言葉が巨大な「闇」を生む「天才ハザード」について
人が人間である以上・・、
ん?人が人間。人?
文章の滑り出しから、わけがわからないですよね。皆さんすみません。
言葉の使い方が変ですよね。
私はお菓子という表現をスウィーツとか、デザートとか、お茶菓子とか感覚で適当に使い分けています。
そのノリでつい、人と人間を使い分けて、冒頭からわかりづらいことを書いてしまいました。
でもなんとなくこんな感じの切り出しで言いたいことにつなげていける感じがするのでお話していきます。
今回お話したいのは、皆さんが普段何気なく使っている「言葉」が引き起こす美術の問題です。
今回お話したい美術の問題の出所というのは、美術で使われる言葉が全てわかりづらく誰も直感的に使いこなせていない所にあります。
例えば、お菓子とスウィーツとデザートとお茶菓子の4つの言葉を直感的に使い分けることは皆さん問題なくできますよね!
でも、美術の世界の言葉は全て、お菓子という言葉ほど上手く使い分けられていません。
例えば、デッサンとドローイングとスケッチと下描き・・・。わかりづらいですよね?
わかり辛い理由は、悲しいですが皆さんにお菓子の世界ほど美術の世界は知られていないからです。
例えばお菓子つくりの「才能」と絵を描く「才能」ではお菓子の才能の方が想像しやすいのではないかと思います。
美味しいものいっぱいありますよね。
絵の「才能」。わかりづらいですよね。
綺麗な絵があっても、自分のその感覚は間違っているのかな?と思わせてしまっていますよね。
お菓子と同じように自分の感覚を信じて、自分が美味しいと思えば「美味しい」。
自分が綺麗と思えば「綺麗」でいいんですが、美術の世界の人間が皆さんを疑心暗鬼にさせていますよね。
とても悲しいことですが。
自分には「才能」がないから、絵のことは良くわからない。と思う人が多いと思います。
この実態のない誤解を与えてしまっているのは美術の言葉の問題の1つです。
「才能」。というだけでわかり辛いですが、
美術の「才能」というと、なお更不可解以外の何物でもないですよね。
美術の「天才」という言葉もそうだと思います。
今回のお話はこのような美術の言葉の問題の解決を目指したお話です。
美術の「天才」と「才能」の2つの言葉は、意味もままならないので使い分けはどころではないですよね?
なんとなくわかるような気がして、でも実際はよくわからないですよね。
今回のお話で正しい認識に近づいて頂ければと思います。
改めて「絵画の美しさ」はどうでしょうか?
これもわかりづらいですよね。
わかるものと、わからないものがある。
これについては、皆さん自由に自分の見方と感じ方で美しいかどうか判断して頂ければいいだけなんですが。
なので、なんか綺麗と思えばそれが正解です。
で、大事なことはわからない絵はその場では無視することです。
その時に間違っても、わからないから「自分には才能がない」とは思わないでください。
メディアで「芸術作品を見て素晴らしさがわからないのか(怒)」と発言される人がいますが、
相手にしないでください。
只の見栄っ張りです。
中身はありません。
その場で格好つけたいという意図以外に何の意味もありません。
芸術の世界は一人の人間が全て網羅できるほど浅く、狭くありません。
巨大です。
一人の人間が知りうる作品はその巨大な世界のひとっかけらでしかありません。
芸術に詳しいと周りから見られると格好いいので、そう見られたいからさも博学のように見せたいだけで、そのような発言をされる人のメッキをはがすのはとても簡単です。
なので、そのような発言をされる人がいたらすぐにメッキをはがすようにしましょう。
あ、やり方は又いずれ。
それで、皆が落ち着いて自分の感性で作品を見ることができる空気を作りましょう。
皆が自分の感性で作品を見れるようにする空気。
組織的にそれを阻止する人たちがいてすごく大々的にキャンペーンを展開しているので、
これまた、さも見方があるような誤解を与えています。
美術館の展覧会なんかは「〇〇の謎」とかレントゲンで透視したら下に絵が隠れていたとか、
どんどん普通に鑑賞すればいいだけの話を複雑にしています。
で、そういうのは本当に辞めて欲しいです。
普通に見ましょうよ。
私美術の先生をしていますが、小さい子から謎とか聞かれることが実際にあって困ります。
謎が本当でもまともに鑑賞することを優先して、その後の楽しみくらいにとどめましょうよ。
だからテレビなんか見てても鑑賞の話は殆どなくて謎とかレントゲンの話ばかり。
実際の作品を見ても絵具で潰された下の絵は見えないですよね。
実はこういう話があるんです。くらいの軽い感じで。
間違っても前面に出すことではないですよ。
予備校でもいますよ、石膏像を見て謎の部分を描かないといけないからと誤解しているのでネットで調べる子が。
そんな教育でいいんですか?
すごいですね美術館って。
なんか死んだ魚の眼をした学芸員が苦し紛れに展覧会を企画しているような感じがするんですけど。
絵を見ることに心が躍ってないですよね?
ワクワク、ドキドキ、踊っているならそこの話をしましょうよ。
美術の「天才」「才能」について、
お菓子やスウィーツを食べたことがあるくらい経験がともなう正しい認識があれば問題はおきません。
自分が美味しいと思えばいいし、美しいと思えば良いのです。
他人にとやかく言われる筋合いはありません。
世の中の皆さんからそう思って頂けていない美術は不味いですよ。
不味いお菓子はお客さんに出さないですよね?
それくらいわかりましょうよ。
お菓子は皆さんと触れ合いやすいもの。
美術は私も含めて馬鹿ですから、本当に馬鹿ですから触れ難いもの。
皆さんにとってそうですよね。
そんな状況なので、恥ずかしながら、後、失礼を承知で言いますが、
美術の「天才」「才能」の意味を世の中の殆どの皆さんがわかっていません。
で、すみません私もわかりません。
会ったことないですし。ピカソとか。
だから、美術の世界では「天才」「才能」という言葉が痛い位たくさん多くの問題を引き起こしています。
随所で。
片端から解決していかなければならないと思いませんか?
私が「天才」「才能」の正しい意味を世の中に定着させようと思っているわけではありませんが、
明らかな問題が多すぎるので、それを1つずつ取り除くことはあまりにも露骨な間違いなので私にもできます。
馬鹿馬鹿しい位簡単なのでやります。
まあ、なので、正しい認識を目指していきたいと考えています。
ということで改めて、今回の 天才ハザードについて説明します。
今回は言葉系の天才ハザードです。
「天才」「才能」という言葉が招く問題。
問題?例えば、え~と。
まず、許しがたき問題です。
障害のある方を「天才」「才能」と称して営利目的でそそのかして、利用して、只同然の報酬で絵を描かせている方々がいます。
悪ですよね。
これについては今後一切こういうことが絶対に出来ないようにしてしまいます。
信じている人、すがっている人のことを思うと断腸の思いもありますが、後、本当に善意でされている方もいますが、誤認があります。
ダメです。
誤認が明確になった所で必ず不幸な結果になります。
障害者を金儲けの道具に利用して強制労働のような形でもうけている輩がいるので、
輩を直接攻撃しても時間を食うだけなので、それは今の段階では考えていませんが
詳細なカラクリを証明して、そんなビジネスが成立しないように、世の中に正しい認識を持っていただく情報を公開します。
その後解決するまで布石を徹底的に打ち続けます。
障害のある方の作品の全てを否定するつもりは一切ありません。
明らかに悪用されているケースがあります。
詳しくは後日改めてお話します。
問題?例えば、営利目的で美術に興味のある学生を「才能」という言葉で躍らせて勧誘する学校。
言っている営業の先生本人も「才能」の意味を実はよくわからないが、
明らかに言われた人の気持ちが躍り、浮足立った隙を狙えば簡単に勧誘できてしまうことはわかっていて
「才能」という言葉を利用して学校に入学させる。
最悪ですよね。
これについても後日改めて詳細にお話します。
問題?例えば、発達障害や鬱傾向がある子で「デッサン力の才能」は学習能力が低く、
情緒が著しく不安定なためトレーニングが不可能、又はとても困難なため向かないタイプの子が、
絵画コンクールで「のびのび描く才能」で受賞したことを切欠に、
デッサン力必須の美術系に主に中学と高校の先生に進路指導されてしまい、
美術予備校又は美術系の専門学校に進学して技術が全く身に付かずに高額の学費だけをただ払い続けて立ちすくんでいる。
実はこのケースが年間に何千人もいます。
誰にも何も文句が言えない。
障害や心身症を持ちながら、学校を出た後は高額の奨学金だけが残る。
その事実を知りながらどうすることもできない。
これについては私が窓口になります。
日本中に何千人といるこのケースの学生たちが文句を言える場がないので問題が公に露呈していませんが、
私がサイトを通じて専門学校、大学の卒業生やその親御さんを対象にしたアンケートを行い、
真実の声を実態が明確になるだけに十分な声を集め、完膚なきまでに叩き潰せる状態に仕上げて、然るべき機関に提出し、
サイトで実態が正確に把握できるようにします。
「才能」という言葉を利用した最凶の悪ですよね。
このケースは保育園、幼稚園、小学校、中学校、高校の先生が
悪と知らずに率先して美術系に進学を進めてしまっていて一向に気付く気配がありません。
悪という認識すらされていない美術の巨大な闇です。
幼児教育から芸大美大入学まで平然と横行している悪。
美術予備校や専門学校、芸大美大の現場の人間の全てが気付いています。
でも立場的に誰も動けない。
私が動けるので私がやります。
美術の世界には言葉に関わるとても深刻な問題が沢山あります。
深刻な問題だけど、とてもわかり辛いので問題にされづらく、
長年そのままになり、深く、広く、明らかになった時には明らかにまずい問題だと誰もが認識できる。
こんな問題を隠している美術は不味い状態にあると思います。
いつの間にかこんな状態になってしまった。
問題が人為的でも天災と言えるほどにあまりにも巨大です。
誰も動かない、ごめんなさん言い方悪いけどクズですね。
特定の誰かのせいということではないですが。
だめですよね。
私も含めて胸に手を当てて良く考えてみるべく問題だと思います。
皆さん是非考えてください。
話は変わります。
天才ハザードという表現をつくった理由についてお話させてください。
天才ハザードのハザードは、問題が天災とも言えるほど巨大なのでハザードと称することにしました。
実際の地震や天災を表現するハザードを揶揄しているような誤解を与える心配もありましたが、
わかりやすく、浸透しやすく、本当にハザードとして皆に真剣に、
誰が悪いわけでもなくわかりづらいがゆえに大きな問題にまで発展した「天災」として考えて欲しいと思ってこのような表現にしました。
それでは次からは美術の「闇」。それが作る言葉のハザードのお話をさせてください。