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てんいく「自由でのびのびという美術の虚構ハザード」

美術の外の世界の人が美術の世界に足を踏み入れた時。
様々な場所で常識ではあり得ない美術独特のハザードに陥ります。
それは「自由でのびのび」というコピーによってデザインされた罠。
だったり、値段が上がるかもと言われて絶対に上がることはない絵画だったり、賞をもらって自分が神になったような気分を味わうけれど実は何の実力もなかったり、ということです。

美術の世界には昔から美術自体がわかりづらく世の中の人が寄りつきにくいという懸念があります。
美術の世界の人間は、それを解決するために様々な方法を考えて実践してきました。その結果とでも言いますか、そのお陰で今日の美術やデザインがあることは間違いないことですが、これまでの行いの全てが正しい正というわけでは、けしてありません。
時代の流れとともに大きかった正が小さくなり、小さかった負が巨大に膨らんで来ています。もはや、正とはいえなくなってきているものもあり、転換期がきているのは間違いないことだと考えます。

私のいる美術教育の現場では「自由でのびのび」という言葉がもはや正ではない。
と言える状況が見えて来ています。ほとんどの幼児が騙されない。最近の幼児は・・。
いや実は昔から幼児は大人が思っている以上にクレバーです。騙されている振りをしているだけ。
幼児が面白くも何ともない図画工作から離れられるのは親御さんが図画工作の意味のなさを理解し始めているからです。

美術の世界には昔から美術自体がわかりづらく世の中の人が寄りつきにくいという懸念があります。
その懸念の質はインターネットによって少しずつ変わって来ました。
つまり、美術の外の世界にも美術の世界の実態が可視化されるようになって来たのです。

美術教育の世界は美術の世界の入り口の一つとして近寄り難い美術を触れやすいものに変える努力を重ねてきました。
人離れを解決するために様々な方法を実践してきました。

実践した結果をイメージして生まれたのが「自由でのびのび」というコピーです。
美術とデザインの世界は厳しい世界ですが、最初からそれを前に出してしまっては尚更人が寄り付かなくなる。
なので、最初に人が来たらどのように迎え入れれば良いかイメージしやすいように考えられたコピーが「自由でのびのび」です。
事実、美術とデザインの現場のほとんどの人間が最初から高い壁をぶつけないように心がけていることと思います。

これまではこのコピーの力で人を集めて、それでよかったかもしれません。
でも、今はもうすでに、「いざ本格的に美術の世界に足を踏み入れた時に愕然とするほどの思ってたイメージと違う」という壁に全員が打つかる。
という事実が世の中に伝わり始めています。これは美術とデザインの人間の最初の優しさが嘘ということではなく、わりとこの優しさはずっと続くもので、イメージと違うのは「自由でもなく、のびのびでもない」という点です。

皆さんご存知の通り、ネットによって美術の中の様子は皆さんそれぞれが独自の方法で見えてくるようになってきています。

人が美術とデザインに触れる最初の機会の一つに図画工作があります。
幼児に「自由でのびのび」させて遊ばせることは大切です。
でもそこで「上手」「才能がある」「天才」などの言葉を、安易に投げかけるのは危険です。
誤解を与えている以上言葉の使い方が間違っていると思います。もっと適切な言葉があります。

「上手」とはつまり、技術があるという認識を与えるわけですから幼児がそのまま図画工作が好きで美術とデザインの世界に「自分は上手」と思って入ってきても不思議はありません。
実際に何万人という学生がこの世界に入り、タイミングはそれぞれでも何千人という学生が「自分は実は上手ではなかった」という理由で辞めていきます。

「上手」という言葉について考え直さなければなりません。この言葉がどういう意味として子供たちに伝わっているのか考えることは容易だと思います。
そして誤解を生じないように配慮し、適切な言葉を添えていくこともさほど難しいことではありません。

「上手」なわけですから、進路を考える時に、勉強が苦手で、スポーツも苦手。
となると「残すは美術」という結論に至り、消去法で美術とデザインを選ぶ生徒は少なくありません。
つまり、消去法で来た生徒はポジティブな志向ではないわけですから、なるべくなら困難な壁を超えなくても済む道を探して美術とデザインの世界に足を踏み入れるわけです。
甘いといえばそれまでですが、甘さが通用すると思わせているのはこの世界で、高額な授業料を親御さんが払って、結果授業についていけなかったり、競争に弱いネガティブな生徒が進む就職先のほとんどがブラックですから、必然的に全員が耐えきれずに早々と仕事を辞めてしまうわけです。
となると期待を裏切った美術とデザインの世界が反感を持たれるのは当然です。
反感が美術とデザインの不評として帰ってきて、昔はそこで風化していた話が、今の時代はネットに上がるので風化せずに、少しずつ現実味を帯びる話に膨れ上がって、しっかりとした形のある情報として進路を考えている親御さんや生徒の所に辿り着くわけです。
その結果当然ながら巡り巡って学生離れが起きます。
こうなった時に、よく考えてください。この状況を見て「自由でのびのび」だと思える学生はもはやいません。
なので「自由でのびのび」ではない真実を本当は最初に伝えるべきなのです。

消去法で進路を選ぶ学生や保護者で正しい認識を持っている人は美術とデザインを選びません。
あとは、中学と高校の先生がネガティブな学生に美術とデザインの道を進めません。これは実に正しい判断です。

つまり、これからの美術とデザインが集めなければならない人はポジティブな志向の学生です。その場合、「自由でのびのび」というコピーはそのことだけ考えるともう必要ありません。

これから美術とデザインの世界が集めなければならない生徒は「大人の振る舞い」がしっかりとできる人です。
世の中のほとんどの人は美術とデザインの世界は食べていけない世界と思っています。でも実際は美術とデザインの世界はこの世界で収入を得て、社会生活を送っている人の集まりなわけです。なので食べていける世界です。

つまり、これから集めなければならない生徒は実際に食べていける美術とデザインの世界の中で人手が足りなくなった時にそれを補ってくれる人です。

今の美術とデザインの世界は「上手」「才能」「天才」などの虚構によって生徒を集めています。
そのため営業力のある学校が多くの生徒を集める。
CM やオープンキャンバスに予算をつぎ込める学校が生徒を集めます。
でも、これは虚構です。本当に大切なのは如何にポジティブな生徒を集め続けられるか❔ということ。
虚構は剥がれます。
その時に実態がない学校は間違いなく潰れます。
そうなった時に虚構は一瞬で手を引くでしょう。
なぜなら、営業する〜生徒が集まる〜儲かるという構図が、営業する〜生徒が集まらない〜儲からないと変わった時点で学校運営に興味をなくしてすぐに撤退するからです。

「自由にのびのび」が虚構でなく本当なら、この世界に入る前の上手がそのまま生きて、さほど大変なこともないくらいでないと困るわけです。
でもその連続性は皆無です。

美術とデザインの世界が自由にのびのびで食べていけるというイメージは虚。
実際に自由でのびのびできる職場や食べていける作家活動の実態はありますが、厳しい美術とデザインの世界のほんの隙間にほんのわずかに、かすかに見える程希少です。
わずか数件の話を何万人の学生に勧められてきたのは実態や全体像が外から見えなかったからです。
「自由でのびのび」で食べていける。確かにありますが、数千の職場の中に1〜2件ある程度です。
これほど希少なものをスタンダードのように語るのはもうやめましょう。


「自由でのびのび」を信じて美術とデザインの世界に足を踏み入れた人にとっては寝耳に水のエラー。
でもこのエラーはエラーではありません。

エラーは予測できないことです。
でも、これは美術の世界の人間は誰もが予測していることです。
エラーというよりも、そろそろいい加減にして、真剣に考えなければならない事故や事件という言い方が正しいかもしれません。

ネットがこれだけ普及した時代。綺麗にすべてバレるのは時間の問題です。

私がてんいくで書いている文章は、世の中の皆にこれらのエラーを言葉化しておき、美術とデザインの世界の皆んながネットで実情を表現したいと思った時にスムーズに想いや実際に起こったことをなるべく簡単に切り出せるできるように地ならしをして「言葉を準備」するために書いています。
そうすることで1日も早く問題が解決すること。
そして、社会に大きな不信感を与えている美術とデザインの信頼を少しでもつかみたいと考えています。
そうすることで美術の学校から人が離れている今の状況が変わればと思います。
その時にやっとクマビも本当に稼がせてもらえるようになると思っています。

この事故が起きるのは美術とデザインの世界では常識です。
なので美術とデザインの世界の人間にとってこれは予定調和であり、意図的に、計算されている未必の故意による事故です。

常識では美術とデザインの世界は「才能」が必要だと考えられています。
もともと持っている才能を引き出すには、自由にのびのび発想して、制作させ、感性を最大限に活かすことが大切だと考えられています。
そのため親御さんも生徒も自分の才能を信じています。

意図的に計算された、とても綺麗な未必の故意を計画したデザインは、美術の世界に入る前は自由にのびのびで興味関心を引きつけ、世界に足を踏み入れて後戻りできないタイミングで真実を突きつける。
暗黙の了解で美術とデザインの中の人間が実践する人集めのデザインです。

残念ながらこの事故を避けることができないのは、事故が起きることを美術の内部の人間が十分知りながら自らの収益のために隠し続けているからです。

学校に入職し、人を迎い入れる立場になった時、全員がこの事実を理解し、自分の所属する組織の収益のために真実を生徒に伝えることはしません。
組織のための正義が生徒にとっての正義にもなると考えますし、それが正しいことがと信じられています。

美術の中には隠蔽があります。

例えば、美術予備校の先生は新しい高校生が予備校に入学して来た時に、自由にのびのび描かせて、とにかく褒めるように新人先生は指導されます。クマビではありませんが・・。
新人先生はそれでは現役合格は難しくなるのでは・・と危惧しますが、新人に浴びせられる二言目の言葉は「現役で受からなくてもいい」という言葉です。事実、ほとんどのクラスから現役合格は出ず、そうすることで次年度は浪人生が増えて潤う。
そのような仕掛けが実際にあります。

本当の予備校は、自由にのびのびではないので、予備校に来た生徒は、これまで自由にのびのびだったこととのギャップを知り、自分が実は実力がなかったことを全員思い知らされます。
このように予備校に来た生徒が現実を知り、一度、これまでの自信との決別とともに絶望するのは、美術全体が、「自由にのびのび」をスローガンにして少しでも多くの人に美術に興味を持ってもらえるように仕掛けているからです。
「自由にのびのび」描かせなければ生徒が誰も来なくなる。というのは職場の先輩たちの教えです。

「自由でのびのび」この言葉は実は美術とデザインにとってもはや「魔の言葉」ではありませんか?


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