描き方ハザード
世の中は美術とデザインの世界を「自由」で「のびのび」できる世界だと歌います。でも本当に美術とデザインの世界はそんなにのびのびした世界だと現場の人間は言うのでしょうか?多くの人はないと言うと思います。
図画工作や美術の授業や美術部はとてものんびりしている所が多いです。でもそれは実際の美術とデザインの空気とは全く別物です?
つまり、図画工作や美術の授業や美術部を「=The美術」や「=The デザイン」と認識している先生があまりに多いのです。
教職に就く先生方は大学を卒業してすぐに教員になられた方が多いので美術とデザインの職場を見たことがありません。教育系の大学を出られた先生方は特に周りの人間が皆んな教員になるので美術大学を出た教員よりも接点を持つことが少なくなります。特に保育園、幼稚園、小学校の先生は大学で学んだ図画工作と美術のイメージしかない方がほとんどなので美術とデザインの職場のことを全く知らない先生がほとんどです。
又、中学と高校では美術以外の教科の先生も保育園、幼稚園、小学校の先生と同じように美術とデザインの職場との接点はありません。そのため、メディアが流す美術とデザインのイメージのままの認識で進路指導されたり、美術部や美術の授業から伝わるイメージで進路に美術を検討している生徒に進路指導される先生が多いです。
肝心なことは唯一つ。図画工作と美術に関わる全ての先生に仕事の現場の厳しさを知って欲しい。そして、図画工作と美術の授業と美術部と職場とは全く別の世界だと言うことを生徒たちに指導して欲しいのです。
人あたりのきつい、煙い話ですが、ぼんやりぼやけた感覚で、美術とデザインの世界に踏み込む人が多いのです。
学校では美術とデザインが「自由」で「のびのび」していい世界だと教えています。
それは本当ですが、「自由」「のびのび」を実社会で押し通せる子は、かなり裕福なお家の子だったり、かなり心の強い子が我を押し通す荒技です。
つまり、美術とデザインの世界だから「自由」「のびのび」でお金をもらえるのではなく、美術とデザインの世界に限らず、社会で「自由」「のびのび」と堂々とできる子が美術とデザインの世界でも「自由」「のびのび」できるのです。図画工作と美術の授業では、先生の裁量によって、少し弱い子に対して制約を緩くしてあげて、自由にのびのびさせて自信を持たせてあげることができます。失意の底にあるような子に対しては一次的に気持ちを上げてあげることは指導としては正しいと思います。ただ、そのままが通用すると思わせて美術系の学校に進学したり、就職させてしまうのは絶対にしてはならないと思います。
現状では美術とデザインの世界は「自由」で「のびのび」できる世界だと、子供や親御さんに指導される先生がおられます。これはとても不味いです。
私は美術とデザインの世界に入ってから「自由」「のびのび」が私は通用する所を一度も見たことはありません。
そんな現場の話も一度も聞いたことはありません。
つまり、ないのです。
先生方の指導される美術部では先生方の裁量によって「自由」「のびのび」は可能です。
厳しい美術部もありますし、優しい美術部もあります。
どちらが正しいところもありますし、問題もあると思います。
正直な所、美術部は友達とおしゃべりが制作よりも楽しくて、いざ制作すると言うとめんどくさがる子は多いと言う感じが多いですよね?
「自由」「のびのび」ではなく「ダレる」と言うかなんと言うか・・。
実際「自由」「のびのび」はかなりモチベーションが高くなければできないことですよね・・。
美術部を否定するつもりは全くありません。
でも、そのノリで美術予備校や職場に行けると思っている高校生と親御さんがいらっしゃいます。その辺りはそうではないと必ず教えておくべく所ではありませんか❔教えていると言う先生が殆どですよね・・。申し訳ない。
誤解している子や親御さんにお伺いしたい・・。
制作がめんどうくさくて、おしゃべりすることが美術ですか?
美術部の中での状況なので美術とは言えると思います。
でも、あくまで私の考えですが、それはおしゃべりする時間を楽しむために美術部という集まりを作っているのであって、目的によっては美術ではないとも言えると思います。
美術の集まりの中には美術部に限らず、美術の好きな人が集まってお茶やお酒を飲みながら、たわいもない談笑しながら合間に美術の話をしたり、制作するコレクティブがあります。素人玄人ともにそのような集まりはあります。玄人としてもしっかりと成立します。むしろ世界中にあるそのようなコレクティブの美術の形は大切とも言えます。コレクティブの中に世界的に活躍しているアーティストが多いのも確かです。
その中での玄人は「自由でのびのび」制作しています。
でもそのようなコレクティブには困難を乗り越える強さを「自由にのびのび」に併せ持っているのです。強いから「自由」を担保されています。
でも、目的が受験や勤め先の仕事になった時にはくっちゃべることが優先と言う感覚は通用しません。それは素人玄人関係ありません。くっちゃべってるだけの人に給料払い続けられますか?
美術部での「自由にのびのび」制作するとは、実は自由にのびのび制作しているのではなく、監督する先生が制約を緩くして、制作しないで遊んでいることを容認しているだけにすぎないと思います。なので実際の制作は自由でものびのびでもなんでもない。くっちゃべるのを我慢して制作はめんどくさいのを我慢して苦痛なものではないですか?
私の知る限り、美術部とか、Fランクの大学とか、専門学校では制作は2の次で部活や授業中くっちゃべっている所が多いです。家に帰ったら制作ではなくゲームかな・・。
後は幼児と小学生の図画工作もおしゃべりしながら制作している様子が多いと思いますが、それは自由にのびのびなんですか?
「何が言いたい」と怒られそうですが、何が言いたいかはっきり言いますと、幼児、小学生、美術部、Fランクの大学、専門学校それぞれ見る限り、殆どの作品が自由な発想で、硬い考えに囚われず、のびのび気持ちや心を解き放って描いていないのです。
まず、その前の段階で集中して制作していません。
集中していれば0から発想したり、安易に既成の考えで作るのではなく柔らかく色んな考え方をしてみたり、課題を楽しむことができます。
例えば一番「自由にのびのび」描いてそうな幼児は実際どうですか?
幼児は発想というより、私の見る限り、先生に教わった描き方で描いています。
顔は丸い輪郭を描いて、目を点でチョン、眉と口は線でピッ。
可愛いとは思います。でも、それは知っている描き方を繰り返しているだけではありませんか?
つまり、誰かの顔を思い出してその顔に合わせて形を想像して描いていたら眼が点でチョンになるはずがないと私は考えます。チョンが絶対にダメというわけではないのです。でも、皆んな同じようにチョンは私は描き方で描いているだけだと思います。チョンとうった点のどこに自由な発想があるのですか❔独創的な描き方があるのですか❔誰か点の中に垣間見れる個性を語って私に教えてください。実際できる先生はおられると思いますし、私もできます。
幼児は自由な発想で描いていません。描き方で描いています。
図画の中に顔が出てくることは多いですが、肝心な顔が全て皆んな描き方です。実はこれは非常にまずいことなんです。色々とまずいことはあります。例えば、描き方で導入しておいて、ある所からパタッと描き方を教えなくなる。つまり先生が描き方で高度な画力を持っていないんですね・・。眼が点からスムーズに高度な画力までの指導の展開があれば、それはいいと思います。でもそれができないから子供はずっと眼を点で描いてしまいます。これは不味いです。小学校に入ったらいたずらに強いほうれい線ですね・・。おかしいと思いませんか?
子供は指導されて描き方の制約があって、制約の通りに型にはめて描いています。
幼児はのびのび描いていません。型にかっちりはめて描いています。
先生の言う通りに幼児が描かなかったら段取りが狂うので先生は困りますよね?後、丸描いてチョンではない顔は評価の仕方に困りますよね❔だから実力行使で指導した以外の描き方では多くの先生が描かせませんよね?
小学生はどうでしょう?
「自由にのびのび」推奨しながら小学生は「大人の振る舞い」のできた子以外は監督の眼を緩めるとサボったり、くっちゃべります。
それは「のびのび」ではなく「サボっている」ですよね。
「大人の振る舞い」ができている子は幼児と同じように型にはめてきっちり先生に教わった描き方でカッチリ描いています。
さらに「大人の振る舞い」で制作している子は「自由にのびのび」制作していません。周りに迷惑をかけないように制約に注意しながら、周りの友達よりも良い作品が描けるように競争意識を持って制作しています。
つまり、実は授業が形になっている学校では「自由でのびのび」制作している生徒はいないのです。
「自由でのびのび」は対国語、対算数、対体育など図画工作の立場を脅かす教科に対抗するためのたらしこみの演出であって、実際は「大人の振る舞い」が出来ている子が評価され、そのように躾させているだけで、それ以上に「自由にのびのび」させるまでの自主性を身につかせられてはいません。
日本の小学生の絵を見てオリジナルの描き方。発想。構図。絵肌。ごめんなさい今まで一枚も見たことはありません。それなりに絵画について私は精通しているつもりです。なので私を否定する人はどうぞ遠慮なく否定してください。ただ、私は間違っていません。
多くの先生の心の中に「自由にのびのび」描かせたいという気持ちがあることはわかります。私の中にもあります。ただ実際に小学生たちの描いている作品は全く「自由でのびのび」ではありません。それを認めなければ本当に「自由にのびのび」描かせることはできません。
幼児と小学生に「自由にのびのび」描かせるには描き方を教えることをやめなければなりません。描き方とは文字の書き順と同じような書き順と描き方です。顔の輪郭は丸。眉毛は線。眼は点。これを教えてしまうと大人の言うことを聞く子供は全員その通りに描きます。そこに自由な発想はありません。
このことについては今回は話がそれるので後日又改めて詳しくお話しします。
美術予備校で芸大美大受験をする受験生に人物モデルを描かせた場合、初めてモデルをみて描く生徒は100%描き方で描きます。顔は得意なイラストの顔。腕や足は骨格や筋肉を観察しない直線。この症状は子供も同じです。
難関校を受験する生徒はこの癖を克服することができます。でもストレス耐性の弱いFランク校や専門学校の生徒は自分の安心の描き方から抜け出すことはできません。
丸描いてチョンの描き方の指導はその時の指導の形はしっかりとした授業が成立したかのような結果は残してくれます。でも、それが幼児や小学生ではそのまま日本の図画のレベルの低さにつながり、芸大美大受験でも同様にレベルの低さにつながります。つまり丸描いてチョンの描き方の指導は絶対にしてはならないのです。
「自由でのびのび」は大切な言葉です。
自由でのびのびは美術とデザインの世界で通用します。
ただ、扱い方には注意が必要です。
そうですね、友達や遊びにとらわれない無我の境地で制作に没頭できる場合は「自由にのびのび」は天才を育てる可能性があります