天才育成計画てんいく「自由でのびのびは誤解ハザード」
美術とデザインの世界は自由でのびのびできる世界だとよく誤解されていますが実はそうではありません。子供の頃など自由にのびのびとやらせてもらえる場はありますが、それがずっと続くわけではありません。
自由が許されるのは幼稚園、小学校、中学校と高校の美術の授業と部活、難関校ではない芸大美大。
専門学校の一部です。
つまり、社会に出れば間違いなく自由でのびのびしながらお金を得ることはできないということです。
幼稚園から専門学校までの学校は、それをひた隠しにするか、学校を出た後の美術の世界の現実を知らないか、自由にのびのびさせることが美術の世界で食べていくために必要なことと誤解しているという状況です。
自由にのびのび描かせる図画工作や美術部の中で芸大美大や実際の美術やデザインの世界が厳しい世界だという真実が語られることはまだまだ少ないように思います。
美術とデザインの世界はユートピアのように語られる。
実際はともかく美術とデザインの世界に近づこうとする人が一人でも多く入り口付近に集まるように美術の外の世界へは美術の世界を夢の世界のような表現をしてしまいます。
美術とデザインの世界の現実が世の中に正確に認知されるのはまだまだ先の話のようです。
このような誤解が生じているのはメディアのが誤った情報を流してしまうからです。
誰も何とかしようとしない、無責任な何とも情けない美術の実情です。美術とデザインの世界に変人や奇人はいません。
地味で地道なことをじっくりと受け入れられる人が集まっているから、そのような姿を奇人のように面白いつもりで自虐的に表現してしまうことが多いように思います。
実際に生徒たちが厳しい現実と直面するのは美術予備校に来た時点です。
それまで自由にのびのびで評価されていたのが全く評価されなくなる。
美術とデザインの化けの皮が剥がれ、その日から突然自由にのびのびは無くなります。
美術予備校の立場は公には弱いものなので、この現実を外に出すことはできません。
美術とデザインの世界は自由でのびのびできません。
幼児教育から学校の美術の授業、芸大美大受験。
アーティストとしての活動。デザイナーとしての仕事。
全てにおいて絶対に守らなければならない制約があります。
制約がある以上伸びやかではない。
なので、伸びきったゴムのような人間はこの世界にはいません。
この世界にいるのは誰よりも凛とした人間です。
絶えずアウトラインを逸脱しないように注意しなければならない。
この世界はスリリングで緊張感に満ちた世界です。
この世界は自由にのびのびを求めて、ゴムの伸びきったようなゆったりした人には向きません。
逆にこの世界は制約を逸脱するかもしれないリスクで遊べる人間に向いていると私は考えています。
逆に制約に打ちのめされる人は全く向かないし、制約を逸脱してしまう人はもっと向きません。
制約を難なく受け入れ、熟知し、スレスレを狙って仕事をする。
絶対に踏み外すようなしくじりはしない。
事実、クマビでは幼児にも、芸大美大の受験生にも伸びやかにされては授業が形をなさないので授業が壊れないように授業の前に必ず事情を話します。
制約を守れない子にこの世界の未来はない。
ここはルールを守れない子を受け入れるような甘い世界ではありません。
どの世界よりも厳しい面を持った世界だということは言っておかなければなりません。
事実、学生たちには容赦なく重圧がかかる。
試験の日は全身がガタガタ震える。そのような世界です。
ほんわかした、のんびりした世界であるわけがありません。
だから、心苦しいですが高額な授業料を取ってから制約だらけだと気づいて後戻りできずに途方にくれる子を出さないように入学前に必ず事情を話すようにしています。
この世界に入る前は自由にのびのびできる世界だと誤解を与えているために100%失望させることになります。
失望は特に親御さんに与えることが多いようです。
お子さんが漫画のキャラクターを黙々と描いている姿を見て、その遊びがそのまま仕事につながれば・・と願うでしょうし、そのような感覚で美術とデザインの世界の人が楽しく自由に絵を描いて幸せに生活を送っているかもしれないと考えても不思議はないと思います。
昔の人の方が先入観によるギャップは大きいように思います。おそらく誤った情報を流したメディアの影響だろうと思います。
実際との大きなギャップが生む、この失望は今の美術とデザインに大きな損失を与えていると私は思います。
美術の外の世界には私たちが制約ギリギリを狙うスリリングな最高の楽しみを楽しんでいることが一切伝わっていません。
スリリングな楽しみを伝える論法を持たず、自分たちで楽しく遊んで自己完結するだけで、外の世界に説明する感覚を持たないので、メディアは今だに自由でのびのびという誤った情報を流し続けています。
美術とデザインの本当の大きな価値は実は制約を守る中にあります。
美術やデザインは実はその制約自体のことでもあります。
デザインという言葉の中にはサイン=記号化が隠れています。
つまりアウトライン化することがデザインであり、物事の輪郭を考えたり、創造することがデザインなのです。
デッサンも同じです。
なので、話としては制約を守った先に自分で想像したり、感性でものを作れる学び方や働き方があります。
このことを少しでも早く美術の外の世界の人たちに正く伝えるべきだと思います。
美術とデザインの世界の中が制約の世界なので美術の世界の外の人たちには制約に縛られない自由を提供することと、昔の美術教育が子供たちには容赦のない制約を与えていたことを反省して、自由にのびのびさせようとする考えは大切だと思います。
しかし、そのイメージをそのまま美術とデザインの中のイメージにスライドさせることは危険です。
別な世界であることをきちんと説明するべきです。
美術とデザインを言い表す的確なコピーは「自由でのびのび」ではありません。
今の社会の中では「自由でのびのび」=「The美術」という認識だと思いますが、もっと適切な表現があるはずです。
「スリリング」はどうかな・・・。