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天才育成計画てんいく「楽ちんハザード&天才育成の計画のけ」


美術の世界は
「才能がある人が、自由にのびのび制作をして、楽に、評価されて、輝かしい賞を受賞して、沢山お金を稼げる世界」
と思っている人は多いと思います。

美術には天才のイメージがあります。
天才の逸話の数々が頭に浮かびます。
私も幼いころ親や大人の、天才に育ってほしいとの思いから天才の話を聞かされてきました。


冒頭の「才能がある人・・・」の文。
残念ながらこの中にはいくつか大きな間違いがあります。
間違いはどれでしょう。皆さんも一度考えてみて下さい。

最初の「才能がある人」これは最も正解率が低いです。
答えはどちらでしょう。
皆さんも考えてみて下さい。

答えは・・・「間違い」です。落ち着いて努力をすれば誰でも成功します。
証明としては東京芸術大学に努力をせずに合格する人が稀に(1%程度)いますがいたとしても、その後も楽ちんで成功し続ける人はいません。
努力をしなければ99%落ちこぼれます。(ごめんなさい)
努力しても東京芸術大学に受からなかったという人がいるかもしれません。
私は受験勉強を10年しました。
落ち着いてとは受かるまで続けることを意味しています。
腰を据えて・・落ち着いているのであれば失敗に動じて断念する必要はないですよね?

つまり、この世界は落ち着いて、腰を据えて努力を続ければ成功する。
それが出来なければ成功しない。
ということが正解です。

10年も努力できないという人は多いですよね、そうでしょう。
私はけっして10年努力しなさいということが言いたいわけではありません。
しなくていいです。
私が言いたいのはこの世界は楽ちんではないということで、楽ちんだと誤解してこの世界に踏み込んできて楽ちんハザードにはまる人があまりにも多いので楽ちんハザードの事故を根絶するために、楽ちんで上手くいくことがないことを立証したり証明していきたいだけです。


次の「自由に」は半分正解ですが「自由にのびのび」といった具合に合わさると間違いです。
「自由に」はあらゆる目の前に立ちはだかる巨大な壁を壊したり、乗り越えながら自らの主張や考えといった自由を貫きとおせば正解です。
私の同級生にもいますし、有名なアーティストでは篠原有司男や大竹伸朗がそうだと思います。かっこいいですね。

他には障害がある人を無償の奉仕の精神でプロモートする人やパトロンなどの際限のないバックアップをしてくれる人がいる場合は正解となります。

ただ、プロモートされる人やパトロンが付く人は今の時代では万に一つもありません。
毎年数万人の新しい画家やデザイナーたちが生まれます。
大学と専門学校を合わせても1万人はいます。
学校に行けなかった人たちはもっといます。
さて、彼らの中からプロモートされたり、パトロンが付く人は10年に一人くらいです。

ほら、万に一つもないですよね。
10万にひとつくらいの確立だと思います。
あなたはそれを承知でそれを目指しますか?・・・。

OKです。
10万分の1の確率に承知の上でチャレンジするのに私は何も言うつもりはありません。
私が言いたいのは10万分の1の確率を知らない人に真実を伝えること。
それと10万分の1程度の確率を承知で、知らない生徒たちに気付かれないように勧める輩を根絶したいということです。
10万分の1の幸運を手にする。
これは100%運です。
努力でも才能でもありません。


後、例外としてパトロンと似て非なるもので「ひも」がいますが、ひもは別です。
ひもになれるのは才能です。
でも、ひも=最低だと私は思います。
美術はそこまで落ちぶれるほど力のないものではないと思っています。


「自由にのびのび」が間違いであるのは、なんの障壁にも邪魔されずにのびのび制作をして上手くいくことは私の知るこの30年では該当する人がいないからです。
あるという人はこの30年で日本の油絵、彫刻、工芸、日本画で自由にのびのび制作して上手く言っている人を教えてください。
あーその人ね、その人何浪してると思ってますか?
あ、コネでという人はいるにはいますね。

では「楽に」は、あ、もう私の考えを言う必要はないですね。

それで、「輝かしい賞」
これはそもそも楽にとれる賞や楽にとれた賞に本物はありません。
これは後にもう少し詳しくお話しますが殆どの公募やコンクールが連続性は皆無のため社会的に認められた評価として機能することはまずありえません。
殆どの賞がそのグループの中でのごっこ遊びであって、内閣総理大臣賞や県知事賞や市長賞などすごいような名前がついていますが、実際は社会的に認められている評価ではないです。

つまり、受賞者が学生なら東京芸術大学への合格や社会なら外部への高い評価につながらないものです。
それぞれの集まりが自分を守るための大きな壁をつくり、壁の中だけで賞が通用するようになっています。
外で通用しない賞にとる意味はありません。
怪しい宗教とやっていることは同じですね。


最後に「沢山お金を稼げる世界」これも大間違いです。
並々ならぬ努力の末という話であればいくらでも稼げる世界です。


さて皆さん、少しずつ誤解が晴れてきたのではないでしょうか?

そもそも美術とデザインの世界は、才能で自由にのびのび制作して楽に賞をもらって稼げる世界ではまったくありません。

美術とデザインの世界は厳しい世界です。
そのような厳しい現実の中で美術の世界は皆さんに誤解を与えても仕方のないようなことを沢山してきています。

例えば美術には上手になるために技芸を磨くこととは別に、心や感性、想像力を養うためにのびのび図画工作をさせるということがあります。
ただ、これは本来とても重要で意味のあることなのですが、思想と表向きの評価だけが先行し実態は遅れています。
結果が出ていないとても未熟な未開発の分野です。
私の眼から見てどこからどう見ても矛盾だらけで正しく機能していません。

未熟というのは例えば幼児教育の段階で躓いているので連続性が上手く機能していません。

簡単にいうと幼児に美術のスペシャリストが技芸を見せながらのびのび図画工作をさせれば幼児たちは遊びながら自然に高度な技芸を身に付けていくのです。
でも、もう皆さんおわかりのように幼稚園に高度な美術の技芸を持つ先生を招くことは難しいですよね。
仮に呼んだとしてもこどもたちはぐちゃぐちゃするものだという認識なので授業は成立しません。

本来なら幼児に図画工作を指導する全ての先生が高度な技芸を持っている必要があります。
例えば幼児は年中さんになると絵というものがわかります。
わかるということは上手かどうかの判断ができるということです。

つまり、全ての幼児が自分の絵が下手なので描きたくなくなります。
それで幼児教育の美術は実際には全て躓いているのです。
幼児にのびのび描かせて喜んでいるのは実は大人です。
先生と企画者と親御さん。

例えば人の顔を描いたり、動物を描いたりします。
それが下手だということに幼児は全員気付いているのです。
幼児の本音をその場でねじ伏せているだけです。

逆に幼児の目線に降りて本音を聞き出してください。
真実の声が聞こえて、本当の姿が見えてきますよ。
その真実は美術の明るい未来を示していると私は考えています。


さて、幼児にのびのび図画工作をさせることは実は天才を育成する可能性を秘めています。
天才育成計画「てんいく」は幼児にのびのび図画工作をさせて、自然に高度な技芸が学べるようにします。
少しづつ。

てんいくは日本中が変わる火種になります。
「美術大国にっぽん」おおげさかな~。
でも「マンガ大国にっぽん」って響きはどうですか?
大げさではないですよね。


後言えることは、ここに美術の新たで巨大な教育資源があります。
学生たちから授業料をとるのではなく先生たちを育成する。
それが天才育成計画の最初のけです。


実は東京芸術大学の合格レベルの作品は小学生でも描けるようになります。
今の時代は高校生にならないと高度な技術に触れる機会がありませんが。
てんいくではそれを幼児教育から実践します。

断言します。
近い将来日本中の幼児教育の認識にある正と負が完全に入れ替わります。
皆さんそんなことできないと思っているでしょ!
出来るんですよ。
そのうちにわかります。

幼稚園の先生たちをなめちゃだめです。
彼らのこどもへの想いは半端じゃない。
彼らはいずれ大きなムーヴメントを起こすでしょう。

そうすれば美大芸大入試も変わります。
美術予備校も。


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