しい強者がいません。
優しい強者を作ることがこれからの美術とデザインの課題です。
今まで、ものを言う場を与えられなかった弱者は少なくとも発言力においてはもう弱者ではないかもしれません。
これまでの強者の中にはインターネットによってすでに強者でなくなった人もいるはずです。
これまで美術の世界で勝敗をわけていたものは情報です。
その情報が誰にでも手に入るようになりつつある今。これからの強者に求められる能力は何か?
それは開発力だと思います。
現在の美術の中の人間の権力は情報によって作られています。
そしてその情報の瓦解がすでに始まっています。
美術の中の権力者は握っている情報が漏れれば権力を失います。
「情報=権力」の美術の世界は閉鎖的です。
古くはギルドが門外不出の絵画の技術を持っていました。
絵を描く力は特別な才能だと言われ、画家は天才と称されました。
でも、実際は絵は健康な人なら誰でも描くことができます。
絵を描けることが「才能」「天才」とするのは今の時代では演出です。
ギルドの時代は科学者でなければ絵を描くことはできなかった。
今はすでに絵の具を作り出す天才でなくても絵が描けるのに未だにそのことを世の中に伏せています。
つまり、これも情報を閉じる権力者の処世術です。
美術とデザインが情報を閉鎖する癖は未だに続いています。
誰にでも絵が描けることが社会の全ての人に伝わって、癖がなくなり、美術とデザインが閉鎖的でなくなるのは時間の問題です。
この過渡期に美術とデザインに関わる人は考えなければなりません。
解放する側にまわるか、それでも閉じる側にまわるかはあなた次第です。
情報の閉じた、閉鎖的な美術の世界は、情報を持つ権力者が支配する世界です。
美術の世界は権力者が支配する権力者ファースト。
学校も、画廊も、美術館も、市場も。
美術の世界はどこに行っても権力者ファーストです。
美術の世界に市民ファーストやアーティストファーストはどこにもありません。
美術の世界は「自由でのびのび」を歌う世界。
でも、実際には「自由でのびのび」はどこにも見当たりません。
権力者が権力を握り続けることができるのは、情報を握り続けることができるからです。
インターネットによって情報が外に出せるようになった今、権力図は壊れます。皆さんよく考えてください。そして良く観察してください。そうすれば直にわかると思います。
美術が権力者ファーストから抜ける時は刻一刻と近づいています。
インターネットによって簡単に情報を上げて、発言できるようになりました。
そうすると安易に情報が上げられることに対して危惧する声が上がるようになりました。
しかし基本的には道が拓けたことによる変革の方が大きい。
皆さん変革に乗ってください。
危惧をなぜ感じるか、
例えばどこからどこまで個人の判断で情報を上げていいものなのかが定まっていないことや、上げてはならない情報を事前に察知して上がる前に抑止する術がないこと。モラルを守っている人でも他人の守られるべき情報を気づかずに上げてしまうといったことが起きて他人の利益が傷つけられることが容易に予想できるし、すでに起きているからです。
他にも様々な危惧がフッと頭に浮かびますが、どちらかと言えば、美術の世界はこの機に乗じて生まれ変わるべきだと考えています。
なので、美術の問題をスムーズに解決していくために情報を楽観的に上げていくべきだと考えています。
皆んなが情報を上げながら、皆んなで美術にとってより良い上げ方をこれから美術に関わる人間が責任感を持って考えていけばいいと思います。
現状では実際に簡単に情報を上げられるようになったことで、軽微な迷惑を被った人が出てき始めているようです。
ただ、私の知るところ、今迷惑や被害を訴え始めている人はすでに大きな権力を持っている人が多い印象です。
つまり、今まで不遇だった人は歓喜の声を、今まで権力を握っていた人は悲鳴を。
そんな風に見えてしまいます。そう見えてしまうのはなぜでしょうか。私だけかもしれませんね。
このように考える中で改めて美術を見て浮かんだ言葉は「権力者ファーストハザード」です。