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天才育成計画てんいく「権力者ファーストうんこハザード」

まず、最初にお断りしておきます。
今日のお話しも馬鹿なお話しです。
今日のお話しは「うんこ」がたくさん出てきます。

「うんこ」をおぞましいと思った人はいますぐ読むのを辞めてください。
体を壊します。

「うんこ」と聞いてすました顔をしながら実は内心ゾクッとしている人は読んでください。
あなたはこれからの美術の世界にむいています。
一緒に真の自由を目指して立ち上がりましょう。

美術の世界は汚い権力者の世界です。
自然の産物である「うんこ」よりもはるかに汚い。
権力者の支配する囲いを壊して自由を手にしながら、市民が自由に制作できるように、
又、社会の皆んなに受け入れられることで美術が市民権を得られるように願って、権力に興味のない多くのアーティストが自由を求めてもがいています?

「うんこ」のために?

他の人はわかりませんが今日の「うんこ」の話は私のもがきです。
幼児に図画工作を指導する時に、幼児たちが真に求めているのは自由に「うんこ」と叫んで「うんこ」の絵を描くことです。

私は幼児のその本音を知りながら、図画工作のコンクールに向けて、のびのびと幼児たちに「うんこ」の絵を描かせることができません。

自由にのびのびをスローガンに掲げる図画工作のコンクールに「うんこ」の絵を出せないのはなぜですか?

幼児は私が「うんこ」を抑止した瞬間に秒殺で図画工作を殺します。
私はそれが辛い。
それが美術の人離れの大元です。

「うんこ」の絵を幼児に描かせることがそんなに悪いことでしょうか?
私にはそうは思えないのです・・・。

このように今日は「うんこ」がたくさん出てきます。

後、「うんこ」の取り扱いには十分に注意してください。
「うんこ」は誰からも愛されるものであり、誰からも嫌われるものでもあります。
「うんこ」の話が好きでも、「うんこ」をつけられたりするのは嫌いです。多分。
40年前、小学校の頃の友達で野良犬の「うんこ」を手づかみでつかんで友達に投げるやつがいてそいつから「うんこ」を投げつけられたやつは皆んな喜んでいましたが、あなたがそれを真似すると多分嫌われるのでやめておきましょう。

「うんこ」は正と負の2つの顔を持っているものです。
「うんこ」は人の中にある政府を表現しています。
誰でもするものですがその事実が公言されることはありません。
タブーです。
するものはするけれど隠される事実。
世の中にくみするために、本当は大好きだけど、誰もがその事実を隠蔽する
正と負が同居する心の中の政府。

心の中の政府のために現実世界に「うんこランド」作りませんか誰か?
大ヒット間違いなしです。
でもどこかの権力者が邪魔をするでしょう。
「うんこ」にとっての悪の組織、教育委員会とか・・。

教育委員会のメガネをかけた偉い女の先生は「うんこ」という言葉をあげるだけで気絶するでしょうね。
悪のメガネと戦わなければ。

うんこの反対には権力者がいます。
「対うんこ」は権力者です。

権力者に打ち勝つのは「うんこ」です。本当に。
「うんこ」ゾクッが人と人を繋ぎます。
権力者はつまらないものにすがります。
お金、名誉、あと出世、悪いこと。一番多いのは保身かな・・・。

教育委員会の中にも密かに真の自由を求めている人はいるんじゃないかな。
「うんこ」と聞いてゾクッとする人が。
味方してくれないかな・・。
「うんこ」の自由のために。

お金、名誉、出世、悪いこと。
後保身。
こんなつまらないものにとらわれる人は心の底から喜んだり楽しんだりできない可哀想な人です。
「うんこ」と聞いてゾクッとする感じを知らない。
それかゾクッとする自分を誤魔化している。
「良い子でいるために」

幼い時に大人の振る舞いを躾けられて、それが正しいと信じて、「うんこ」を捨てた。
「うんこ」を捨てた大人は、何かを求めて権力に走る。体の芯から喜べるゾクッとするような面白いものはそこにはないのに。

美術の世界は権力者ファーストです。
自由でのびのびな世界だと美術の外の世界の皆さんには思われていると思いますが違います。
美術の世界は大人の世界です。
つまり美術の世界は「うんこ」ではありません。

美術の世界は
美術館、画廊、
公募団体
絵画コンクール
芸大美大、美術系専門学校、
美術高校、美術部、美術の授業
図画工作、幼児教育の美術
などでできています。

これらの全てが「うんこ」を受け入れません。
子供達が一番描きたいのは「うんこ」なのに?

これら全て大人が関係している世界です。
つまり、大人の事情が根深く絡んでいる。
めんどくさいですね。
だから美術は不可解なんです。
それをぶっ壊すのが「うんこ」です。
教育委員会からなんと言われようが「うんこ」です。

例えば芸大美大。東京藝術大学の学生の中で自由にのびのび制作している人はいるのでしょうか?
デザイン科はどうですか?
一人くらいいますか?
工芸科はどうですか?
彫刻科は?

「うんこ」の夜明け
夜明けが訪れるかが美術の明るい未来の鍵だと思います。

「うんこ」がダメなら最初からそう言えば良いのに。
だまさずに。
図画工作は大人のために絵を描く世界。
間違いありません。
「うんこ」から考えてみませんか?
そうすれば真実が見えてきますよ。

私のいる美術の世界で特に「うんこ」の警笛を鳴らさなければならないのは、
自由にのびのびできると殆ど皆が考えてこの世界に入ってきて、
自由でのびのびではない事実を受け入れられるかどうかの洗礼を受け、
洗礼という通過儀礼を目の前にして行き場を失い、
立ち往生する多くの人がいるからです。
「うんこ」が許される社会はどこにもない。

あなたは「うんこ」の絵が描けないことを受け入れられますか?
私はかつてこの悪の通過儀礼を受け入れました。
悪魔に魂を売ったのです。馬鹿なことをした・・・。
そして「うんこ」の絵を描かなくなった。

つまり美術の世界には自由はどこにもない。

芸大美大に残っている人は通過儀礼を受け入れて自由を放棄した人です。
生き恥を晒すくらいなら死んだ方がましだとその場から立ち去れる強い意志を持つ人は稀です。

私の知る限り東京藝術大学で生き残っている学生は「うんこ」の自由を放棄しています。なので自由にブレーキをかけている。
ブレーキがかかっているのにコンセプトもクソもないですよね・・。
「うんこ」だけに。

心の蓋を取るのは「うんこ」です。
権力者が支配している学内にいる間は蓋は取れないかな・・・。
そこにあるのは将来の不安を解決するための保身。
保身のために心を売る世界。
美術の世界は自由な世界ではありません。

この蓋を取るのは学生や幼児ではないな・・。
学生や幼児に押し付けるのではなく。
権力者の中の誰か・・・。

保身の殻。皆んな、いい加減壊しませんか


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